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【第一話】地下茎
始まりはどこだったのか、今となってはわからない。ただ、英美さんにとってのそれははっきりしている。斜め向かいの土井さんの家の庭に季節外れの彼岸花が咲いているのを見つけた時だった。瑞々しさを保った黄緑色の茎がまっすぐ天に向かって伸び、両手に収まり切らないような真っ赤な花を咲かせていた。ゴミ出しついでにフェンスの向こうに目をやっていると「おはよ、英美さん」と向かいの椎名さんに声をかけられた。
「どうしたの、土井さんと何かあった?」
「あ、いえ。こんな季節に珍しいなと思って」
「ああ、彼岸花。確かに不思議だね。今まで気づかなかった」
「何か特殊な栽培法とかあるんでしょうか?」
「どうなんだろ?あんまりガーデニングとかに気を使うタイプの人じゃなかったと思うけど。それに、今はそれどころじゃないんじゃない? いろいろ忙しくて」
土井さんのところのお爺さんは先日家で亡くなったそうだ。朝6時からのラジオ体操を欠かさない元気な人だったが、ここのところの猛暑で熱中症にやられ、あっけなく息を引き取ったらしい。英美さんたちは葬儀に呼ばれたわけではないが、土井家に多くの人が出入りしてばたばたしている様子はここ数日見ていた。
「ここ最近の暑さ、はっきり言って異常だもんね。あたしたちも気をつけなきゃ」
「彼岸花は咲いてますけどね」
「そこ、こだわるね」と歯を見せて笑っていた椎名さんが一瞬で顔を曇らせた。英美さんの隣の住人、日比野さんが現れたからだ。両手にゴミ袋を持った彼女は異様なほどに目をぎらぎらさせ、土井さんの庭の彼岸花を眺めていた。
「見事に咲いたわね。そろそろじゃないかと思ってたの」
「何がですか?」と尋ねる英美さんに椎名さんが眉を吊り上げる。
「不思議に思わない? こんな季節に彼岸花が花をつけるなんて」
「ですよね」と応じようとした英美さんは、「別に?」と返した椎名さんの圧に押されて慌てて口をつぐんだ。
「彼岸花はこの世とあの世を繋ぐ花……死を告げる花なのよ」
満面の笑みを浮かべた日比野さんに椎名さんがわざとらしく肩をすくめた。
「バカバカしい。何の根拠があって……」
「根拠ならあるわよぉ」
日比野さんの声も椎名さんに釣られてだんだん大きくなる。間に挟まれた英美さんはおろおろするばかりだ。
「土井さんの裏の家も、その隣の家も季節外れの彼岸花が咲いたその日に誰かが死んだ。これはただの偶然かしら?」
「話になりませんね。たまたま起きたことを無理やり線で繋いで面白がってるだけでしょ。あなたはいつもそう。いい加減にしてください!」
Webデザインの資格を持っている椎名さんは、短期契約でいくつもの会社を転々としている。ある会社の面接当日の朝、通りかかった日比野さんに出くわしたことがあった。まるでお告げのように「あなた、今日は落ちるわね。そんな相が顔に出ている」と言われ、実際に不採用になったことを彼女は今に至るまで根に持っている。
「面接の日にあんなこと言われたら誰だって気になって集中できないでしょ?無意識の暗示ってヤツ。あそこ、めちゃくちゃ条件良かったのに!」
そう憤る椎名さんの話を英美さんも何度も聞かされた。
「信じるかどうかはあなたの勝手ですけどね。一ついいことを教えてあげる」
椎名さんをいなすかのように日比野さんは笑みを浮かべ、声を落とした。
「彼岸花はがどうやって増えるか知ってる? 種や胞子じゃないわよ。地下茎で増えるの。土の中で横に伸びた根が敷地を超えて数を増やしていく。次はあなたの家かもしれないわね」
椎名さんはその言葉に答えなかった。まるでそこに英美さんの他には誰もいないかのような涼しい顔をしていた。
「急ごう、英美さん。収集車来ちゃうよ」
椎名さんはそう言い捨てるとすたすた歩き始めた。英美さんも急いで後を追う。その途中で一度だけ、小さく振り返った。日比野さんはゴミ袋を持ったまま、同じ場所に突っ立っていた。口には変わらずにやにや笑いを浮かべていた。
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