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朔は右手で、晃嗣の左手をそっと握ってきた。あまりに自然な動きで、晃嗣は驚くこともなく彼の手を受け入れる。
「晃嗣さん、あの時助けたおばあさん、大丈夫だったの?」
朔が誰の話をしているのかは、すぐにわかった。晃嗣は答える。
「うん、おでこを切っただけだった、わざわざ会社までお礼を言いに来てくれたよ」
「そっか、今も元気だといいなぁ」
晃嗣が同意のつもりで朔の手を握り返すと、彼は更に強い力で握ってくる。……大丈夫。少し不安なのは同じだし、恐怖や躊躇にも、2人で一緒に立ち向かい、受け流し、超えていく。きっと自分たちには、それができる。
「ね、晃嗣さん」
朔は耳に心地良い声で、少しだけ顔を寄せてきて話す。
「晃嗣さんのタオルと、コンドームとローション持って来たんだ……」
晃嗣は2度瞬き、朔の顔を見た。目が真剣である。そうか、予定をちゃんと伝えてなかった。
「俺は2泊ビジホを取ってる、歓迎して貰えてもそうでなくても、いきなり朔さんの家に泊まる訳にはいかないから」
朔の目が丸くなった。マスクをしていても、あ然としているのがわかる。
「はあっ? 何でだよ、今すぐキャンセルして! でなけりゃツインかダブルに変更」
「何言ってんだ、朔さんは実家で寝ろよ」
朔は駄々っ子のように、握ったままの手をぐいぐい押してきた。
「どうしてこうちゃんはそうなんだよ、変なとこで遠慮したり気を遣ったり……うちで準備してるに決まってるじゃないか」
「そうなのか? でも朔さん家に泊まったとしても、しない」
晃嗣が断言するので、朔は眉の裾を下げる。口調が懇願じみていた。
「何で? 俺とするのがそんなに嫌?」
「そういうことじゃないよ、こないだみたいに声出したら迷惑……」
声が大きくなってしまった気がして、晃嗣は口を噤んだ。そして朔と顔を見合わせ、2秒後に同時に笑った。互いの手をぎゅっと握り直して。
「うん、まあ、郡山に着いてから考えよう」
「こうちゃんをネコにするのが年内の目標なのに……」
「だから俺はネコじゃないって」
「ネコだよ、弄り回されるの好きなくせに」
「やめろ、公共交通機関の中だ」
晃嗣と朔がくだらないことを言っている間にも、窓の外の風景はどんどん流れて行った。
手を繋いだまま、晃嗣は良く晴れた空を窓から見上げた。朔も晃嗣のほうに身体を寄せてきて、外を見るなり思わずといった風に言う。
「わ、空真っ青だ」
思い返せば、朔と顔を合わせるのは、会社の中でなければ、いつも夜だったような気がする。
だから……晃嗣は思う。初めて一緒に見た、この空の色を忘れない。
恋人たちを乗せたやまびこは、東京を後にして、加速する。
《出来心、あるいは、必然。 〜デキる年下同僚を買ってしまった件〜 完》
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