カラのはら

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 心療内科の待合室でぼんやり自分の名前を呼ばれるのを待ってる時間が一番執筆が進む、気、が、する。  薄っぺらいタブレットの画面に映し出される、昨夜書き上げたばかりの小説を眺めた。誤字を直す。付属品のタッチペンが画面を叩く小さな音が耳に届く。 「梶原さーん、診察室へどうぞー」  ぼんやりしていたせいで、わたしの名前だと気づくのに数十秒かかった。診察室に向かいながら、本名より、ペンネームの方が反応がいいらしい、と唇をゆがめる。自嘲、自嘲、自嘲。  診察室には、いつもの先生。こんにちは。最近どうですか? 曖昧な質問には曖昧な返答をするに限る。いつも通りです。白い壁。窓には分厚いカーテン。足音を殺しながら動き回る看護師。 「薬の方はどうですか? 飲んでるときに違和感はありますか」 「いつも通りです。悪いところは、なにも」 「良かったです。それにしても寒いですねぇ。昨日の夜はお鍋をしました」 「わたしは……ええと、ああ、牛丼食べました。レトルトですけど」 「珍しいですね。締切が近いんですか?」 「筆が乗ってて、食事作る時間が惜しくて」  我ながら適当な返事だと思う。わたしはこの先生との語らいを目的にここに来てるのではなく、やはりあの待合室の椅子に座りたいだけなんだなと思う。すべて無駄なことだ、とささやき声が聞こえた。思考がマイナス方向に転がしだしたのを感じて、思考にブレーキをかける。  代わりに、鍋は食べるのではなく、するもの、脳内に緩くメモする。なにかのネタになるような気もしたし、すぐに忘れてしまうような気もした。
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