毒林檎

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「ななみゃー、ランキング見た?」 「興味が無い。その呼び方は止めろと言ったはずだ、八尋」 「いいじゃん。ななみん、ななみー、ななみんみん」 「………はあぁぁ」  灰色の片目を隠すように片側の前髪を伸ばした、隣で両手を握り、わくわくと首をこれでもかと伸ばす男を見て、思わず後悔のため息が深く漏れる。  この風変りな男とは一年時からルームメイトであり、二年になってもそれは続いた。こいつが何故、こんなにも首を長くして待ち侘びでいるのか。それは、こいつが先ほど言っていたランキングに関係する。  俺の家系は代々、主人を見つけ仕える家系だ。  主人に一生お仕えし、御守りする。それが至福の時である。――それが、家に代々受け継がれる家訓だ。幼少期から厳しい教育を叩き込まれ、最初は、何で俺が他人のために身を犠牲にしなければならないんだと思ったが、それは兄と兄が仕える方を見て変わった。傍から見ても、二人は互いに信頼し合っていた。  こんなに羨ましいな、と思ったのは生まれて初めてで、そんな感情が可笑しいと思いながら、少し胸が高鳴っている自分がいるのを俺は自覚していた。  天彗学園に入学したのも、この学園に優秀で文武両道の家柄の良い子息が自然と集まるからだった。俺もようやく、お仕えできるのだと心が躍った。そうして一年経っても今、俺が「この人だ」と思える方には出会えなかった。  主人を見つけられない俺は、この学園を卒業後、親から宛がわれた人間に仕える予定だった。 「駄目だぞぅ、ななみゃー。少しは人に興味を持たないと」 「……ふん。それで?」 「それがさあ、新入生の子が一位になったんだって」  だから?と心底どうでもいい感情が沸き上がってくる。それは、諦めに近かった。入学したての新入生に何ぞ興味が一ミリも沸かない。俺は、残りの二年間を無駄に過ごさなければならない。隣でわーわー八尋が喚くが、そんな声も食堂に集まった親衛隊の甲高い声にかき消される。 「あ~、早く会いたいなぁ」 「…そんなに待たずとも会えるだろ、この後」 「それまでが待ち遠しいんだよ」 「…――わぁ、」  抵抗する俺の腕を引き、最前列まで八尋に連れてこられた俺は近くの柱に背中を預けて目を閉じていた。親衛隊の不快な話し声を、八尋がまだかな、まだかなと口煩くブツブツ呟く声で紛らわさせていると、急にその呟きは途切れる。不自然に思い横目に八尋を見ると、奴は口を大きく開けていた。  何だ、何がコイツをこうさせている?  その視線の先を見て、俺は固まる。  この人が自分の主人だと、確信した。  理由なんて特にないし、自分でも分からない。何故だかそう思った。七宮、と俺を呼ぶ八尋に返事をするよりも先に、間抜けな声が自分の口から出るのが早かった。  止まっていた心臓が、熱を持って動き出す。生徒会の列に紛れて階段を上っていく姿を目で追いながら、煩い鼓動ごと押さえ込むように、ぐっ、と心臓のある部分をシャツの上から強く握る。――はは、やっとだ。やっと、見つけた。  そこからは早かった。  八尋から提案された、白露様の親衛隊設立。どこの誰かも分からない有象無象よりも先に、面倒臭い集団化する前に誰よりも早く作る。反対する理由もなく、すぐさま俺は同意する。どちらが隊長になるかは一度揉めたが、そこはご愛敬だ。  俺が何で性格が正反対のコイツと一年も過ごせたのか。それは何かと八尋と気が合ったからなのだろうと、嫌々感じた。  八尋は規律(ルール)を、俺は秩序を。  経ったの一日。それでも白露様の雰囲気に充てられ、親衛隊の人数が増えるのは時間の問題だった。二人で見極め、規律を破る生徒は正す。そこから張り巡らされた情報網。その得た情報に眉間に皺が寄る。  脳に教育が行き届いていない愚図が、白露様によからぬことを画策していると。  八尋と俺が一番心配していたのはこれだ。白露様は自由気ままなお人で、寝床を決めて無防備にお眠りになられる。誰も護衛をお付けにならず、一人で。だからこそ、今のうちに手を出そうと考え付いたのだろう。 「おい、噂通り本当に寝てるぞ」 「自分がこれから何をされるか分からないでな」  実行が行われるのは、ひと気の少ない休憩時間。中庭に続く柱の影で、潜めき合う大柄な愚図二人に静かに忍び寄る。何がおもしろいのか、下劣にげらげら笑う愚図の肩にぽん、と手を乗せればびくっと肩を震わせて振り返った。  くそが。  両者共に情欲に目が淀んでいて、その顔に浮かべる笑みは下品だ。もし、少し遅れていればこのような低俗な愚図に、無理やり白露様に触れられたと思うと心臓が冷えた。 「おい、何をしている」 「あ?まだ何もしてねえよ。まだ、な」 「よく見たらお前も綺麗な顔してるじゃねえか。こっちに来いよ」 「ちょうど四人だ、はは!!」  救いようのない。頭の中で妄想でもしているのだろう。この愚図共の中で俺は、お綺麗な顔らしい。愚図共は口を開かない俺に勘違いしたらしい。肩に乗せていた俺の手に、愚図の一人が手を伸ばした。ぐいっ、と掴まれた腕に舌打ちをこぼす。  いいだろう。俺も相手の腕を掴み返し、そのまま相手に向かって大きく足を踏み込み、自由な方の拳を腹に叩きこむ。どさっと地面に倒れ込んで、腹を抑えて蹲る愚図を見て、もう一人の愚図も襲い掛かって来るが、動きが単調で簡単に制圧できる。 「クソがッ、何なんだよお前!!あいつを独り占めする気か?」 「俺達が先に見つけたのに!!」  先に見つけた、だ? じろじろと顔を舐め回すように白露様に不敬な視線を向けていた愚図共の顔を思い出し、チッ、と俺は舌打ちして、足元で蹲る愚図共の背中を全体重をかけて踏みつける。酷い嫌悪感だ。吐き気すら込み上げそうになってくる。 「口を慎め、汚らわしい。あの御方の名を語るな」  ひっ……と情けない声だけを残して、地面に沈んでいく愚図を上から見降ろし、愚図の涎のせいで穢れた革靴の爪先を振り払うように足首を回す。それでも穢れはとれず、仕方が無く愚図の制服に擦りつけ拭った。 「よし、こんなもんかな!これで凛月君は守られる!足りないところは後々付け足していこう」 「そうだな」 「うん!そうと決まったら、凛月君に伝えに行こう!」 「そうか」  …――は?  八尋と何回も話し合いを続け、ようやく纏まった親衛隊での遵守すべき規律。どれも白露様に迷惑をお掛けしないように徹底したものばかりで、これは俺達が知っていればいい話だった。なのに、八尋は今何と言った。本人に、伝えに行くと、そう言ったのか。 「ばっ、待て……ッ、八尋!」 「あはは~、待たない!」 「ここかな」  昼休みの時間、またもや俺は八尋に無理やり連れ歩かれていた。どこにそんな力があるのか、腕を引っ張られて辿り着いたそこは、お伽話に出て来るような雰囲気の植物園だった。  植物園はひと気が無く、道中の草花を踏みつけないように慎重に歩く。どこか異世界に迷い込んでしまったように感じながら、先を進むと、ふと足を止めた八尋が遠くを眺めており、俺もそちらに顔を向けた。瞬間、ドクンと跳ねる心臓。  ぽつぽつと小さく咲く草花の中で白露様が横たわっていた。  天窓から差し込む陽光を浴び、こちらに背を向けたそのお姿はまるで日を浴びる妖精だ。俺はそんな白露様を前に、情けなくも目を奪われ動けなくなった。  なのに、八尋は俺の緊張も葛藤も感じず、呑気に我先にと歩き出し、俺はただ八尋の姿をじっと見送る。 「あ、いたいた。凛月君~」  八尋は背を向けた白露様に、なんの躊躇いも無く背後から声を掛け、そんな声に白露様の頭がピクリと揺れて、その拍子に耳にかかった黒髪が滑り落ちる。無礼だぞ、と叱咤してやりたいのに、俺は話し出す二人を前に無意識に隠れてしまった。  自分でも、何故隠れたのか分からない。  俺が白露様と話をしたことなど一度もない。そんな俺が白露様の視界に入っていのか、緊張からか心臓が破裂しそうだ。 「あ、それとね!凛月君に紹介したい人が居て。おいでよ、ななみゃー」 「――っ、おい…!!」  ああ、やめろ。自分自身の葛藤と闘っていたのに、物陰に隠れていた俺の腕を八尋は引っ張って、あろうことか白露様の前に引きずりだす。  呆然と俺は立ち竦む。せめてもの抵抗で八尋を睨み付け、ぐぐぐと、掴まれている腕を握り返していると、呟くように、ななみゃーと白露様が口にした。弾かれるように、ばっ、顔を上げると息が詰まった。 「俺もそう呼べばいいの」 「い、いえ!これは八尋が勝手に呼んでいるだけで…どうか七宮とお呼びください!」 「そっか、七宮」  眉尻を下げた柔らかな表情で、己の名前を呼ばれ目を見開く。なんだ、これは。名を呼ばれただけなのに、満たされたような充足感。全身が沸騰しているようだった。愛おしさからなのか興奮からなのか、異常な感情の昂ぶりに頬が火照る。  口はカラカラに乾ききっていた。返事の代わりに首を縦に振ることしか出来なかった。それに何を思ったのか、白露様は凛月と呼んでと俺を見上げる。俺は宇宙を背負った。凛月様と呼べ、だと?無理に決まっている。主人を名前で呼ぶ、だなんて。  え、あっ、と戸惑う俺を、長い睫毛に縁取られた紫紺の瞳に覗き込まれ俺は固まった。   「いいの、ななみや」 「うっ、あ…」  驚いて目を見開いていると、白露様は俺の目の前に立って、ずいずいと距離を詰める。良い匂いだった。近付いたせいか、あたたかな体温が密かに伝わってくる。人を惹き付けるような雰囲気を纏う彼も、人間なのだから当たり前なのだろうが。  ――ほら、鼻と鼻がくっついてしまいそうだ。  そう子供のように無邪気に目を細めるな。そんな表情もするのだな、と思うのと同時に、ごくり、と大きく喉が鳴った。 「り、凛月様!!」  半ばやけくそ気味にそう叫べば、凛月様はにこりと笑った。その笑った表情にどきりとして、熱い顔を隠すように俺は俯いた。
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