第一話:(プロローグ)

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第一話:(プロローグ)

 「十年前、二○○九年の事だ。一つの、大きな事件が起きた。その事件の背景が審らかになるにつれ、呪いという存在を我々は認めざるを得ないものとなった。」  私立日下(くさか)大学の九号館キャンパスは学内で一番の狭さを誇る。さらに全国でも珍しい奇病(きびょう)学科の講義が中心に行われる、九号館であったが、取り分けてその中でも五階の三番教室は、数年前まで開かずの間と、大学教員からも囁かれる程であった。  因みに九号館内にエレベーターは無く、今後も取り付けの予定はなかった。  そんな悪条件まみれの教室で、関口芳泉はいつも通りに教鞭をふるっていた。  「しかし、政府は如何せん呪いという存在を未だに公には認めてはいない。この学科の名前からも分かるように、便宜を図るために病という枠組みに呪いを押し込めたのだ。奇妙な病で、奇病と大層な名前まで付けて頂いた始末だ。 」  芳泉は、講義で板書をとらない。その代わりに事前に準備した、スライドをプロジェクターで映して講義を進める。そして、教壇の前を左右に行き来しながら、言葉を紡ぐ。  カツカツと、革靴の音が子気味よい音がなる時は、芳泉が饒舌になった証だ。  「では何故、政府は呪の存在を認めないのか。」  「あぁ、事前に断っておくが、ここからは私の一人事だ。講義とはなんら関係ない。政治の世界に限った話ではないが、奇病より都合よく人を消す手段はないだろう。呪いではなく、あくまでも病にふした。そう言えばなんとでもごまかせる。しかし、中々どうして、生半可に人を呪う事しか頭にないのかね。そしてわかる通り、私は奇病という言葉を好んでいない。以後も呪いと私は言い続けるつもりだ。」  芳泉は、こうした講義の傍ら、解術師(げじゅつし)として活動をしている。  解術師とは、呪いを解く者を指す言葉だ。例の奇病という名前が付けられた際に、同じ様にその烙印を押された。  呪いは医学に分類されたが、それは勿論名目上の話で、解術師は医師ではい。特別な資格こそありはするが、その名前や活動内容も相まって、依然として冷遇された職業であった。  はぁ、と芳泉の大きなため息が小さなキャンパスの小さな教室に響いた。三十三歳にもなれば皴がより始めはするが、芳泉の眉間の皴は同年代の友人たちのそれよりも深かった。  「簡単に嫌いな人を痛い目に合わせられるからですか?藁人形なんて簡単に作れますし。」  一人の生徒がそう口にした。芳泉はその男子生徒の名前が直ぐには出てこなかった。  この講義は毎回30人程度を定員としているが、芳泉は人の名前を覚えるのは得意ではなく、全員の名前と顔が一致した頃には、学生は単位を片手に出て行ってしまう。教員ならではの悩みだ。  だが、それも考慮して、座席は予め指定してある。そっと自然を装い、芳泉は座席表をパソコンで確認した。    彼は谷口大成といった。次回には忘れているのだろうが、彼はそういう名前らしい。    「多感な二次性徴の段階で既に呪いと隣合せだった君らと、そうでない私とでは、そもそもの精神構造に違いがあるかもしれないな。私が君らと同じ年の頃に藁人形なんか作ったことはないよ。」  蛇足だが、最近ではSNS上のイジメの件数は下がりつつあるが、中高生間での呪いの事件は後を絶たない。  「ただ、今あった様に藁人形は、呪いの伴う事件でよく見られる。まぁ呪いの媒体の一つだな。しかし、殊この日本に於いて、藁人形は誰かを呪い殺すには向いていない。どんなに上手く出来ても被害者が何らかの発病を起こす事はなく、特定部に激痛を走らせるのが精一杯だ。」    「呪いの対抗手段として、その呪いが周知されている事が肝心だ。個人レベルを超えた、もっと全体的な、一組織の集合無意識と言ってもいい。 さて、我々が呪いと聞いて、初めに連想する媒体はなんだ。」  「藁人形とか、人型です。」  教室のあちらこちらから、声が上がる。髪や爪、蟲毒なども聞こえてくるが、十年前なら一生耳にすることがなかったであろう言葉も混じっていた。  「そう、日本人にとって藁人形とは最もポピュラーな手法といっていい。ここにいる全員が、藁人形で人を呪った事がないと願っているが、それでも事の順序は理解しているはずだ。まぁ本来はもっと複雑なものなのだが、概ねの順序として、丑の刻に神社の御神木に向かって、呪う相手に見立てた藁人形を打ち付けるというものだ。」  「知っている事がなぜ、抵抗手段なのですか。」    また別の生徒が発言した。今度は女子生徒だ。  呪いを扱う学科と聞くと、陰鬱でじめじめした、活気のない教室をイメージされることが多いが、実はそれと裏腹な場合が多い。  彼らは将来、呪いと向き合う道を選んだ。  呪いはいくつかの例外を除けば、基本的に二点間で行われる。呪いをかける側とかけられる側。  解術師はそこに第三の点として切り込まなければならない。が、呪いは第三者を嫌う。誤った知識での介入は、呪いの影響や、儀式の失敗から発生するペナルティがある場合、それらを一身に背負わなければならない。  こうした理由があって、奇病学科は活気に満ちた講義が多い。  「幾ら奇病と呼んだとしても、正体は変わらずそれは呪いであり続ける。ウィルスだとか、病原菌があるわけではない。呪いの本質は人の思いによる力だ。そしてそれに対抗するものも又、思いの力であっても何ら不思議ではあるまい。まぁ、イメージとして、はやり病のワクチンと思ってもらっても構わない。大多数に認知されている事はそれだけで、その呪いの効果を弱めることになる。」  「では、日本では西洋の呪いを使う事が望ましく、逆に西洋で藁人形が有効打になるのでしょうか。」  「いい考えだが、それはまず有り得ないだろう。西洋と東洋では根本的な呪いの質が異なる。西洋、取り分けて基督教が深く根付いた国としよう。また宗派も限定はしない。その定義で話を進めると、多くの場合に呪いを魔女の、ウィッチクラフトとして扱われる。では基督教に於ける魔女とは一体何か。」  「魔女は異端者の総称だと思います。異端の証、信仰心。悪魔。」    先ほどの女子生徒がぽつりと、言葉をこぼした。  「あぁ、魔女とは悪魔との契約を結んだ者をさす。つまり、基督教では呪いの根源に悪魔が現れる。その存在の有無は今尚定かではないがね。まぁいい。さて日本人にとって悪魔とはあまり馴染みのない、言ってみれば輸入品のようなものだ。呪いとは人の思いと説明したが、特定の組織内に於ける恐怖の集合無意識が力の度合いを指し示すことは言わずもがな、私たちが洋物のホラームービーを観た時、その演出には驚きさえするが、身の毛もよだつ程ではないだろう。多くの場合、洋物ホラーでは悪魔が裏で糸を引くからであるからだ。私たちは悪魔を知っているが、身近ではない。つまり薄いんだ。呪いの名称や儀式の工程を知り、そこで私たちが恐ろしいと思うかどうかが重要なファクター、つまり要因になる。」  「このことからもわかる通り、呪いとは、周知の事実であっては力が薄まるし、かといって、全く知らないのではその真価を発揮する事は出来ない。アバウトな話になるのだが、呪いが最も力を発揮するのは「知る人ぞ知る。」という状態がベストといえる。日本という括りを設けると、地方自治体に根付いた伝説や、一学校レベルでの噂話、学校の七不思議などは力が強いだろうな。しかし、これが中々厄介なものだ。」  「厄介ですか。」  「あぁ、その「知る人ぞ知る。」という状況が今は一番作りやすい時代だからだ。」  「…。」ざわざわ。と生徒同士で意見を出し合い始めた。少子化や、高齢化。それから呪いの飽和状態など、芳泉から見ても、なかなか面白い意見が数個見受けられた。実のところ、こういった若くして、呪いを受け入れた世代。呪いの申し子達による思考の柔軟性こそ、最も脅威なのではないかと芳泉は最近思い始めていた。  「限りなく無限に近い情報が渦巻く現代を、私たちは一体どのように生きていると思うかね。何を見て、或は何を見ないのか。その権利はいつも我々に与えられている。」  「インターネットの普及ですか。」  「正解だ。従来と違い、私達は膨大な情報を取捨選択しながら生きている。ただ、与えられるわけではなく、鵜吞みにするでもなくな。そ…」  チャイムと芳泉の言葉が重なる。九号館内でチャイムを聞くと耳が気違う、と言われるほど凶悪な音とあっては、芳泉の言葉など生徒の誰にも聞えるはずもなかった。  「おっと、今日はここまでだな。レポートが配布されているはずだ。次週までに、いつものページに提出しておくように。以上。」  「それから、来週は日本とアメリカにおいてのゾンビに対するアプローチの差異を取り扱う。これは再来週の講義への布石だ。死生観や埋葬手段の違いは知っておいて損はない。」  「先生。質問いいですか。」  谷口といっただろうか、男子生徒が機材を片している芳泉の元へ駆け寄ってきた。  「なんだね。」  「地方の呪いには、髪や爪を使用する事が多いはずですが、非常に強力なものがあると聞きました。髪や爪は、呪いと聞いて初めに連想する人もいるはずですが。」  「あぁ、確かに。髪や爪を用いた呪いはかなり強力だ。だが、ここでいう用いるとは手段ではなく、あくまで材料としてだ。それを踏まえてレポートにまとめてみたまえ。」    教室を後にした、九号館キャンパスを出て、真向かいに十号館キャンパスにある芳泉の研究室へと足を早めた。十号館の二階のといっても、実際は十号館キャンパスは周りの建物より窪んだ場所に建てられていて、実質四階が一階として扱われていて、それより下の階は地下という方が正しかった。  そんなB2Fにある芳泉の研究室は、やはり、申し訳程度のものだった。  建付けが悪く、二度程力を込めて取っ手をを引かなくては扉は開かない。薄暗く、じめじめと陰鬱としている。春先でこれなのだから、梅雨の時期はもっと悲惨で、それこそ呪われた立地なのだ。  やっとの思いで扉が開いた。  「先生、お疲れ様です。」  室内に入ると一人の女が近寄ってきた。  内野夏目は、いつも芳泉の講義が終わると、一足先に研究室に訪れて身支度なりを整えてくれる。決して芳泉から頼んだわけではないはずなのだが、気の利いた娘だ。    こんな部屋に咲くには勿体ない、山荷葉の花だ。六枚の花弁のうち、四枚が欠けてしまっているが、それでも尚美しく咲いている。  花は咲く場所を厭わない。    彼女の右の瞳に、その花は咲いていた。  花に呪われた女が一人、そして芳泉という男が一人。  解術師とは呪いを解く者である。
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