清く、正しく、逞しく

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清く、正しく、逞しく

 高級ブランド店の建ち並ぶオシャレな通りの一角に、小さなパン屋がある。パン屋といっても、ケーキもあるし、カフェも併設されている。  ルトゥー・ドゥ・ボヌール、フランス語で「幸せの再来」という意味の店名だけど、店の女将さん……じゃなかった、店長は、フランス語が堪能ってわけでもなければ、フランスに行ったこともないと言っていた。 「なんとなくおしゃれっぽければいいのよ」  そう言って、二人の男子中学生を育てるシングルマザーの店長は、その華奢な体つきからは想像できないほど豪快に笑ったものだ。  ここでバイトをさせてもらうようになって半年になる。日本一、いや世界一どんくさい私が半年も続けられているのは、ほかでもないこの店長、芽衣(めい)さんのおかげだ。 「ちゅう子ちゃん、いまお客さんひと段落したから、休憩とっちゃってくれる?」  奥の厨房から顔だけひょっこり覗かせた芽衣さんに「はーい」と返事をして、もう一人のバイトの女の子にアイコンタクトを送ると、レジの後ろにあるドアのなかに素早く身を隠した。  ドアの内側は階段になっていて、2階の会議室のような部屋に続いている。そこが休憩室だ。長机が4つにパイプ椅子が8脚。部屋の隅に3人掛けのソファと棚、小さいけど冷蔵庫もある。  その冷蔵庫から、名前を書いておいたペットボトルの紅茶を取り出し、ソファにどさりと座って足を投げ出した。お店に出ている間はずっと立ちっぱなしだ。半日もすると、膝から下が文字通り鉛になる。 「ぷはあーっ」  紅茶を一気に半分ほど飲み、盛大に息をついた。午後4時。今日は20時までだから、まだまだ先が長い。この30分の休憩でいかに気持ちを切り替えられるかで、後半戦のモチベが決まる。  というワケで、ポケットから携帯を取り出した。  表示させたのはメッセージアプリ……ではなく、膨大な作品数を誇るマンガアプリだ。ニヤニヤ、じゃなかった、ワクワクしながら、読みかけのマンガのページを開く。
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