暗渠血海

12/13
29人が本棚に入れています
本棚に追加
/30ページ
「先に行ってるぞ。いい加減に切り上げたら、隣りの部屋だ」  舟蟲は苦笑しながら武官セクレタリー室をあとにした。  ピレイがすでに隣りの部屋へツアー客を案内して、大きな声で説明していた。 「ここは総務部です。館員たちの就業や給料、衛生管理、文書などの事務管理をしていた部署です。だからとても広い面積もってます」  ほとんどの机や椅子、パーテーションパネルは片づけられ、その気になれば室内テニスが二面もできそうな空間に変貌している。スチール棚が壁際にあるだけで、その棚もすべてが空っぽの状態だった。  見学者たちはばらばらに徘徊を始めた。蜘蛛の巣の張った天井にスマホを向けたり、窓のブラインドをめくってみたり、ひび割れした床を踵で叩いてみたり、まるで小学生の遠足か何かのように歩き回った。何の変哲もない伽藍洞のようなスペースから宝物を探すような動きだった。  ディズニーキャラをあしらったカットソーを着た梶田碧衣と霊感の強そうな小林奈菜が壁際に揃って並び、スマホでセルフ撮りをしている。二人の少女からは笑みがこぼれていた。  奇妙な異変を持参してきたのは、遅れてやってきた伏見敏夫だった。レッドソックスの野球帽のツバを反対側に向け、しきりにファインダーを覗きこんでいる。 「白っぽい靄みたいのしか、写ってないんだよ。おかしいなあ。やっぱ、心霊現象の一つかな」 「えー」  みんなが伏見の周りに集まった。集まりながら、それぞれがスマホを手にして画像アプリをタップした。 「あ、うそでしょ」 「げ、マジか!」 「バッテリ残量がゼロになってる。さっき、充電したばっかなのに」  彼らはスマホを振ったり、電源ボタンを何度も押し直し始めた。  舟蟲も自分のスマートフォンを取り出して、ディスプレイを眺めた。  真っ黒い画面になっている。電源ボタンを押したが無反応である。舟蟲は小林奈菜の様子を窺った。みんながスマホと格闘しているにもかかわらず、彼女の顔は違う方向を向いていた。壁際のスチール棚である。  舟蟲はスチール棚へ目を凝らした。  おぼろげながらも、そこに金髪の男の子の姿をみとめた。男の子は、ぐわっと口を開き、息を吐いた。その時だけ子供の顔は肉食獣のような容貌になり、魚の腐ったような悪臭が漂った。 「あの子、誰ですか!」  奈菜が舟蟲に問いかけた。舟蟲はそれには答えず、「みんな、ここはやばい! 引き上げるぞ。急げ!」  舟蟲はおぞましい違和感を覚えた。  肝試しツアー客が本物のパニック状態になる前に撤収した方がいい。舟蟲はあの男の子がただの浮遊霊ではないことを感じていた。 「グズグズするな、早く!」  舟蟲が怒鳴ると、若者たちは我先にと総務部屋の戸口に殺到した。  その際に、リクルートスタイルの阿久根淳が何かににつまずくように足を滑らせた。はずみで、あとに続いた一眼レフカメラの伏見とリーダー格の遠沢拳也が将棋倒しになる。  ゴキッ。バキッ。  骨がひしゃげるような音が響いた。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!