悪魔を憐れむ

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悪魔を憐れむ

 ここ半年間の間、会社の繁忙期ということもあってまともに家に帰れないほどの忙しさだった。    一週間に一度休みはあったものの休みの日の昼頃に帰宅し、たまった洗濯と掃除をして眠ると休みが終わるというありさまだった。    それでも繁忙期を過ぎると会社に余力も出てきてたまりにたまっていた有休を消化しろとの会社からの命令が出た。俺は有休をまとめて使い一週間の休みを取ると実家に帰ることにした。ここしばらく帰れていなかったし、久しぶりに両親に顔を見せに行くことにしたのだ。    電車で一時間ほど揺られて地元の駅へと到着する。駅から実家まではそれなりに距離はあったが歩けないほどの距離ではなかったので歩いて向かうことにした。駅前の商店街は相変わらず人が少なかったがそれでも少し懐かしさを感じていた。    三十分ほど歩くと平屋の実家が見えてきた。玄関の扉に手をかけると鍵が開いている。田舎らしい不用心さだなと苦笑する。   「ただいま。帰ったよ」    玄関に入り靴を脱ぎながら中に入っていく。廊下の先のリビングからテレビの音が漏れ聞こえてきていた。リビングにいるのだろうとあたりをつけてリビングに向かうと思った通り母親と父親がこたつに潜り込みながらテレビを見ていた。    「ただいま。玄関の鍵は閉めた方がいいよ。今の時代何があるか分からないしさ」    母にそう告げると母は俺が帰ってきていたことに気が付いていなかったのだろう。驚いた表情をしていた。   「おかえり。早かったね。遠いところ疲れたろ。荷物置いてきな。今、お茶を入れてあげる」    にこにこと笑いながらねぎらってくれる。   「おう。おかえり」    父も新聞から顔を上げて言ってくる。   「ただいま」    ああ。実家に帰ってきたんだなとぼんやり思ったところで   「おかえりなさい。孝弘さん」    と俺の名前を呼ぶ人がいた。二十代前半ぐらいの見知らぬ女性が母の隣にこたつ入って笑っていた。   「え?」    長い髪の毛をポニーテールにしていて服装もトレーナーというラフな格好をしている。   「どうしたんだい?」    母が不思議そうに首を傾げる。父も何事かと俺を見ている。   「え? 誰この人?」    こたつでくつろいでいる女性を指さして俺が言うと、三人が顔を合わせる。そして、女性は呆然とした顔をして一瞬うつむいた後、顔を両手で多い泣き始めた   「え? 何?」    突然のことに狼狽える。   「あんた、何言ってるんだい? 理子ちゃん。ごめんね。この馬鹿にはちゃんと言っとくからね」    母が泣いている理子と呼ばれた女性の側にかがんで背中を撫でている。   「孝弘。それは冗談でも笑えんぞ」    父が眉をひそめて苦言を呈す。いや、二人とも何を言っているんだ? 俺の頭が混乱する。知らない女の人がいきなり自分の実家にいたら不思議に思うものだろう。   「あんた。自分のお嫁さんに向かって誰? なんてひどい事よく言えるね。私はあんたをそんな風に育てた覚えはないよ」    母が振り返って俺に向かって怒る。俺はますます混乱する。   「え? 嫁? 誰が?」   「あんたまだそんなことを!」    自分を指さしながら俺がつぶやくと母が立ちあがって食って掛かろうとしてくる。   「いいんです。お母さん。きっと私が悪いんです」    理子さんが母の服の裾を掴んで引き留める。   「理子ちゃん……」   「お前。本当に覚えてないのか?」    父が真剣な顔で聞いてくる。覚えている何もまったく知らない人だった。あったことも見たことない。そんな人が俺の嫁なはずがない。    そもそも結婚もした記憶がないのだ。    俺の狼狽えた様子を見て両親も心配そうに見てくる。それから理子さんを交えて話を聞いた。    三人の話しでは俺と理子さんは半年前に結婚したらしい。実家に同居することになっていたがちょうど繁忙期になり会社から帰れなくなるだろうことが分かっていたので先に理子さんだけ実家に住むことにしたらしい。信じられない話だが、それは本人も両親も了解していたとのことだ。    実際、理子さんは俺の両親とすっかり打ち解けていて家の中でも長い間一緒に住んでいたかのように溶け込んでいた。半年前の記憶はある。あまりにも会社が忙しくて会社と家を往復するだけの生活。睡眠時間も一日二時間も取れていなかったと思う。記憶はあると言っても毎日代わり映えのしない日々の記憶があるだけだ。でも、その記憶の中に理子さんの姿は無かった。    両親の話しではあまりの激務に道端で倒れた俺を見つけて病院に運んでくれたのが理子さんなのだという。そこから知り合った俺たちは次第に親しくなって結婚に至ったのだという。そんな話をされてもまったく思い出せなかった。両親が俺のことをだましているのかと思った。でも、そんなことをする理由が思いつかなかった。    友人に理子さんのことを聞いてみたら「ああ。あんな美人の奥さんもらって、お前は俺たちの裏切り者だよ。式まだしてないんだろ? やるときは呼べよな」という言葉をもらってしまった。会社に確認の電話をすると俺と同じく疲れ切った声で部長が「新婚なのに悪かったね。ゆっくり休んでくれ。新婚旅行にでも行くと良い」とまで言われてしまった。    俺の頭の中以外では理子さんは俺の奥さんということで間違いがないらしい。あまりに俺が狼狽えるので両親は俺を病院に連れて行った。病院で脳の検査やいろいろな検査を受けた。医者は首を傾げながら言った。   「どこにも異常はありませんね。仕事の忙しさで精神的に追い込まれてしまったのかもしれません」とあいまいな診断をされただけだった。  理子さんはまったく覚えていない俺に対してもとても親切にしてくれた。優しく接してくれて元来人見知りな俺に合わせるように距離感を保ちながら話しかけてくれた。    理子さんのためにも記憶を取り戻そうとした。二人の思い出を理子さんに聞いたりもした。二人で初めてデートに行った時、プロポーズをしてくれた時の話。両親を交えて家族旅行に行った時の話。さまざまな話や写真を見せてもらった。そんな思い出を話してくれている時の理子さんは本当に楽しそうに語ってくれた。    そんな理子さんを見ていると思い出せない俺自身が許せなかった。理子さんと一緒に暮らし始めてから三か月たった。相変わらず理子さんとの記憶は思い出せなかった。でも、それでもいいと思い始めていた。過去の記憶は思い出せなくても新たな思い出を作っていけばいいのだから。    理子さんと初めてデートに行った場所にもう一度デートに行った。プロポーズした場所でまたプロポーズをした。    俺が「結婚してください」と言って理子さんは頬を赤く染めながら「よろしくお願いします」と答えてくれた。  それから三か月。俺たちは新しく。もう一度であった二人として新たに夫婦となって幸せに暮らした。  これでいいんだ。そう本気で思っていた。
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