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初めてのお客さんだと思う。少なくとも私はこのおじさんを知らない。
「いらっしゃいませぇ」
私はおしぼりを広げて手渡しながらスマイルを贈る。女の子は愛想が全てだと思われてるから、多少問題が起きても満面に笑みを浮かべるのよ、それがあなたのお守りになるから。新入りの頃、ミナさんに教わった事だ。
「何を召し上がりますか?」と私が聞く。
「ジントニックを」と即答するおじさん。
かしこまりました、といってカウンターから奥へ駆け込んで行く私。
「コラ、走らないの!」ミナさんに怒られた。
「申し訳ありません」と、ミナさんが私の代わりにおじさんに頭を下げていた。
こんどは怒られないようにと、グラスとか氷とかを運んで、ゆっくりおじさんの前にもどる。
「あ、ヒロコっていいます。よろしくお願いします」
「よろしくね。私は、オオヒラさん、と、呼んでください」
おじさんは楽しそうに自己紹介を始める。
「えー、私、実はアクィラ星人なんです。年齢は、先月かな、4368歳になりましてね。アクィラ星では平均年齢が7000歳ぐらいだから、地球人的には50代後半ってところ。仕事はしてません。この、オオヒラさんは仕事をしてるんだけどね、地球人の仕事は私には無理なんですよね」
おじさんはけっこう饒舌に話す。
大事なのは笑顔。そして聞き上手に徹すること。それから、感動してみせること。それが私たちの仕事だ。
「……へぇ、すごぉーい! あ、おかわり、つくりますねー」
おじさんは尚も話す。まるで自分が神様みたいにすごい人だとでも言わんばかり。
耐えるのよヒロコ! 負けるな! がんばれヒロコ!
それからまだ悠に1時間は話し続け、お酒は5杯おかわりして、飲み干して、おじさんは帰っていった。
「お先に失礼しまーーす」
「お疲れさま! 気をつけて帰りなさいよーー」
と、お店からの帰り道、『あ、宇宙船はこの先の橋の下に隠してあってね』
っておじさんが言ってた橋に差しかかった。
ちょっと酔ってた所為もあり、ちょっと寄り道もしてみたくなり、ふらふらと堤防の芝生を滑るように下りる私。
ホラ、あるわけないじゃーん。
「あれ?」
と思う間も無く、私は落ちてきた金属の塊に圧殺された。
落ちてきたUFOの中で、ちょっと酔っ払ったおじさんが取り乱していた、らしい。
おじさんは私をUFOの中に運んでアクィラ星の極限まで進んだ医術で手術したそうだ。
白い照明で満たされた広い部屋で目を覚ましたとき、どこも痛くなかったし、傷跡も何も残っていなかった。
あ、小学2年の夏休みに転んで右膝に出来た傷跡がある。
「ちょっと、なんでコレ消してくんなかったのよ?!」
「えっ、あー、それは……」
しどろもどろになったおじさん、面白い。
「あの、お詫びに何か、プレゼントとか、させて貰えたらと……、どう、でしょう?」
「なぁに? 人を一人殺して贈り物か何かで安く済まそうって?」
「いや、ちゃんと蘇生して……」
「あー、おじさんあたしの裸見たでしょう! スケベ! エロおやじ!! もう、ゼッタイ許さないから!」
「えーー……」
面白い面白い。
「じゃあ、あの、何か、願いごとを叶えるというのは……」
か、神様キャラきたーーーー!
「えっと」
ちょっと咳払いをしてから、頑張って睨みつけながらおじさんに言った。
「じゃあ、ヒロトくんと、恋人にして!」
「ヒロト、くん? というのは……?」
「あー宇宙人じゃ興味ないかな。あたしの絶賛推しアイドルの月城浩斗くん。もう、デビューする前から死ぬ程好きなの。これは死んでも譲れない!」
死んじゃって生き返ってるけど。あたしったらも。
「分かった。ヒロコちゃんは彼が大好きなんだね」
「はい!」
あ、はいっつっちゃった。無茶だって分かってるし、ヒロトくんとは何の縁も繋がりもないけど、でも叶えられるものなら……。
「どうなのよ!」
「が、かんばります」
「よろしい!」
「いや、お店で話したときとキャラが違うねぇ」
「うっさいわね!」
「あ、はい、すいません」
やった。
ヒロトくんは所属事務所の社長宅に下宿している。タレントなんてものは存在そのものが資産だし、その資産価値を落とそうとする輩からは、何としても隔絶しておく必要がある。
ヒロトくんは私より7つほど歳下で、しかも好みのタイプはまず年下で、しかも私のようではない丸顔が好きだった。ヒロトくんはそのように公言している。それって私へのお断りなの? と思えなくもない。
「わ、わかりました。取り敢えず、2日、待って貰えますか?」
え、2日でいいの?! じゃない、
「し、しょうがないわね、待ってあげるわよ」
それで、まぁ、何事も無かったようにおじさんと別れて、自宅のベッドで眠りに就いた。
目が覚めて時計を見ると、だいたい8時間眠ってた、らしい。あっ、と思って鏡を覗き込んだら、全くメイクしてないどスッピンだった。蘇生の時にメイクも落としてくれたのかなぁ。おじさん、ありがとう!
「どういたしまして」
「きゃーーっ!!」
おじさんに見守られてた。
「ヒロトくんの好みのタイプは、年上の瓜実顔、ってふうに書き換えて来たよ」
「え、もう?」
「その程度の変更は催眠術の要領でどうにでもなるよ」おじさんはカッコいいだろう、って顔で笑った。が、ちょっと言いにくそうに口を開く。
「でも彼、もう恋人がいたよ」
「え?」
丸顔で年下の彼女とは、もう15年近く付き合いをつづけていて、何れ電撃結婚しようね、との約束を交わしていたという。好みのタイプが丸顔で年下だなんて、その彼女への告白とか匂わせに他ならなかった、ってことじゃん。絶望じゃん。
あ、でも特別好きになった場合、その人が好みのタイプかどうかは、あんまり関係ないかもしれない。それは寿命の短い地球人ならではのことだと分析される。って分析しないでよ!
そうだね、でも結婚してしばらく経って、それからモーションかけてみたら、浮気相手とか、愛人ぐらいにはなれるかも知れないよ、っていうおじさんの顔面にパンチ。
「……再考します」
「分かればいいのよ!」
「でも好みのタイプは年上で瓜実顔の彼女なんだから、取り敢えず丸顔の彼女より先に出会わせてくれない?
タイムスリップとかもできるんでしょ?」
あたし、怖いわぁ。
「いや、歴史を変えるというのはコンプライアンス的に、ちょっと。
時間を移動する技術というのはね、私の星では普通に使える技術なんだけど、ことこの地球上では時空構成が単純過ぎるので、ちょっと過去を書き変えると、必然的に全体が書き変わってしまう危険性が大きくて、だからだね……い、いえ、何でもありません!」
「よし。じゃあ、その丸顔の彼女に出会う前、というと17年前かしら? そこへあたしも連れて行きなさい!」
「あ、はい」
おじさん、かわいい!
* * * *
17年前のその日、5歳のヒロトちゃんは、UFOに拐われて行方不明だった。
「え?」おじさんを睨む私。
「いや、私じゃないですから!」
まぁおじさんここにいるし、ヒロトくんここにいないし。
「分かったわよ、いいから追いなさいよ!」
「ひぇ〜〜!」
というわけで、あっという間に成層圏を抜けて星の海。おじさんの前に畳1枚ぐらいのディスプレイが広がって外の宇宙がよく見えた。
おじさんが、あ、と指差した先に、星とは違う赤い光が動いてる。
ぐんぐん近づいて赤い光は巨大な宇宙船になって迫っている。
「じゃあ、ちょっと乗り込んでくるから待っててね」
おじさんは単身異星のUFOに向かった、らしい。突然消えた。
大っきな宇宙船が、また忽然とディスプレイから消えて、おじさんはヒロトくんを連れて戻って来た。おじさんの腕の中で、5歳のヒロトちゃんが眠っていた。
「さぁ、帰ろうかねぇ」
そう言うとディスプレイがノートの下敷きぐらいに小さくなって、星の海は闇の中から解放されて青い空と昼間の大洋に移り変わり、郊外の静かな住宅地の、ひと気の無い公園のブランコが見えた。
「着いたよ、ヒロコちゃん」
おじさんはあたしをポン! と放り出す。
ヒロトちゃんは、寝かされていたベンチの上で目を覚ました。
眠そうに目をこするヒロトちゃん、可愛い過ぎる!
「なぁに? おばさん、だれ……?」
「お、おば……?」
たじろぐ私。
「あ」と、ヒロトちゃんは私の左後ろに何かを見つけた、ように見えた。
えっとぉ、お名前は何ていうの?
ひとりなの? おうちどこ?
ひとりで帰れる?
じゃあ、送ってってあげようか?
食べ物は、何が好き?
犬とか、好き?
5歳の男の子の手を引いて、あっちだよ、と指差す方へゆっくり歩く。
チラチラと私の後ろの何かを見ながら、私の目を真っ直ぐに見上げて、私の問いかけにひとつひとつ、短く答えるヒロトちゃん。
「ここ、ぼくんちだよ」
「そう?」
私はにっこり笑って、じゃあね、と右手をヒラヒラ振った。
「じゃぁね、おばあちゃん……」
「お、おばあ……!?」
ただいま、と元気よく言って玄関に入っていく彼を眺めていると、
「話せたかい?」といっておじさんが現れた。
「おじさん、ひょっとしてあたしの後ろにいた?」
いなかったと思うけど。
「私じゃないよ」
おじさんは笑っていた。
* * * *
リッタル星と、我がアクィラ星は、古からの盟友国である。
が、歴史的にはアクィラ星の文明が遥か先を歩んでいる。超光速宇宙航行やら、時間跳躍などはアクィラスからリッタラスに齎された技術である。それ故リッタラスでは、アクィラスの常識に届いていない難題も多い。
「未開の田舎宇宙人は今だに人さらいをするのか?」
私はその古臭い宇宙船の中でツッコんだ。
「す、すいません! アクィラス様のお知り合いとは知らず」
「いや、知り合いではないが、大事な子なんだよ。この地球の子に何の興味が?」
リッタルでは未解明の生態に未だ物理的な観察をしないと気が済まないのかと、アクィラスとして少し恥ずかしくもある。
「この子には霊体を検知し、干渉する能力が有りまして」
「地球人にその能力は不要なのかね?」
「い、いいええ、あり得べき能力かと……」
「では拐ってるべきではなかったね!」
ひれ伏すリッタル星人たちに背を向けて、壁際で怯える子供と、抱き抱え格好でこちらを見る女に話しかける。
「おばあちゃん、かね?」
5歳児は答える。
「うん。こないだ急に居なくなってね、お父ちゃんにもお母ちゃんにも見えなくなっちゃったんだ。ね?」
背後の女に確認をとる。
「そうなのかい」
男の子はゆっくり頷く。
「わかったけど、おばあちゃんがそこにいることはお父さんにもお母さんにも話さない方がいい。まして知らない人に話してはいけないよ」
「うん……」
「あ、でもおばあちゃんの言うことはよく聞くんだよ」
「うん」
いい子だ。私は真っ直ぐ立ってリッタラスに声を張る。
「さ、終わりだ終わりだ! この子は返して貰う! お前たちも星へかえりなさい!」
私はそうして地球にもどり、リッタル星の巨大な旧型宇宙船は去っていった。
* * * *
この店に来るのは初めてではない。少なくとも彼女はこの私を知らない。
「いらっしゃいませぇ」
彼女はおしぼりを広げて手渡しながら笑顔を浮かべる。女の子の愛想は店の財産だと思う。彼女の後ろにいる女も、彼女の財産ということかな。
「何を召し上がりますか?」
「ジントニックを」
かしこまりました、といってカウンターから奥へ駆け込んで行く彼女。
「コラ、走らないの!」怒られた。
「申し訳ありません」と、怒ったおねえさんが落ち着いた感じで頭を下げる。
「あ、ヒロコっていいます。よろしくお願いします」
「よろしくね。私は、オオヒラさん、と、呼んでください」いちおう、自己紹介ぐらいはしないと、かな。
えー、アクィラ星人です。地球からは2億光年ぐらい離れてるから、知らないかもしれないんだけど。年齢は、先月かな、4368歳になりました。アクィラ星では平均年齢が7000歳ぐらいだから、地球人的には50代後半ってところかな。仕事はしてません。この、オオヒラさんは仕事をしてるんだけどね、大丈夫そうだと思って身体を借りてます。オオヒラさんの仕事は私には無理なんでね。
いや、人間7000年も生きてると、研究とか技術の発展とかいうのは、寿命の短い地球人のそれとは全く比較にならなくてね。
光速を超えるとか、時間跳躍とか、生命の創出とか、地球人にとっての謎とか不可能とかはだいたい克服してるんだけど、オオヒラさんの仕事は難しくてね。……あ、ここだけの話だよ」
「……へぇ、すごぉーい。あ、おかわり、つくりますねー」
まぁ、冗談、ということで。
彼女の後ろの女は、とくに身じろぎもしないで私を見ている。
「あ、宇宙船はこの先の橋の下に隠してあってね。ん、まぁ、いっか」
ヒロコちゃんがジントニックのグラスを私の前に置いたとき、店の入口のドアが開いて、明るい髪色に染めた若者が入って来た。
「いらっしゃいませ」
ヒロコちゃんは明るく短く声を上げて、固まった。
「ひ、……ひ」いい感じに驚いた。
朝方、夢枕に立って言ったとおりの時間だ。
「ヒロトくん……?」
「ここ、いいですか?」
青っぽい金髪の彼は、私の右隣の椅子を引いて腰掛けた。長っがい脚だ。
「ヒロコちゃん、おしぼりを、ほい!」
彼女は目を丸くしたままガチガチと奥へ歩いて行った。
なるべく平静を装いおしぼりを渡し、注文を聞く彼女の、左の後ろの女が、ヒロトくんに微笑んだ。彼も少し笑んだ。
えっとぉ、お名前は何て言うんですか?
今日はおひとりで? お住まいは近くなんですか?
歩いて、ここまで?
じゃあ、じゃあ、ゆっくりお話できますね?
食べ物は、何が好きですか?
犬とか、好きですか?
……そんなことを誰と話したんだったっけ。
「あの、会いたかったです」
ヒロトくんは真っ直ぐに言った。
邪魔しちゃ悪いので、私は離れた。
(結)
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