公園

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公園

 公園には乳白色の薄霧が立ち込めていた。無機質な街灯の明かりがベンチにぼんやりと腰掛けている僕を照らしてくれている。  街灯には大量の羽虫達が群がっていた。街灯の光に縋りつこうとする羽虫の姿は祭壇の前で膝を折って祈りを捧げる母の姿と二重写しになって見え、気持ちが滅入りそうになる。  僕は深いため息をつきながらズボンの右ポケットから湿ったタバコを1本取り出し、口にくわえた。火はつけなかった。唇の間に挟まるフィルターの感触を感じながら、僕はしばらくの間、羽虫たちの行動をじっと観察することにした。 「こんな遅くに子供が何をしているんだ」  突然、後ろから誰かに声を掛けられた。低い男性の声だった。ゆっくりと背後を振り返る。そこにはスーツ姿の男性が険しい顔つきで僕のことを睨みつけながら突っ立っていた。そういえば今、何時なのだろう。滑り台の横にある時計台にふと目を向けてみる。時計の長針は現在の時刻が23時であることを指し示していた。 「煙草か?それ」  背広姿の男が射貫くような視線を僕に浴びせながら話しかけてくる。 「火はつけてないよ」 「そういうことを聞いてるんじゃない。何で子供がそんなものを持っているんだってことを聞いてるんだ。どうやって買った? まさかお前、どこかから盗んだんじゃないだろうな? 」 「違うよ」  僕は煙草から口を離し、嘲りを含んだ底意地の悪い笑みを頬に作りながら言った。 「これはね、プレゼントなんだ」 「プレゼント?」 「そう、プレゼント。神様からのね」  僕は人差し指を1本立てて、暗い井戸の底のような闇ばかりがひろがっている頭上の空を指差した。 「大人をからかうのもいい加減にしろよ」  押し殺したような男の声には、明らかに苛立ちが含まれていた。声は怒りからなのか若干震えており、目も心なしかギラついている気がした。男の全身から漂ってくる気迫をひしひしと肌で感じながらも僕は、目の前にいる男を挑発することを止めなかった。 「いい加減にしなかったらどうする? 僕を警察にでも突き出すの?」  警察という単語が自分の口から出てきた瞬間、無意識のうちに自嘲めいた笑みを口元に浮かべている自分に気づいた。愚かで馬鹿げたことをしている。その自覚はあった。僕は人殺しだ。僕の指紋がたっぷりついた包丁と洗濯機の中にある返り血のついた衣服を調べれば、僕が犯人であることはすぐ明らかになってしまうだろう。もし警察を呼ばれたりすれば未成年喫煙どころの話では済まなくなる。  けれども僕は何故かは分からないが自分自身の未来を目の前にいるこの男に委ねてみたいという狂おしい想いに駆られた。それは破滅願望に近い衝動だった。違い運命の天秤がどちらに傾くのか、僕の関心はもっぱらそのことだけに終始していた。神はサイコロを振らない。であれば目に見えない法則、あるいは運命めいた何かが自分をどこへ連れていくのか最後に見てみたくなったのだ。  ちょうどその時、表通りの方からパトカーのけたたましいサイレンが聞こてきた。心臓がいやな感じに跳ねあがる。既に警察が動き出しているのかもしれないと思うとすぐにこの場を立ち去りたい気持ちと、捕まって楽になってしまいたいという気持ちが自分の内側から沸々と湧いて出てくる。相反する2つの感情が自分の内側で激しく渦巻き、等しい力で拮抗し、停滞していた。自分でも何がしたいのかいまいちよく分からなかった。僕はいったい何がしたいんだろう。 「そうなったらお前の親はきっと悲しむだろうな。お前も嫌だろ? 親が悲しんでる姿を目にするのは。 分かったらさっさとそれを捨てて家に帰れ。今回だけは見逃してやる」 「見逃してくれるんだ。おじさんは優しいんだね」  手に持っていた煙草を再び口に咥え、火を付ける。僕はわざと見せつけるようにして煙を口から吐いてみせた。  白い霧のような紫煙が口の端から立ち昇り、生暖かい風にのってどこかに消えていった。鈍色の雲間からは僅かに月が顔を覗かせている。白い冷ややかな月明りが夜霧に紛れ、ぼかされていた僕の姿を克明に暴き出していく。 「おじさんは神様って信じる?」  
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