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プロローグ
一目惚れだった。
わずか八歳だったあの日の衝撃を、覚えている。
大叔父の家系だというその一家は、以前から年に数度、本家筋にあたる我が家に挨拶に訪れていた。伝統ある我が家には、そうしてやって来る親族が多い。
皆一様に貴族らしく整った容姿をしているが、その幼子は一際愛らしい質だった。
父親に似た真っ直ぐな金髪は、不思議と毛先だけ、桃色掛ってさらりと揺れる。母親に似た瑠璃色の大きな瞳は零れそうで、笑うと明るい海の色に輝いた。
将来の国王と一歳違いで産まれた、可憐な女の子。とはいえ、あの瞬間まで、彼女はあくまでも、将来の楽しみな親戚コマの一人に過ぎなかった。
そう、あの一瞬──。
きっかけは見ていないのでわからない。些細なことだったのだろうと思う。恐らく、子どもの無邪気な悪口か、おもちゃの取り合い。よくある騒ぎ。
新年の祝賀に、多くのヒトが集まった日だった。
私は次期惣領として両親と共に一段高い場所から、訪れた親族達を睥睨していた。
これも務めだと理解しているが、正直暇だしつまらない。侯爵家という権力にあやかろうとする浅ましさも、そんな俗物共をコマとして渡り合って行かねばならない己の将来も。くだらない。
退屈だ……。本の一冊でも読んだ方がよほど、有意義。
特に子どもの喚き声にはうんざりした。いくら顔見せのためとはいえ、躾を終えていない幼児を連れてきて、あまつさえ放置するとはどういう了見なのか。そんな輩、末席を名乗るのすら許し難い。
その時も、突如上がった甲高い喚き声と泣き声に苛立って、その親に一言苦言をくれてやろうかと目を向けた。
「……?」
けれど、飛び込んできたのは予想外の光景。いや、正確には、予想通りの光景と、予想外の一人だった。
騒ぎの中心にいるのは、年端も行かない数人の男の子と、二人の女の子。泣き喚く令嬢がどうやら、もう一人の令嬢を責め立てているようだった。どちらもまだまだ午睡の必要な年齢だか、確か、泣き喚く令嬢の方が年長だ。
私の目を奪ったのは、責められている幼子だった。
特徴的な髪色の彼女。
まだ四歳になったばかりのはずだ。なのに、その彼女の表情は……完全な、無──。
侯爵家の跡取りとして感情の制御を学ぶ私でも、八歳の今、あそこまで完璧な無にはなれない。
ほんのり張り付いた笑顔に感情はなく、大きな瑠璃色の瞳も何一つ窺わせない。名匠の作り上げた精密な人形のような、非の打ち所のない佇まいだ。
その小さな淑女の姿から目を離せずにいた私は、次の瞬間、呼吸を忘れた。
「っ!」
慌てて迎えに来た母親を見た途端、その無表情な瞳が色を変えた。
深く暗い、水底の色。
初めて見る、美しい青だった。その深海の瞳から一粒だけ零れた、大きな真珠のように煌めく涙。
こんな泣き方もあるのか──。
そう思った。私の目には泣き喚くより余程悲痛に、そして、尊く見えた。
何度も会ったことのある女の子だ。けれどその時。確かに私は、彼女の姿を心に刻んだ。
あの瞬間まさしく、海の底を映す瞳に惚れ込んだ。
明るい海の色も美しいが、深海の青はもっともっと綺麗だった。あの色が見たい。あの美しい涙が、もう一度……。
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