5.

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三十分ほど車を走らせて、漁港に着いた頃ようやく空が明るくなってきた。駐車場から歩いてとある漁船の前で止まると、中から鉢巻をした漁師と思われる年配の男性が、ひょこっとでてきて話しかけてきた。 「おはようさん」 「今日もよろしくお願いします」 鳳と顔見知りなのだろう、お辞儀をして早速船に乗り込む。二人の体重の重みで船体が少し揺れた。 「連れの人は初めてかね?気をつけてな」 黒く日焼けした顔。真っ白な歯をだして笑顔を音無にみせると、そのまま奥に行ってしまう。 「船長さんだよ。いつもこの船にお世話になってるから」 「へぇ…」 音無たちの他に数名の客を乗せ船は出港し、釣り場へと向かう。その間に餌を竿につけたりしていたらあっという間についた。 音無が仕掛けを海へ垂らすと、隣で鳳も同様に垂らす。今日の海の状態だとあまり期待できないかもしれないと、船長が呟いていたのだが…… 二十分くらい経過した頃、音無の竿が二、三回揺れたと思ってたらグン!と竿に手ごたえを感じ音無は驚き、慌てて竿を強く持ちながらリールを巻いていく。 鳳は自分の竿を持ったまま、音無に声を掛けた。無理に引き上げては途中で魚から針が外れ、逃げられるかもしれない。 「ある程度泳がせて、リール撒きながら…そうそう」 だんだんと強烈な竿の引きは弱くなってきて、魚の影が海面にゆらゆら見えてきた。一気にリールを引き上げて竿先を船に戻して釣り上げる。 「よっしゃあ!」 思わず声を出した音無。竿の先には二十センチくらいの魚がビチビチと身を捩っていた。大喜びしながら音無は魚を手に取る。 「カマスか、ビギナーズラックだな」 「お前より先に釣って悪いな」 音無の言葉に、鳳は声を出して笑う。初めて見る大笑いした顔。 「巻き返すから待ってろよ」 そう宣言した後すぐに、鳳の竿が当たりを知らせた。 数時間後。終わってみると鳳の圧勝。クーラーボックスにはアマダイやカマスなど色々な魚が入っていた。寄港しながら午前中の爽やかな海風をうけ、音無はこんな休日もなかなかいいなと感じていた。ただ起きるのが辛かったけれど。 「なあお前、魚捌けたりする?よく新鮮な魚すぐ刺身にしたりするじゃん」 隣で缶コーヒーを飲む鳳に聞くと、首を振った。 「捌けないし、俺、刺身食べれないから」 「は、ハァ?」 「苦手なんだよ」 釣りが好きなのに、生魚が嫌いだという鳳。音無は思わず笑い出した。 「うっそだろ?こんなに新鮮な魚を前にして?」 腹を抱えて笑う音無。ふん、とふくれっ面を見せ、いつも魚は船長に渡すんだ、と言う。 「お前持って帰るんならクーラーボックス貸すけど」 「いいよ、俺も捌けないし…あの高級車に積む勇気がないわ」 今朝はなにもかもが、鳳のイメージを壊していく。それは悪い方にではなく、むしろ音無にとっては好印象だった。 その日以降、バーでの二人の様子が少し変わった。バーで出会えば相変わらず一緒に飲む。 社会情勢や経済の話など、会話内容も相変わらずだったが以前にはなかった『プライベートの話』をするようになっていた。 気まずい沈黙の時間もなくなって、二人穏やかに飲む。 話をおかずにゆっくり飲めば、滞在時間も延びていく。以前ならある程度の時間になれば会計をしてホテルに向かっていたが、最近は遅くまで過ごすからホテルに行かない日も増えていた。それでも構わない。体を重ねるよりもこうしてゆっくり飲む方がいい、と二人は感じていた。それでも話が合わない時は意見を言い合うので、見かねた拓也が苦笑いして、二人を止める。 今夜も気がつくと遅くまで飲んでいた。鳳が腕時計をちらっと見ると、音無がそろそろ出るか、と財布を取り出す。 今夜盛り上がったのは、来週に行く釣りの話だ。もう一度二人で釣りに出掛けて、すっかりハマってしまった音無。狙うのはブリ。冬場はなかなか釣れないことが多く、鳳は真冬の釣りは行かないと言っていた。だから恐らく今年最後の釣りだ、とも。 会計を済ませて、扉を開けると冷たい風が顔を撫でる。そろそろコートを出さないと、と音無はブルっと身を震わせながら考えていた。 「寒くなったな」 横を歩く鳳が呟いた。以前であればホテルの部屋で先に支度したほうが部屋を出ていた。バーで飲んだ時も、席で別れることが多かったのに最近はこうして最寄りの駅まで一緒に歩くことが多くなっている。 歩きながら明らかに近くなってきている二人の距離に、音無は警戒し始めていた。 体を重ねていた頃より、こうして歩いている時の自分の感情がおかしいからだ。相変わらずのポーカーフェイスな鳳だがたまに向ける笑顔に最近動悸がすることがある。これがなんだとわからないほどウブではない。 釣りに一緒に行く時の、髪を下ろした格好とオールバックでこうして歩く姿のギャップ。 困ったことに会っていない日でも、ちょっとした時間に鳳を思い出してしまう。仕事中や、寝る前に。 どうかしている、と何度も気のせいだと否定するものの、こうして会うたびに感情が間違いではないと、自分自身が裏切ってくる。 ややこしい感情だ、と思う。
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