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 硬く踏み固められた氷が、アスファルトをくすんだねずみ色に染めていた。  人の背の高さまで雪の積もった、クリスマス前の港街。  運河と硝子細工で有名なメインストリートは、その日も観光客で賑わっていた。雪にはしゃぐ我が子を叱る、くたびれきった父母。大量の紙袋を提げて闊歩する外国人のグループ。時折通りかかる車は、溶けてすすけた雪を跳ね上げながら、車道にはみ出た通行人にけたたましいクラクションを浴びせていた。  そんな心温まる雑踏の中にありながら、彼の表情は暗かった。  栄養状態が良くないのか、血色の悪い顔。防寒着と呼ぶにはあまりに貧弱なダウンジャケット。猫背気味な歩き方も相まって、整った顔立ちをしていながら、実年齢よりも老けた印象を見る者に与える。  老舗のオルゴール店にも暖かそうな海鮮食堂にも、ご当地マスコットの軽薄なテーマソングを流し続ける土産物店にも目もくれず、彼は俯き加減に歩き続ける。  と、不意に凹凸の乏しい靴底が、スケートリンクの如き路面でまともに滑った。  かろうじて片手をついて尻もちこそ避けたものの、その代償に手首に鈍く重い痛みが走った。顔をしかめて身を起こしつつ、小さく「やっぱり戻って来るんじゃなかった」と毒づく。  彼がその街を訪れたのは、これが二度目だった。最初に来た時は季節は夏で、隣には彼の恋人が歩いていた。  深く愛しあった、幸福な日々の記憶。今は思い返すたびに、鋭い痛みを心にもたらす。それでいて触れずにはいられないほどに、今でも彼の中で美しく輝き続けている。まるで割れてしまった上質な切子のグラスのように。
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