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僕は白川先生の言葉の意味をとらえそこねてキョトンとしてしまった。先生は「ああ、突然こんなことを言ってごめんね」と苦笑いして、すぐにきゅっと真顔に戻った。
「草壁がコンテストに出す写真を選ぶときにね、板谷君にも来てもらったんだ。そのときに僕は初めて話したんだけど……、彼はすごく聡明な生徒だ。そのぶん繊細でもある。だから……そばにいてくれる友だちが必要だと思うんだよね。君みたいに、まっすぐな感情で慕ってくれる友だちが」
慎重に言葉を選びながら話す白川先生を見ながら、僕は先生の優しい嘘に気づいてしまう。先生が板谷君に初めて会ったのは、写真を選びに行ったときではない。あの秋の日、T学園の昇降口で板谷君を捕まえた日だ。そのとき、先生は彼の話を聞いてあげたに違いない。もしかしたら今もやりとりが続いているのかもしれないな。白川先生の雰囲気から、プライベートな連絡先を生徒とこっそり交換するくらいのことはやっていそうな気がした。
そうだとしたら白川先生は、ぐちゃぐちゃの感情で苦しんでいた板谷君を救ってくれた恩人ということになる。
僕はあらためて先生の顔をまっすぐに見つめた。柔らかい笑みを口元に浮かべて、落ち着いた雰囲気の先生はとても頼りがいのある大人に見える。あのとき、この先生なら板谷君を悪いようにはしないと思った感覚は正しかった。
「はい。僕、板谷君のことが大好きなので。これからずっと仲良くします」
「うん、ぜひそうしてあげてね」
「あの……、白川先生」
「はい」
「今日、先生にお会いできてよかったです。それから」
僕はちょっと言葉を止めて、軽く息を整えた。
「草壁君によろしくお伝えください。入賞おめでとうってことと、素晴らしい作品を見せてくれてありがとうって」
白川先生は僕の言葉に、ふわあっときれいな笑みを浮かべた。まるで、自分が褒められたみたいに嬉しそうな顔で。
「うん。必ず伝える。草壁も喜ぶよ」
「じゃあ、失礼します」
「気をつけて帰るんだよ。もう暗いから」
先生はギャラリーの外まで見送ってくれた。すっかり日の暮れた銀座の街はイルミネーションでまばゆいばかりだ。僕は光の渦のなかを駆け抜けて地下鉄に飛び乗る。大変、夕食の時間に遅れそうだ。寮の食堂で、また板谷君と会えるだろうか。遠くからでもいい、彼の顔が見たい。この日の帰り道もずいぶん遠く感じた。
最終話「もう一度、あの海で」に続く
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