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第1部 1
桜を見るのが好きだ。十五年前には草木や自然のことなど考えもしなかった。だが今は違う。上総惣一郎は十五年の刑期を務め上げてからというもの、運動公園のベンチに腰を据えて、とっくに散ってしまった桜の木を眺めて過ごしている。五十三歳。出ては入り、入っては出る。そんな調子で人生の大半を刑務所で過ごしてきた。
春が過ぎて、やがて夏の気配が漂い始めていた。そろそろ背広の上着が邪魔臭くなる。上総は葬式以外でネクタイを締めたことがないワイシャツのボタンをひとつ余計に外した。午後一時。運動公園の遊歩道には、ジョギングをする者や犬の散歩をする者たちなど、平日であるのに案外とひと気は多い。
遠くに白いジャージ姿の男が見えた。白いジャージの下は色褪せたジーパンと真っ白なスニーカー。真っ黒に日焼けした顔が白いジャージとスニーカーに映えている。男は走っている。ジョギングを楽しむような爽やかな面相ではない。長髪を頭の後ろで束ねてちょんまげにしている。首には金メッキの首飾りがじゃらじゃらギラギラと光っていた。ちょんまげが、ぜえぜえと荒い息を吐きながら走り寄ってくる。上総は目を細め、ちょんまげを斜めに見据えた。ちょんまげが上総の目の前に立ち、白いジャージの上半身を折った。苦しげに肺を鳴らしている。やがてちょんまげは背を真っ直ぐにした。背丈は高い。優に百八十五を越えている。
「叔父貴、探しましたよ。家に迎えに行ってもいないし」
自宅は運動公園のすぐ隣だ。隣とは言うものの、運動公園そのものが広大だ。だから上総を見つけるまでに、ちょんまげはあちらこちらを散々走り回ったことだろう。
「こんなとこで何やってんすか」
「桜を見てんだよ」
「桜なんてどこにもないじゃないすか」
「花が散った後も、桜の木は桜の木だろうがよ」
上総は目の前の大木を指差して見せた。裸の枝が西の方角からの生ぬるい風に吹かれて微かながらに揺れていた。
「さっき電話でも話しましたけど、親分が呼んでますよ。一緒に来て下さい」
「事務所か」
「はい」
「行きたくねえな」
「俺が怒られます」
「怒られたらいいじゃねえかよ」
「勘弁して下さい。たのんます」
ちょんまげが身体を折り曲げて、頭を下げた。上総は深くため息してから、重い腰を上げた。
「組のクルマ、そこに停めてますんで」
ちょんまげの後について、遊歩道を歩いた。駐車場へ降りるコンクリートの階段をちょんまげと並んで降ってゆく。
階段の真下、真ん前にメルセデス・ベンツが停めてあった。無論、階段の真正面は駐車スペースではない。
「どこ停めてんだよ、おまえはよう」
ちょんまげの後頭部を軽く叩いた。
「あいた」
「あいたじゃねえよ。きちんと白線引いてある場所に停めろよ。こんなヤクザみたいなクルマが階段の真ん前に停まってたら、他の人間が誰も通れねえじゃねえかよ」
「はい。すんません」
ちょんまげは目を白黒させながら、メルセデス・ベンツの運転席のドアに飛びついた。
「枠の中に入れ直しますんで」
「いいよ。今さらわざわざ動かさなくて。どうせすぐここから出るんだからよう」
「はい。すんません」
ちょんまげは後部座席のドアまで走ろうとした。
「ああ、いい、いい。ドアぐらい自分で開けるから」
上総は助手席に乗り込んだ。
「後ろじゃなくて、前の席に乗るんですか」
「いいじゃねえかよ」
「まあ、いいですけど」
ちょんまげは慣れた調子でレバーをドライブに入れ、メルセデス・ベンツをゆったりと発進させた。
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