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「疲れた……とても疲れたわ爺や」
八品全てを所有者の元へ戻し終えた彼女は自室のベッドで大の字に転がっていた。
「盗みとは精魂込めて全身全霊を持って臨むものでございますよお嬢様。本来楽な盗みなどというものは存在しないのです。それは生存競争なのですから」
「そう……ええ、そうね。でも楽しかったわ。最高だった」
「それはようございました。お嬢様には天賦の才能があられるようです」
老執事の言葉に一瞬顔を輝かせた彼女は、しかしすぐに表情を曇らせる。
「でも、ひとの物を盗るのはやっぱり悪いことよね」
己の才能を自覚し褒められてもそれを生かす場が無い、生かすことは悪であるというのは、本質的には善良である彼女には重荷であった。
「然様でございますね。では盗らなければよろしいのでは?」
きょとんとした顔を向けて来た彼女に対して老執事はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「誰にも見られないよう目的の場所を訪れて誰にも見られず戻ってきたところで、誰に憚ることがございましょう。ひとに知られぬのが寂しいと思われるのであれば、銅貨の一枚でも置いてこればよろしいかと存じます。ひとの物を盗ってくるよりもよほど穏便にお楽しみいただけるのではございませんか?」
物を盗るのが目的ではなくただ己の才能を楽しみたいだけなのであれば、なにも本当に盗む必要はないのだ。承認欲求を満たしたいならひとに見られずそこを訪れた印のひとつでも置いてこればよい。
この答えに彼女は満足そうに笑みを浮かべて枕に頭を預けた。
「そうね、次からはそうする。ありがとうね爺や」
「滅相もございません。それでは私も自分の業務に戻りますので失礼致します」
深々と一礼して部屋を出ようと歩き出した老執事に、彼女はふと気になっていたことを思い出して口を開いた。
「そういえば爺や」
「なんでございましょう」
「“盗人の三戒”ということは、みっつあるのよね。最後のひとつを聞いても良いかしら」
彼は足を止めて彼女のほうへ向き直ると手袋をしたままの右手を軽く振った。次の瞬間そこには手品のように万年筆が現れる。それは彼女が彼から盗った、そして敢えて素知らぬ振りで返そうとしなかった唯一の盗品だった。
「みっつめは“奪われた物は必ず取り返せ”でございます、お嬢様」
あっ! と驚きの表情を浮かべる彼女を見て彼はふふっと得意げに笑う。
「もしや八件と申し上げたので私は気付いていないと思われておられましたかな? ともあれこれを返そうとしなかったのは目上と敬っていただけているからだろうと思いもしましたが、そうであれば尚更盗られたままでは私の沽券に関わりますので」
老執事は貴族の娘と仕える使用人ではなく、お互い一個人として尊重するからこそ対等の気持ちを込めて悪い笑みを浮かべた。
「俺から物を盗ろうなんざ二十年早えぜ、お嬢ちゃん」
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