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「え・・?」
「コンプレックスのない人なんて、気持ち悪いと思わないか、って」
思わず大きな笑い声が出た。
可奈が腕時計を見て、テーブルを片づけはじめた。
「もうちょっとつき合って」
「あ・・、ああ、いいけど」
市川もトレイを持って立ちあがった。
可奈は小さな折り畳み傘を、市川は大きな傘を差してデッキを渡った。電車の駅側から1階に降りる。
こっち、と導かれたのは、市川がこれまであまり足を踏み入れる機会のなかった地区だった。
駅裏の雑居ビルが並ぶ細い道を行くと、ものの数分で住宅街になった。『フーガ』や、その近くの商店街、そして木崎たちが住むマンションのある地区よりも古い建物が多いように感じた。集合住宅は小さなアパートくらいで、大規模なものはほとんど見られない。
「こっちのほう、来ることある?」
「いやあ、ないなあ。学校へ行く時は駅から電車だし」
「だよね。でも、もともとはこのあたりがこの街の中心だったんだって。ここから広がっていったらしいよ。お母さんが言ってた」
「ああ、それで・・」
傘を差しての会話は途切れがちだ。午前中よりも小降りになっているから雨音は邪魔にならないが、声が狭い空間にこもるし、相手の表情が見えない。
濡れて黒を濃くしたアスファルトに目を落として歩いていたら、可奈の足が突然止まった。すぐに直角に右を向く。住宅地に入って2分ほどしか経っていないだろう。
顔をあげると、可奈の視線は市川の胸元を通りすぎて、一軒の住宅に向いていた。
市川も同じ方向を見る。
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