喫茶店とプレゼント

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喫茶店とプレゼント

 努はにやっと笑って、親指を立てて電車に乗り込むために改札口にむかっていった。吸い込まれるように、その姿はすぐに雑踏にかき消される。おまえも別れずに、ワガママな恋人とうまくやれよ。  ひらひらと手を振って逞しい背中を見送り、俺は待ち合わせ場所の西口にむかった。  すぐに夏目さんが待っているのが見えた。薄灰色のマフラーを巻いて、焦茶色の革手袋をはめて本を読んで立っていた。目鼻立ちがくっきりとして、どこか醒めたような眼を落としている。誰もが彼に視線を泳がせて見ているのが分かり、ちょっとうれしい。  やばいな。夏目さん、今日もいい男だ……。 「な、夏目さん……!」  手をあげて走って、パパこと夏目さんに駆け寄った。 「やあ、理久くん」  飛び上がりそうなステップで向かうと、すぐに柔らかい視線を注いでくれる。  ああ、きょうも溺愛されたい。よしよしイイコされたい。  秒で癒されていく……! 「ま、待ちました?」 「いま来たところだよ」  耳朶が赤く染まっているのが目に入り、それが嘘だとわかる。灰色の空に、ふうっと吐いた息が白く浮かんだ。 「今日は誘ってくれてありがとうございます」 「僕こそクリスマスが近いのにありがとう」 「……えっと、本屋でしたっけ」 「うん。絶版になった本を探したくてね」  いつも高級宝飾品が集う街を指定してくるのに、今日はめずらしくそこから離れた場所だった。  俺たちは並んで細い路地を歩いた。駅とちがって人が少ない。ちょっと足を伸ばせばスノボー用品が並ぶ通りでテンションが上がる。 「本好きですもんね。夏目さんのことが知れてとっても嬉しいです。今日はな にを探すんですか?」 「ああ、ちょっと国語辞典をね。編成した先生が亡くなって手に入らないんだ」 「へえ、そうなんですか」 「ここよく来る?」 「ええ。スノボー買いによく友達と遊びにきます」 「……そっか」  大通りから一本奥の道に入ると、ひっそりとした佇まいの店が並んでいた。耳の奥のさっきまでの喧噪がぴたりと止んだ。インクと紙とカビがまじった本独特の香りが鼻をつき、本棚が様々な本で埋まっている。  国語辞典なんてどれも同じだと思っていた。だが夏目さんいわく、用例や紙質、言葉や考え方ど辞書によってまったく異なるそうだ。 「考えごとをしたいときは辞書を読むんだ」 「辞書、ですか?」 「うん。おもしろいよ。ひとつの言葉でいろんな解釈があって興味深いんだ」 「へえ……、僕も今度眠れないときやってみます」  それから世間話などを交わし、目当ての辞書を三件目にて見つけ、俺たちはノスタルジックな喫茶店に入った。しっとりとしたジャズが流れるなか、珈琲をふたつ注文した。 「どうしたの?」  黙りこんでうつむく自分に、夏目さんは怪訝そうな視線を送ってきた。 「あ、いや……。こ、これ俺からクリスマスプレゼントです」  さっと、脇にあった鞄から空色に包まれた長方形の箱を渡した。 「……え」 「く、クリスマスプレゼントです……。気に入ってもらえるかどうか……」 「……びっくりしたな。プレゼントなんて久しぶりだ」 「……よ、喜んでくれたらうれしいです」 「あけてもいい?」 「は、はい」  ドキドキと高鳴る鼓動を感じながら、静かにうなずいた。はたから見れば、父親にプレゼントを送っているほほえましい親子と見えるだろう。でも俺の胸は爆発しそうなくらい、鼓動を打ち鳴らしていた。 「ありがとう。ネクタイか。素敵な柄だ」  紺色のネクタイを箱から出して、夏目さんは柔和な笑みを見せた。 「よかった。友達と選んで正解でした」 「友達って、あの図書館の?」  すぐに、夏目さんの顔が曇るのがわかった。なにかおれはしでかしたのだろうか。 「あ、そうです。俺、豹柄のやつにしようかとしたら怒られちゃって……」 「そっちでもよかったのに……」 「いやいや! こっちで正解です」 「そんな……」  残念そうにつぶやいて、夏目さんは横の壁時計に目をやった。 「……このあと時間あるかな? スノボー用品も見ていこうよ。近くにあるよね」 「えっ……」
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