プロローグ:世界から英雄が消えた日

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プロローグ:世界から英雄が消えた日

 世界を救う旅という物語の結末はハッピーエンドだったが、語られぬエピローグは凄惨なものだった。  権力と黄金の夢に溺れた国王は魔王よりも邪悪で、最大の名声を得た勇者の存在を排除したいというちっぽけな虚栄心のために、世界を救った勇者とその仲間を、あろうことか国家転覆の罪で指名手配にした。  あの勇者さまがそんなことをするはずがない! ほとんどの民衆は信じず、中には国王に対して憤る者もいた。  だが事実として世界中を恐怖に陥れた魔王という絶対的強者を、勇者は倒した。倒してしまった。ということはつまり? 勇者ならば世界なんて簡単に滅ぼしてしまえるのではなかろうか?  疑念が疑念を呼び、やがて腫れ物に触るような扱いへと変わる。最初は何とかしてあげたいと考えていた者も、いつしか、できることならば関わり合いを持ちたくないと煙たがるようになった。  だがまだこれはマシな方で、魔王を討った勇者を倒して名をあげたい腕自慢や、勇者の首に賭けられた賞金を得たい荒くれ者。そして国に使える狂信者など、直接的に害をなそうとする者も現れた。  勇者は魔王をも討った、誇張なしで世界最強の英雄。もちろん、そこらの暗殺者に負けるわけはない。だが、それは続く。昼も夜も、一晩も一年も。決して休まることはなく、永遠に。  匿ってくれた宿屋の優しい主人は密告をして得た金をなめるように数えていた。私は信じていると庇ってくれた街の女性に案内された安全な場所(・・・・・)には多数の兵士が待ち構えていた。もう何も、誰も信じられなくなった。  逃亡生活は約2年ほど続いた。それは魔王討伐の旅の半分以下の年月であったが、すり減らした肉体と精神は倍以上だった。  仲間は散り散りになった。生きているかも分からない。祈る暇すら許されない。もう……限界だった。  勇者と賢者は、2人の故郷へと辿り着いた。魔王軍に滅ぼされ焦土と化した平穏な村は、かつての安らぎを取り戻していた。膝ほどの高さにまで生い茂る草むら。優しく照らす太陽に、静かに流れる川。風景は昔のように戻っている。  だが、あの頃とは随分変わってしまった。英雄とお姫様に憧れた無垢な少年と少女は人の醜さを知ってしまい、のどかな村を賑やかす村人たちの声は1つとして聞こえない。  感傷的な気持ちをぐっと抑え、かつてお姫様に憧れていた少女は、賢者となった我が身で魔方陣を展開した。恐らく数時間も経たないうちに追っ手はやってくる。疲弊した身体と精神では、身を隠すことすら難しい。  ――必ず、会いに行くから  賢者は右手で髪の毛を触りながら言った。それは彼女が嘘を吐く時の癖だった。  賢者が発動したのは、『異世界転移』の魔法だった。世界中から狙われている勇者たちが身を休める場所は、もはやエアリアスの世界には存在しなかった。  だが、『異世界転移』の魔法の難易度は設定すらされていないレベルで、究極の魔法使いである魔王ですら完全な制御が不可能と言っていた唯一の魔法だ。  魔力が足りず失敗するかもしれない。失敗にも種類がある。ただ発動しないだけの場合もあるし、異世界ではなくただ遠くへ移動するだけかもしれない。勇者と賢者がそれぞれ別の世界へ移動する可能性もあるし、最悪の場合、世界次元の狭間に取り残されることも考えられる。  ――あぁ、待っている  それを何とか飲み込み、勇者は応えた。けれど、何度飲み込んでも涙は止まってくれなかった。  ――ばか、そこは『俺が迎えに行く』って言うところでしょーが  そういって勇者と賢者は笑いあった。それは涙でぐしゃぐしゃになった歪な笑顔であったが、最後の記憶は確かに笑顔だった。  やがて光が2人を包む。それは最初、手のひらに収まるほどの大きさだったのが、世界へ広がるように膨張していく。光に吞まれていく最中(さなか)、世界樹の苗木が勇者の視界に入った。  世界樹といっても伝説に語られる本物の世界樹ではなく、かつて英雄に憧れた少年であった頃に、御伽噺に憧れて名付けただけの何の変哲もないただの樹木。この世界樹の下で交わした約束は必ず叶う、なんていう設定を作ったりして遊んでいた。  ――シオン、約束だ。必ず俺が――――――  光が収まると、勇者の姿は既にエアリアスにはなかった。麗らかな日差しと穏やかな風に包まれながら――  ――その日、エアリアスの世界から英雄が消えた。
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