ここいらの夜では

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ここいらの夜では

 今宵、水辺にヒトビトが集まっている。小指ほどの提灯を大切そうに持ってどこに行くこともなく水辺に集まり足を止める。そしてゆっくりと小さな提灯を呑み下す。骨で作られたそれは喉を抜け食道を通り肺臓へ入る。  ヒトビトの右胸に淡い光が灯る。ここいらのヒトビトは元より右肺臓しか持たない。ここいらのヒトビトは太陽を持たない。だから淡くとも刹那的な灯りが必要なのだ。心臓の脈動に合わせて右肺臓は震え、骨組みの提灯が茫、茫、と光る。小さな提灯の寿命は一年、だからこうして一年に一度、ヒトビトは水辺に集まり小さな提灯を呑み下すのだ。  けれども肺臓に溜まった提灯の残骸を取り出す術をヒトビトは知らない。呑み下し続けた骨の提灯は毎年毎年肺臓で崩れてはうず高く積もり、そしていずれはそのヒトの呼吸の音を奪う。今年初めて提灯を呑み下した少年の祖父は今年の提灯を呑み下す前に光が尽きた。光の尽きたヒトは水辺へと運ばれ光の最も強いヒトに水底へと沈められる。その寿命を削り光に全てを捧げたヒトは水という安寧の地で永遠に眠ることができる、これほどの喜びなどないとヒトビトは信じてやまない。  少年は祈る、祖父の光が水底でも尽きませぬようにと。祖父が永遠に眠り淡い光の夢を見られますようにと。そしてせっせと骨の棺桶を作りその中に祖父とロケットペンダントを寝かしつけて水の深いところへとそっと押し出した。 「おやすみなさい」  彼は堪える、堪えて、先程呑み下したばかりの右胸がとん、とん、とん、と早鐘のように光っているのに気が付く。悲しい、悲しいのだ。祖父を喪って、僕は哀しい。周囲から啜り泣く声が聞こえた。哀しんで良いのだと安堵した。安堵すると涙が出た。  祖父はもう水流に乗り、足もつかぬ程遠い波間に微かに見えるばかり。そしてゆっくりと骨組みは壊れ祖父の体は水に弔われる。光に費やしたその命は最期水によって癒されるのだ。こんなに幸せなことなどないだろう、太陽も左肺臓も持たない僕らにとって、これほどまで幸せなことなど。  それでも。 「…それでも、居なくなったら寂しいよ」  少年は祖父が沈み切って見えなくなっても、ずっと水辺を離れなかった。呼吸は落ち着き右胸の光が安定しても少年はその場を離れなかった。ヒトビトが方々に去り始め今年の儀式が終わっても少年は水辺から足を上げなかった。  相当の時間が経ち、もう全ての光の潰えたヒトビトが水底へ辿り着いたであろう頃、ようやっと暖かい風が少年の髪を優しく攫った。ふと下を見やると小さな海月がぽっかりと浮かんでいた。少年が水に手を入れその柔らかな薄青い透明に触れると、手酷く刺されて指先がちりちりと痛んだ。痛いのは生きている証拠だと、そう言った祖父の言葉を思い出した。  左胸には心臓を、右胸には淡い光を、そして中央には生きている痛みを、それらを抱えながらここいらのヒトビトは呼吸をしている。太陽など見たことはないけれど、それでも暖かなヒトビトの生まれと弔い、透き通る水と仄かな灯りでここいらの夜は循環している。だから良い、これが良い、この全てを包んでくれる暗闇が好き。  少年は深く息を吸い右胸に手をやった。暖かい、儚い灯り、満ち満ちている。そして水辺に踵を返し家族の待つ家路に着いた。
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