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君と離れた理由
「ごめんね。待たせちゃった」
私が喫茶店のテーブル席に座っていた奈美に軽く頭を下げながら謝る。コーヒーを飲んで待っていたらしい奈美は小さく首を振った。
「いいよ。いいよ。大変だったんでしょう」
座るように促してくる奈美にもう一度小さく頭を下げた後、着ていたコートを脱いで席に座る。
「そうなのよ。聞いてくれる?」
勢いよく奈美に言い募ろうとする私を奈美はにこにこしながら見つめている。
「わかったから。落ち着きなよ。ほら飲み物だけ注文しちゃおうよ」
奈美からメニューを受け取ると、私は店員さんにホットティーを注文する。
しばらくすると、店員さんがテーブルにホットティーを運んできてくれて、一口飲むと冬の寒さに凍えていた体が中から暖まる。
「落ち着いた?」
奈美の言葉に私はうなずく。
「ごめんね。慌ただしくて」
「いいよ。絵里はそういうところも可愛いから」
くすくすと笑いながら冗談めかして言われて私は少し恥ずかしくなって頬が赤くなる。
「それでストーカーは捕まったでいいんだよね?」
奈美が心配そうに聞いてくる。そうなのだ。私は一年ほど前からストーカーらしい被害を受けていて何度も奈美に相談していたのだ。
「うん。本当にびっくりしたよ」
「一年ぐらい前だっけ? 絵里が誰かに見られているような気がするっていいだしたのは」
「そうだよ。ちょうど彼氏と付き合い始めたころだったかな。妙に大学構内で視線を感じるようになってさ」
「気のせいではなかったんだよね?」
「始めのうちは木のせいかとも思ったんだけど、家の最寄り駅とかで誰かに後をつけられているような感じもするようになってさ」
「だから、最寄りの駅で降りるのはやめるようにアドバイスしたんだよね。毎日降りる駅を変えてそこから先の交通手段も帰るようにって」
「うん。あの時は助かったよ」
実際、奈美のアドバイスを受けてからは少なくともつきまとわれるような気配はなくなった。
「でも、しばらくしたら家のマンションのゴミ捨て場が荒らされるようになったんだよね」
方法はわからないけれど、どこからか住所がバレてしまったらしいのだ。
「さすがに怖くなって彼氏にも相談してさ、よく家に来てもらうようになったんだ」
「ああ。園田くんだっけ? すごい体格いいよね彼」
「うん。高校まで柔道部だったらしいんだよね。彼氏がきてくれるようになってからまたつきまといみたいなのはなくなったんだけど。今度は無言電話や、メッセージが届くようになったんだ」
「メッセージ?」
「うん。いつも見ているとか、君のことが忘れられないとか、恥ずかしがらないで会おうとか、会ってくれないのは彼氏に監禁されているからだろうとか言ってきててさ」
「なにそれ怖っ」
自分の体を抱きかかえるようにして奈美がつぶやく。
「ね。本当に怖かったんだよ。しかもそれからちょこちょこ私の私物も無くなるようになってさ」
「え。盗まれていたってこと?」
「うん。さすがに家の中では無くなってないんだけど、ボールペンとかハンカチとかがいつの間にかなくなってることが何回かあったんだよね」
「警察行ったほうがいいやつじゃない」
「うん。今ならそう思うんだけど、当時は警察もこんなことぐらいじゃ動いてくれないって思い込んでいたんだよね。彼氏にも迷惑かけたくなかったし。彼氏にはほとんど毎日打ちまで送り迎えしてもらっていたし、いっつも気遣ってもらってたからこれ以上心配掛けたくなかったんだよ」
「優しい彼氏でよかったね」
奈美の言葉に私は思わず自嘲的な笑みを浮かべる。
「何。どうしたの?」
「ううん。なんでも無い」
「でも、犯人つかまったんでしょ?」
「そうだよ。数日前なんだけど、夕方家に帰ってきたあと疲れてそのままリビングで寝ちゃったんだよね。それで夜中になんとなく目が冷めたんだよね。
その日は彼氏は仕事でいなくて一人で寝てたんだけど、玄関の鍵しめたかなって不安になって玄関にまで見に行ったんだ。
そうしたら案の定鍵がかかってなくてすぐに鍵を掛けたんだけどその直後にドアノブがガチャリって回されたんだよね。しかもその後も何度も回して部屋の中に入ろうとしてた。
私は怖くなってその場で座り込んでいたんだけどしばらくしたらドアノブを回すのを諦めて人の気配がしなくなった。彼氏に連絡したけど夜も遅かったら連絡つかなくて。怖くて玄関で朝まで座り込んでた。
朝になってあたりが明るくなってきてようやく動けるようになった私はベランダに干しっぱなしになっていた洗濯物が揺れてるのに気がついたんだ。よくよくみると干していた下着がなくなってた」
「うえ。なにそれ。犯人が盗んでいったってこと?」
「たぶん。で、さすがに怖くなってすぐに警察に相談したんだ。そうしたら話を聞いてくれた警察の人が良い人でパトロールの巡回を増やしますってよく聞くような回答だったんだけど、実際にかなり注意してパトロールしてくれてたみたいで私の部屋の郵便物を覗き込んでいた犯人を捕まえてくれたんだ」
「へぇ。凄いね。それで犯人は誰だったの?」
「……彼氏」
「え?」
奈美が呆然とした顔をする。それもそうだろう。私も聞いた時は信じられなかった。
「彼氏なのに私のことストーカーしてたんだって」
「どういうこと?」
「私も分からないよ。頼ってくれてるのが嬉しかったんだって」
私が視線を感じたり、誰かにつきまとわれているかもしれないと相談したときにこの子は俺が守ってあげないといけないと思い込んだらしい。
ずっと守っていてあげないと。つきまといや視線は実際には気のせいだったみたいだけど、それで頼られなくなることが怖くなった彼氏は、自分でストーカー行為をすればずっと守ってあげられると考えたらしい。
「愛してるから守ってあげてたんだよ」
あの焦点のあっていない目でそう言われた時は背筋がぞっとしたものだ。
「私に優しい言葉を掛けながら、その横で私に脅迫メール送ってたんだって」
どういう気持ちでそんなことをしていたのだろう。私にはまったく理解ができない。
「……そっか。本当に大変だったね」
いたわるように言ってくれる奈美の心遣いが嬉しかった。
「うん。ありがとう」
「これからは相手をちゃんと見ないとね。絵里はちょっと隙が多いからね」
「そんなことないよー」
「あはは。どうかなー。ほら、部屋選ぶ時だって一階はやめたほうがいいっていったじゃん。今回下着を盗まれたのだって一階だったからってのはあるしね」
「……うう。そうだけど、家賃やすかったんだもん」
「そういうところは絵里らしいよね」
くすくすと奈美が笑う。
「でも、選ぶ下着も気をつけたほうがいいんじゃないの。派手な下着買ってるじゃん」
「買ってないよー。地味な奴しか持ってないもん」
「ああ。プリント柄のやつ?」
「もー。馬鹿にしすぎでしょ! さすがにそんなことはないよ!」
頬を膨らませて奈美に言い募ると、奈美はまた小さく笑う。
「ごめん。ごめん。でも本当に気をつけなよ。男は狼だからね」
「何それ。表現が古くない? あ。ごめん。もうすぐ大学の講義始まっちゃう。もう行くね。これ。私のお代」
テーブルに自分の支払い分のお金を置くと席を立ち上がる。
「うん。気をつけてね」
小さく手を振ってくる奈美に会釈を返すと私はコートを手にとって席を離れる。店の出入口まで、少しづつ早足で移動する。
店の扉を抜けて大学へ向かう大通りに早足で向かう。次第にどんどん早くなり、私は全力で駆け出してた。
あの店から一歩でも一秒でも早く離れたい。
確かに盗まれた下着は派手なものだった。それはこの前誕生日に妹から送りつけられたものだった。
「お姉ちゃんも彼氏できたんならこれぐらいの下着はいたほうがいいよ」とからかい半分で妹に押し付けられたのだ。
中を見てみるとショーツというよりもほとんど紐なんじゃないかと思って、とてもじゃないけど履けないと思った。
でも、一応プレゼントだしと思い一度だけ履いて、恥ずかしすぎてすぐに脱いで洗濯してほしておいたのだ。
私は派手と言われるような下着はあれしかもっていない。逆に言えば確かに一枚は持っていたのだ。
妹にもらった次の日の朝に盗まれるまでは。
でも、どうして私が派手な下着を持っていると奈美は知っている?
知っているのは妹と……。
私はそれ以上考えるのが怖くなり、後ろも振り向かずに全力で駆け出した。
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