役者

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役者

人はみな人生という舞台で自分という主役を演じているのでございます。演じるということは端的に言うと虚構を作り上げることでございますまいか。 ある雪の日のことでございます。兎に角、他人より目立ち社長に取り入ろうという船山という者が職場におったのでございます。でこの船山、他の者には雪寄せをやらせず自分ひとりでやると言い出したのでございます。そもそもが他の従業員大半から反感を買っておりましたから、みな雪寄せをやめ中に入ってストーブにあたりながら船山を観察しておりますと、半分ほど雪寄せをすると煙草を吹かし休み始めたのでございました。で皆一様に、飽きたのだろうと口々に言って笑って曇りかけた硝子の向こうを眺めておりました。でそのあともやはり煙草を何本か吸ったところで急に火がついたように働き始めたのでございます。何がおきたやら全員不思議に思っておりますと遠くから社長を乗せた自動車がやってまいったのでございます。自動車は船山の近くへ止まり、社長は窓硝子を開け船山に声をかけたそうでございます。 「いつもお前がひとりでやってくれていたのか」 嬉々として船山は答えたそうでございます。 「誰もやらぬものですから俺がやっています」と。 これには中で見ていた全員が呆れるやら腹を立てるやら大変な騒ぎになったそうでございます。それ以前にも数々、船山が手柄のひとり占めをし社長から大変に気にいられていることは皆、嫌悪感を持っておったのでございます。そもそも船山がこの會社へ潜り込む前と云うのは数百万円の着服横領で逮捕されてのことだったのでございます。前のその會社は大手の會社で地元の者なら知らぬ者のない會社に船山は在籍していたのでございます。が博打にのめり込み借金をこさえ売り上げ金に手を出したという次第でございました。その当時の数百万円は新車の乗用車が一台買える相場であったのでございます。でこの弁済を役場に勤めておった船山の兄弟が退職金で弁済にあて、どうにか訴えを取り下げてもらったと伝え聞いておりました。狭い町でございましたし、役場と取り引きのあった會社であった為にその兄弟も役場には居られぬようになったことまで皆知っておったのでございますが当の本人船山は誰も知らぬと思い込み社長に取り入り気にいられておったのでございます。逆に申し上げるならば失礼ながら人を見る目がなく昼行灯の経営者がまんまと詐欺師に引っかかったと陰で笑われていることはその社長は知らないのでございました。いい加減に採用をする會社でしたから仕方がございません。が人の口は怖いものでございます船山の悪事などあっという間に職場中に広まってもなお知ってか知らずか船山をよくまめに働く者として社長は特に贔屓にしておったのでございます。何某か社長が船山を褒める度に社内では反感高まる一方でございました。でそれに気を良くし、またこの會社でもいろいろと悪事を働く船山でごさいました。多少の売り上げに手をつけるなどは朝飯前で社内の女性事務員につきまとって辞めさせたり仕事上知り合った顧客のこれも女性につきまとい、無理矢理に犯すなどやりたい放題を極めておったのでございます。が普段から意味もなくにやにやと笑っているその顔は知らぬ者からはにこやかな大変によい人と評判でございました。これは見る目のない連中だと訳を知る者は口々に申しておったのでございます。まるでこの世の天下でもとったと同然に振る舞いやがては上の役職に明き盲の社長が椅子を用意するのは誰の目にも確かでございました。私どもはどうにかこの船山の鼻っ柱を折ってやる方法がないものかよくよく相談したものでございます。これはこれで実に卑しく今となっては多少の反省はございますが兎に角飛ぶ鳥を落とす勢いの船山には反感を持つ者といずれ管理者になるのだと取り入る者とふたつに別れておったのでございます。が悪が栄えた試しなしと申します。船山がこの會社に勤めて十年ばかり経った頃でございます何度目かの女性への乱暴をついに警察に咎められるに至ったのでございます。ついにと申しますのも、これまでに両手の指では勘定のしようがないほど同じような過ちを繰り返しその度に社長が金や人を遣い示談し事なきを得ていたのでございましたが今回だけはとうとう示談する術なく警察沙汰になったのでございました。會社の名前が大きく書かれた商用の自動車に連れ込みその女性を力ずくで犯したのでございました。でその女性が白痴であった為に話しはそういった人を支援する団体の元まで聞こえおうせたものですから猫可愛がりの社長でも手が及ばずとうとうと申しますかやっと船山にお縄がかけられた次第でございます。で人というのはじつに恐ろしいものでそれまで無闇矢鱈に褒めちぎり可愛がっておった者でも會社に飛び火してはたまらぬと早々に解雇を決めたのは件の社長でございます。前の職場でのことを僅かでも反省しておればこのようなことにはならなかったことでございましょう。いい人を演じながら陰で悪事を働く。これは人間として最低のことと存じます。 芥川龍之介と申しますか吉川の僧都の言葉をお借りするならば 五常をわきまえねば、地獄に堕ちるほかはないそう申し上げても差し支えないのではございますまいか。
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