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風鈴のように奏する鈴虫たちの歌声にまぎれて、僕は秘と姉の部屋に忍び込む。
姉の寝顔はいつ見ても苦しそうだ。眉根を寄せ、辛そうに呼吸している。
本当は性に合わない水の仕事。時給がいいからと貢がせるために勧めてきた彼氏のために、飲めない酒を飲み、苦手な会話をし、興味がない歌も覚えなくてはならない。
彼氏の立場にある男が、毎夜遊んでいることは知っている。僕も姉も互いに言わないだけで、好い人間でないことは分かっている。
でも、姉は意地を張りやすい性格だ。恋なんか幾らでもできる若さなのに、結婚なんか相手が受け入れるはずはないのに、まるでこの恋が最後の恋みたいにしがみつき、あえて苦悩に溺れている。
眠る姉に近づき、キャミソールでは守られない肩にそっとタオルケットをかけた。頬にかかった髪を払い、せめて寝顔が見栄えよく見えるようにしておく。
ん……、と微かに動いた姉の口から、仄かに酒の香りがした。
可哀想にと思いながら、僕はその唇に自分の唇を重ねた。
かあっと熱くなるキスではない。極めて穏やかな、例えれば眠りに誘うようなキス。
ふと、姉の息が漏れ、顰めていた眉が和らいだ。
カーテンの隙間に、美しい満月が見える。静かな音楽を世界に落とし込む光の波が、この部屋にも入ってくる。それを彩る鈴虫の歌声もまた涼やかで、盛った夏が終わったことに心緩ぶ。
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