1話 八海山と、がんもと椎茸の煮物

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 商店街の一角に出来た真新しい居酒屋はオープンだ。表からも中の様子がある程度分かる。カウンター五席、テーブル席一つ。私一人が回すならこのくらいが丁度良いと思う。  開店して一ヶ月が過ぎたけれど多少の常連さんができ、一見さんもありで比較的順調な気がする。 「ひとみさん、聞いて下さいよぉ」 「うん」  来るなりカウンターで泣き出した女性を、私はどうしたものかと迎える。ちなみに、まだ酒は出していない。  彼女、美香さんはこの近くに住んでいる派遣さんで、日々ストレスがあるようだ。上司のパワハラ、煮え切らない彼氏の話。そんなストレスフルな彼女はここに週二くらいで来てくれる。 「空気ですって。空気ですよ? 私見えないんかーい! という気分ですよ」  確かに空気は目に見えないな。 「そりゃ、私も悪いですよ? 喧嘩とか嫌で争わないようにしてきたし、相手に合わせるし、用事あるとか言われたら強く出られなかったし」 「うん」  主張が少ないのが美香さんの特徴でもある。話を聞くかぎり、相手に言われると従ってしまうみたいだ。何となく分かる。  そのストレスがお酒で出てしまうようで、私の所に来ると大体こんな感じになってしまう。  いいけれどね、それも。 「これじゃダメって思っても癖なんですよ。だって、嫌われたくないですもん。私程度が反論して、別れるとか言われたらショックだし」 「そんな事ないですけれどね」  美香さん、自信がないだけで可愛い人だ。見た目も綺麗だし笑うと少し幼くて少女っぽさもある。  万年死んだ目をしている私とは違うと思う。  でも、どうしようか。私に出来る事は話を聞くことと、とことん付き合うことくらいなんだけれど。  その時、カランカランという音と供に誰かが店にやってきた。 「いらっしゃいませ」  声をかけると、その人は人好きのする笑顔を向けてきた。 「あの、初めてなんですけれど」  なんとなく、犬っぽい男性だった。明るく、少し癖のあるふわっとした髪にキラキラした大きな目。口も大きくて沢山食べそう。表情も明るくて好感が持てる。 「空いているお席へどうぞ」  伝えると、その人は何故か泣いている美香さんの隣に座った。 「あの、大丈夫ですか?」 「え?」  顔を上げた美香さんがびっくりする。まぁ、分かる。それくらいにはこの人、印象いいなって感じがある。 「あ、えっと、大丈夫です?」 「え、疑問形! 大丈夫じゃないですよ」 「いえいえ! いつもの事なんで」  まぁ、比較的多い状況ではある。  でもこの男性は更に驚いてポケットからティッシュを出してきた。 「いつもこんなに悲しい事があるのは、大丈夫じゃないですよ?」 「そうなんですけれど……慣れちゃって」 「どうやら、恋人と上手くいかないみたいなんです」 「うぅ、ひとみさんド直球」  え、これでもふわっと詳細語らずに状況を伝えたと思うんだけれど。  でも多分、少し浮上している。そんな気がする。  男性はちょっと複雑そうな顔をしている。そして今度はポケットから飴を取り出した。色々入ってるな。 「恋愛ですか」 「です。なんか、居ても居なくても変わらない的な?」 「えっ、酷いですね」 「ですよね。そう言わせちゃう私の態度とかもダメなんですけれど」  カラカラっと笑う美香さんがグッと目元を拭う。それでも少し笑った。  でも、男性はそれに複雑そうな顔をする。 「……これは、俺の祖母の言い分なんですけれどね」 「え?」 「女を泣かす男は最低だから、さっさと別れて次探せ」 「!」  ビシッとした声で言う男性が、次にはにぱっとした笑みを浮かべる。驚いた美香さんの背が少し伸びて、男性は更ににっこりと笑った。 「恋多い人だったみたいですから、参考にはあまりできませんけれど。でも、いいと思います。少なくとも俺は、誰かを泣かせているのにそれすらも知ろうとしない人間とは上手くやれないなって思いますから」 「あ……」  この人、いい事言うな。まだ若そうなのに。  私も思う。側にいる人の気持ちに気づこうともしない奴とは相容れない。昔の上司とか。  美香さんはきょとっと男性を見ている。でもそのうち、自然と笑った。 「ですかね?」 「ですよ」 「……そっかぁ。あいつクソかぁ」 「あはは」  あぁ、吹っ切れたなって、思える言葉だった。  笑って、私は鍋を開ける。美味しく煮えた煮物の香りが店内を埋めていく。これに、美香さんも男性もこちらを見て目を輝かせた。 「本日は、がんもと椎茸の煮物です」  そう言って、私は深めの小皿に彩りよく煮物を盛り付けた。 【がんもと椎茸の煮物】  飾り切りにした椎茸と、一口大のがんもどき、千切ったこんにゃくにこちらも飾り切りした人参を出汁、酒、砂糖、醤油でじっくりと煮込み、仕上げに別で煮ておいたインゲンを添える。  しっかり取った出汁と椎茸の旨みをがんも、こんにゃくがしっかりと吸っている。人参も出汁を吸って柔らかくなっている。  酒の席だから塩みを、とも思うが、朝から仕込み、一度冷まして十分に汁を吸わせた食材は自然の美味いと思う。 「美味しそう!」 「本日のおすすめはこちら、八海山です」  取り出したのは比較的スタンダードな日本酒、八海山本醸造。飲み口はスッキリとして癖が少なく、どんな料理とも相性がいいので居酒屋でも重宝される一品だ。  こちらを今日はぐい飲みで。お猪口もいいけれど、美香さん今日は飲むだろうから。 「どうぞ」  両方を添えて二人の前に出すと、早速男性は椎茸を口に放り込み、酒をキュッと飲み込んでいく。いい食べっぷりだ、気持ち良い。 「っんまい! わぁ、生き返る」 「本当に美味しい。日本酒ってあまり飲まなかったけれど、案外飲みやすいかも」 「これは癖が少ない、飲みやすいお酒だから」 「旨みと合わさるとまた少し味わいが違う気がします」 「料理と一緒に味わって欲しいものです」   男性はパクパクと大きな口で煮物を平らげていく。でも、ちょっと足りないかもしれない。 「おにぎりも一個単位で握りますよ」 「あっ、お願いします!」 「梅、昆布、おかか、明太子、塩とありますけれど」 「あっ、私梅食べたい」 「俺は昆布とおかかで」  美香さんからも注文が入り、炊飯器の蓋を開ける。指定の具材を入れて適度に握り、それにたくあんを添えた。 「このご飯、ちょっと色がついてますね」  男性はおにぎりをしげしげと見ている。よく気づいた、偉い。 「出汁で炊いてます。薄く味が染みるし、風味が移るので塩みを抑えられて美味しいんですよ」 「んっ!」  先にかぶりついている美香さんの目も輝く。隣では男性もかぶりついて、嬉しそうにしている。 「んま! はぁ、ご飯も酒も美味しい」 「勇気出して入って正解だったな」  なんて、二人でちょっといい感じだ。 「他にも何かありますか?」 「定番のだし巻き卵、お味噌汁は豚汁」 「さっきのお米と一緒に一式」 「定食みたい」 「お腹空いちゃって」  なんて、恥ずかしそうに笑う青年にこれらを出してお酒もおかわりを注いで。 「あぁ、なんか話してスッキリしたし、食べて満たされたし。よし、次の恋に進むかぁ」 「それがいいですよ」  笑った美香さんはもう大丈夫そう。これも、きっとこの青年のおかげなんだろう。 「ひとみさんも、有り難うね」 「私?」 「そう。聞いて貰えるから、案外引きずらなくなったんだ」  意外な所でそんな効果があったとは。だが、ちょっと嬉しい事でもある。 「俺もここ通おうかな。引っ越して間もなくて、自炊とか追いつかなくて」 「そうなんだ! あっ、私美香ね」 「啓介っていいます。映像の仕事してて、なんだかんだで不規則で」 「大変ですね。私、ちょこちょこここに通ってるので、また会ったら」 「ですね」  お互いニッと笑った二人を見ているとほっこりする。これだから、この仕事は楽しいのだ。 【ご馳走様でした】
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