ゴールデンスランバー

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

ゴールデンスランバー

 四月の春が屋上がから落ちてきた。  春は道路を歩いていた俺を下敷きにした。それは体のあちこちを骨折して入院することになった。春は無傷だったらしい。  その理不尽すぎる報告を病院のベットの上で聞いた。屋上から落ちてきたそいつはベットの横で平謝りしていた。名前は四月一日春(ワタヌキ ハル)と言うらしい。  春にはうにょうにょと動く触手が背中から生えていた。肌もどす黒くテカテカと光っている。何か瞑麻れた肉の塊が人の形を保っているだけの物に見える。  目も口も鼻もないのに、なぜか声が聞こえる。視線も感じるのが不思議だ。春がしゃべる度に顔からびちゃびちゃと何かの液体が落ちて腐臭をまき散らす。  うんざりして鼻をつまんだ。もう謝らなくていいという度に春は泣きそうな顔をした。顔がないのにやはり泣きそうだということだけはなぜか分かるので仕方なく「気にしなくていい」「俺の運が悪かっただけだよ」と言う。春は申し訳なさそうな顔をしながらわずかに微笑んだ。たぶん。  春は俺以外の人間には美少女に見えているらしい。毎日俺を見舞いに来る春を見て友人が「あんな美少女と知り合いになれるなんてラッキーじゃないか」と言っていた。まったくラッキーじゃない。俺には肉の塊にしか見えないのだ。  医者に春が人間に見えないと相談したところ、脳の検査をされた。原因ははっきりとは分からないが下敷きになった衝撃で脳に多大なダメージを受けたのが原因ではないかと言われた。本当にツイてない。  春は俺が退院するまで毎日お見舞いに来てくれた。退院してもなぜか俺の家にあがりこんで世話をしてくれた。 「先輩は放っておくと一人で勝手に死にそうなので心配なんです」と春が言った。 「そもそも先輩ってなんだ?」 「先輩は私を助けてくれて、しかも許してくれる人生の先輩ですから」  ちょっと何を言っているのか分からなかった。春に毎日来なくていいと言った。どれだけ言っても通ってくるので俺の部屋の中に春の腐臭がこびりついてしまった。  ある時、春に俺はお前が醜い肉の塊に見えているんだと言った。本当のことを言えば春は俺の家にこなくなると思ったのだ。春はとても美人らしいし、たまたま下敷きにしてしまった俺みたいな人間に囚われていないほうがいいだろう。俺も春がいなくなってくれたほうが心が楽になる。 「実は私は春の妖精なのかもしれません」  春が突然アホみたいなことを言い出して思わずため息を吐く。 「ほら、春って見た目は綺麗な季節だし皆好きだけど、環境が変わって不安に押しつぶされそうになる季節でもあるじゃないですか。外見が美少女で先輩には醜く見える私って春みたいじゃないですか? 名前も四月一日春ですし」  そう言って笑いながらびちゃびちゃと液体を垂らした。 「俺は季節の春は嫌いだけどな」 「えーーーーー」  俺の言葉に春は露骨に不満を漏らした。  アパートで俺の作った昼飯を二人で食べてぼーっとしていると眠たくなってきた。いつの間にか眠ってしまったらしい。いつの間にか春の膝に頭を乗せられて膝枕をされていた。びちゃびちゃとした不快な膝の感覚が頭にある。とても気持ちが悪い。でも、俺が起きた事に気が付かず小さく歌っている春の歌はとても上手だった。窓から春風が吹き込んできて頬を撫でる。その感覚は気持ちが良かった。うとうととまどろに意識が溶けていく。  ある日、二人で買い物にでかけた。春が歩いた道には謎の液体が残っていた。 「先輩は春のこと少しは好きになりました?」 「いや、全然」 「じゃあ、私の事は?」 「嫌いだけど?」 「うわー。マジで最悪だわ。この先輩。甲斐甲斐しく毎日通ってくる女子にいう言葉じゃないですよ」 「いや、だから来なくていいってずっと言ってるよね」 「うるさいですー」  いーっと口を広げて拗ねて見せる。気がする。 「私が来なくなったら先輩何て寂しくて毎日泣いてるに決まってるんですから!」 「そんなわけないだろ」  パパーッとクラクションの音がなる。トラックがなぜか歩道に向かって突っ込んできていた。春は足がすくんでいるのか立ちすくんでいる。  思わず春を突き飛ばしていた。目の前にトラックが迫る。衝撃が来た。体ごと物凄い力で吹き飛ばされる 「先輩!」  春がびちゃっびちゃと音を立てながら駆け寄ってくる。 「先輩! 先輩! 先輩!」  春が涙と何か分からない液体をまき散らしながら泣いている。物凄い腐臭だ。液体が俺の顔に落ちる。 「……春。泣くな」 「無理に決まってるじゃないですか!」 「先輩の言う事は聞けよ……」 「嫌です!」  ああ。これは死ぬな。なんとなくそう分かった。最後ぐらい春の姿が肉塊以外に見えないかと目を凝らすがやっぱり醜い肉だった。  なんだよ。と思わず笑ってしまう。このまま寝たら目が覚めないんだろうな。そう思うと思ず口をついて出た。 「まさに。春眠暁を覚えずっていうやつだな……」  俺の言葉に春は一瞬呆然として 「こんな時に何上手い事言おうとしてるんですか。全然うまくないですからね」  と、腐臭を吐き出しながら笑った。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!