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脅威の姉はいつも怖い
いつもの姉の一言が怖かった。
「ちょっと、ひま?」
これだ。すぐこれだ。
野口 理久こと俺は、朝日がうららかに輝くリビングでバターを塗りたくったパンにかじりついていた。
まだ夏になる前で、外は雨もなく風もなく穏やかに晴れていたときだ。それなのにその一言に気持ちが奈落の底へと沈んで、おれはしおしおとなった。
「え、あ。ちょ……」
「あんた、ひまでしょ?」
圧がすごい。
そして、その答えは一方的に決まっている。
「ひまじゃ……」
「ひまじゃん」
この女、俺の姉である。姉の第二の性はオメガだが、おれはゴリラだと思っている。
二つ上の姉は読モ兼女子大生で、うつくしく可憐でまるで百合のようだが中身は野生化したゴリラ。俺はというと、しがないベータのフリーターで、平凡な日々を過ごしている常識人だ。
姉の朱美はなにを思ったのか、深く頷いて命令をするように言い放つ。
「理久、かわりにパパ活にいってくれない?」
「あ?」
両親が仕事に行ったのを見計らって言っているのはわかっている。
無造作ナチュラルマーメイドアッシュのヘア、そして厚塗りマスカラで濃くなった睫毛が揺れて片目でウィンクした。目だけが笑っていない。
こわい。そう口にするとぶん殴られる。
「だから、パパ活に行ってくれない?」
「俺、金髪だけどダイジョーブ?」
「大丈夫、だいじょうぶ! 金髪刈り上げでもだいじょ~ぶ。あんた、オッサン大好きでしょ?」
いや、そうだけど。そうじゃない。そういう問題じゃない。
確かに好きだ。
おっさんが好きだ。
好きだけどさ……、どうしてそうなるんだ。
この二つ上の姉は、なにを狂ったのか、いまパパ活にはまっている。オメガ女子というブランド力を利用して、そんなグレーすれすれの活動に時間を注いでいるクズだ。
ちなみに両親ともに健全で金に困っているわけでなく、暇だからというなんともいえない理由で始めたそうだ。クズ以下か。
「……やばい奴とかいるんじゃない?」
「大丈夫! 地雷Pには事前にネットワークをきかせて、ブロックして予防線を張っているから安心してよ」
地雷Pってなんだと訊くと、地雷パパの略だった。男はおっさんになってでも大変なんだなとちょっと同情したが、性欲と欲望にまみれて値切ってくるやつもどうかと思う。
つまり、均衡がとれているということか。
「つうか、なんでいまさら?」
「そろそろやめようと思ったんだけど、新規でアポ入れてたの忘れちゃっていたのよね~。ヤバイヤバイ」
いや、やばいのは姉貴だろ……。とは口にはだせなかった。言ったら、顔が変形するまでぶん殴られる。
おれは落ちたパンを三秒ルールですくいあげ、それを口の中に入れて飲み込んで訊いた。
「えっと……、パパ活をやめんの?」
「そうよ。だから協力しなさいよ」
「その、さ。……ドタキャンすればいいじゃね?」
「は?」
「……ドタ」
至極まっとうな意見を繰り返し伝えようとしたが、ものすごい形相で睨まれた。噂にきく可憐でおしとやかなオメガはこの家にはいない。
「するわけないでしょ。せっかくの好条件なんだしお茶ぐらいしてきてよ」
ぐうも言わせぬ押しのつよさ。
どうしてこうなった……。いや、親のせいか。
男女という性をもち、大半がベータという第二の性のバースを持ち、あまりお目にかかれないアルファと数少ないオメガが存在する。
我が家はというと、ベータは父と母だけだった。
そこに、どうしてか、オメガというバースを秘めた姉が誕生してしまった。
この見てくれだけの、うつくしい姉に両親は虜となる。オメガというバースはめずらしく、華奢で見目麗しい姿が特徴的で、発情期がくるとアルファというバースだけに反応するフェロモンを放って誘うらしい。
父親はアルファいう男が俺の天使を奪っていくなんて……と秒で嘆き、母親は赤子可憐な満面の笑みに惑溺してしまう。ちなみにアルファとはチート的存在で、金持ち、頭がいい。身長が高い。欲しいものすべてを手にしているやつらだと俺は思っている。
とにかくだ。溺愛ぶりがすごい。
あふれんばかりの寵愛を注がれ、すくすくとわがままに育った。そして、数年後にベータの俺がおまけで生まれた。
姉がオメガという理由で友達を連れてくることを禁止され、大人しかった俺は姉専用のパシリと化し、ぼっちへと成長したのだ。
姉は彼氏、セフレまで連れてきては、菓子を用意しろ、買って来いと家から追い出す毎日。友達も家によべず、おれは不憫設定だけを重ねていく日々を過ごしていた。
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