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 夢を暫し見て、真夜中に目が醒める。  暑い夏の夜は扇風機のみで耐え凌ぐ事はできない。  就寝時は冷房に頼らない、と心に誓っていたが今となっては無効だ。  うつ伏せの状態から枕元に置いたエアコンのリモコンを探し当て、目視せずとも無意識の状態で冷房のボタンを押す。聞き慣れた機械音が聞こえ、運転が始まる。  すぐに冷えずとも風の音を聞くだけでどこか涼しくなったと錯覚できる程、その存在は大きい。  私は寝ぼけ眼のまま、まだ朝陽が差し込まぬ薄暗い部屋でまわる扇風機の羽を眺めていた。  普段なら目覚めてすぐに霧散する夢も今日はまだ頭に留まるも、その事を意識すれば早速、朧気になり始める。  消滅してしまう前に思い出そうと集中すれば、すぐに思い出せた。  頭の中に幼馴染の姿が映る。  小学校へあがる前、遠くへ引っ越す幼馴染との些細な幼き誓い。  ありていに言えば、将来の約束であった。  無邪気で天真爛漫。恐れと畏れの違いさえもわからぬ年頃。  されど、大きな問題があった。  私は女で相手も女であった事。  あの頃も今も私は決して同性愛者ではなかったし、これからもそうだろう。  同性愛者の性について理解を深めるきっかけ、そしてそれに通ずる職業に就いているのも彼女の影響による所だろう。  なぜ人生の指針を決めた事柄を忘れてしまっていたのか。  そして、彼女はあの時、自身が同性愛者だと自覚していのだろうか。  一度考え始めると様々な思いが浮かぶ。  今は寝るべき時だというのに、やっていることは真逆だ。  夢の事などどうでもいい、寝る事だけを優先すればそれで良い。   ようやく冷房も利き始めた部屋で私は寝返りをうつ。  快適な室温の中、睡眠環境に満足しつつ目を優しく瞑るも変に頭痛が始まる。風邪の類を危惧するが、一昨日の天気予報で台風の事を言っていた事を思い出した。  酷くなる前に薬でも飲むかと起き上がり、千鳥足で薬箱の所までいき、開いて一番上に置かれていた錠剤を一粒飲み込んだ。  これで多少の事はどうとでもなる。  プラシーボによる所もあるかもしれないが、使う使わないかで違いが生じる一品である。  腹を痛めぬようぬるま湯で流し込み、いい加減寝ようとタオルケットに包まるも、無性に頭が冴えている。  微睡みを求め、頭の中を空っぽにしてみるが眠気が訪れる気配はない。  眠気を呼び込もうと念じてみるが馬鹿馬鹿しくてすぐに捨てる。 「ああ……」  思わず漏れた虚しさも扇風機の強風にかき消される。  寝れない悔しさとこのまま朝まで起きていてしまうのではなのかと不安が湧きあがる。  気を紛らわせるために携帯を見るも誰かもメッセージはなく、最後に届いた通知は携帯料金の請求であった。  それも先月は高くついたようで、そのことが追い打ちとなった。  ため息を漏らし、ところで今何時だと時間を見れば午前4時過ぎ。  いっその事、早起きしたと前向きに捉えるべきか。  自らの意志ではなく身体が勝手に行った事にすれば良い。  暑さで目が覚めたのではなく、起きるべき時間に目が覚めたと考えれば幾許か心に余裕が生まれる。  そうとなれば、と意を決して体を起こす。  足をベッドから床につけようかという瞬間、同期の子の顔が浮かぶ。  何かを忘れているが、それは――休みが替わった事を思い出した。  二日前、急に頼まれた事で私はその場で快諾してしまったはずだ。  よりにもよって、なぜこの場面で思い出してしまったのだろうか。  目が覚めた時もどこか心に余裕があったのは、今の今まで休日だと無意識に思いこんでいた自分がいたからであったと推察できる。  それに、今起きたとしても出勤して退勤するまでに体がもつとは思えない。  途中で早退するなど、私の矜持が許さないだろう。  不運が続き、眠気も失せるが寝なければ不運は続いてしまうだろう。  私は枕を半分に折りたたみ、高さを調整した。  何がなんでも寝てやると、ぼんやりと映る天井を見つめていると父の言っていた事が徐々に記憶に蘇る。  あれは中学生時代、受験勉強でロクに睡眠時間をとっていなかった私に口酸っぱく言ってくれた言葉であった。  目を5秒閉じて、大人しくする。  たったそれだけの事であったが、あの魔法は私に随分と効いた。  おかげで志望校に合格した後も使わさせてもらったが、いつからか頭からすっぽりと抜け落ちてしまっていた。  今の状況でも効果はあるのだろうかと疑問が浮かぶも試す価値はある。  このタイミングで思い出したのは偶然の賜だろう。  私は静かに目を閉じ、再び頭で数字を唱える。  ゆっくりと数え始めれば不思議と微睡みが漂いはじめる。  甘美な気持ちを逃さぬように身を委ねれば意識の深さは増していく。  最期の瞬間、私は夢の彼女を思った。  夢という思わぬ形で再会できた。  あの約束はまだ有効だろうかと誂ってやろう。  どんな反応がかえってくるか少し楽しみに思う。  次の休みに友達に連絡先を――私の意識はそこで途絶えた。
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