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マンションを飛び出した三時間後、詩織はようやく部屋を留守にしていることを佳人に報告した。
手軽なSNS経由でも、衝動的に行動したためいつもの手順を忘れていたのだ。彼は仕事中で目を通せないだろうが、自分の義務を怠ったのはまずかった。
「これでよし……っと。予想以上に時間がかかっちゃった」
自分のカバンをなでる。必要なものはそろった。
あとは行動あるのみ――だ。
軽井沢滞在中もさまざまな問題に直面したが、結局父の教えに行き着いた。
『自分がなりたい自分に近づく努力を続けなさい』
父に背中を押された気がして、気づいたときにはマンションの外にいた。
「佳人さんが帰ってきたら、きちんと話し合わなくちゃ……」
今夜、彼の帰宅を待ってすべて打ち明けてみよう。カバンを大事そうに抱えて、詩織は帰途に着いた。
キキッ
甲高いブレーキ音に足を止めた。側道に黒塗りの車が急停車したのだ。
次の瞬間、車の助手席、後部座席から同時に男が降りてきて詩織を挟み撃ちにする。
一人は五十代後半の生真面目そうな紳士だった。
「水原詩織さんですね?」
「そうですけど、あなたたちは――」
男は詩織の問いに答えなかった。
「あなたにご一緒していただきたいところがあります」
一方的に用件を告げて、詩織を車の後部座席へと引きずり込んだ。つかまれた腕を振り払おうとしたがびくともしない。
「ちょっと……何するんですか!」
抗議の声をあげたときには車は発進していた。両隣を男たちに居座られる。まるで護送される犯罪者のようだ。
「どこへ連れていく気なのっ?」
焦りから声を荒げてしまった。
「目的地に到着したら、すべてお話しします」
紳士はそう言うとだんまりを決め込む。運転手はサングラスをかけていてルームミラーでは表情すらわからない。
(わたし、拉致された?)
名前を確かめたうえで、男たちは詩織を連れ去った。
どこへ向かっているのか。何が目的なのか。
車が高速ICを目指しているとわかり、さらに不安が募った。
車は加速し、都心から遠ざかっていく。
膝のうえの拳を固く握りしめた。
(どうしよう……佳人さん――)
頭に浮かぶのは佳人の笑顔だけだった。
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