今日から僕は君のもの 〜眼鏡令嬢と拗らせ騎士の初恋〜

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「何だか今日は利用者が多いわね」  図書館で書籍の管理簿を確認しながら、ふと手を止めて見渡すと、いつもより利用者の数が多い。  騎士に文官、騎士見習いの他に侍女もいる。 「何かあったのかしら」 「君を見に来ているんだよ、アデライーデ」 「私?」  チャーリーの言葉に思わず大きな声を出してしまった。慌ててチャーリーに顔を寄せ小声で尋ねる。 「何それ、どういうこと?」 「食堂で転んで眼鏡割れて騎士に助けられたんだろう」 「色々端折られてるけれど、そうね」 「その時に君の素顔を見た奴等が、夜会のパートナーにと君を誘いに来てるんだよ」 「……ちょっと意味が分からないわ」 「何故?そのままの意味さ。声を掛けられていない?」 「全然。誰にも声掛けられていないわよ」 「それは多分その眼鏡のせいだろうな。本当にアデライーデがあの時の女性なのか、みんな分からないんだね」 「…よく分からないけど、絶対に眼鏡は取らないわ」 「取ったら仕事にならないしね」 「そうよ」  あの日の翌日、事情を話して仕事は休みを貰い、チャーリーにお願いして眼鏡を作りに街に出た。  案の定、私の視力に合う眼鏡は店にはなく、仕方なく一番度の強いものをとりあえず購入したけれど、少し離れるとよく見えない。でも、ないよりはマシだ。  ため息をつきチラリと周囲を見ると、確かにこちらを見ている気がする。でもこの眼鏡だとよく分からないし、正直知りたくもない。 「…この眼鏡で良かったわ…」 「これが出会いの機会になる、とか思わない?」 「思わないわ。目立たずひっそりと生きていくのが私の理想だもの」 「でももう注目を浴びているね。侍女達の目つきを見なよ。凄く怖いから」 「どうして侍女達に睨まれなくちゃならないの」 「本当…」  君って子は、とチャーリーがくつくつと笑い声を上げた。 「君を助けた騎士だよ。ルートガー・エジャートン」  その名を聞き、思わず手が止まる。 「…何?」 「エジャートン卿と言えば、この王城で一二を争う人気の騎士だ。二十四歳という若さで副隊長にまで登り詰め、実家は有名な子爵家。男女問わず見惚れるほどの美貌の持ち主で信じられない程人柄もいい。それなのに未だ婚約者もなく浮いた話の一つもない」 「チャーリー、あなたそれ誰から聞いたの」 「さっき、その辺の侍女から」  チャーリーはトントンと机を指でたたきじっと私を見つめる。 「どうだった?」 「何が?」 「五年ぶりに会う彼は」 「……別に…よく分からないわ、見えなかったし…」 「五年もたてば人は変わる。君も変わったじゃないか」 「そうかしら」 「そうだよ。身体の弱い伯爵令嬢が王都で自分の力で働いて自立した生活を送っているなんて、誰も思いもよらなかっただろうね」 「…そうね」 「私としては、一度彼ときちんと話してみるのがいいと思うけどね。何にせよ、君にとって過去と決別して一歩踏み出すいい機会だよ」 「決別?」 「そう。このまま過去に縛られていては身動きが取れないよ」  チャーリーは懐から懐中時計を取り出し時間を確認すると、さて、と背筋を伸ばしにっこりと笑顔を見せた。 「さあ行こうか、アデライーデ。私との逢瀬の時間だよ」 「ほらアデライーデ、次に行くよ」 「まだ何か買うものがあるの?」 「次は宝飾品を見よう」 「今から?私もう疲れたわ…」 「じゃあ本屋にも寄らず帰る?」 「それは寄るわ!」  仕事を終えてすぐ、チャーリーの用意した馬車で街へ出た。夜会まで時間がないからと、チャーリーがプレタポルテを紹介してくれたのだ。チャーリーがドレス代は支払うと言ってくれたけれど、そこまで甘えるわけにはいかない。決して安いものではないけれど、仕立てるものとは違い私の給料でも買える。…高いけれど。  ドレスなんてなんでもいいと言うと、チャーリーの美的感覚がそれは許さないらしく、チャーリーと店員に随分とあれこれ着せ替えられ、クタクタになった頃やっと納得のいくものを購入することが出来た。淑女って大変ね。  街は日が傾き街灯がぽつぽつと灯り始めた。  隣で機嫌よく歩くチャーリーは、高襟のシャツにクラバットを締め、ジャケットを着こなしている。象牙のステッキを持ち、短い髪に上質なハットを被るその姿は完全に麗しい紳士だ。  そんなチャーリーは疲れ切った私の手を取り、自分の腕に絡ませた。 「ご褒美は最後だ。さあ、付き合ってもらうよ」 「本だけじゃ足りないわね」 「では有名なレストランで夕食はどうかな」 「……デザートもつけてちょうだい」 「仰せのままに、レディ」  そう言うとチュ、と私のこめかみに軽く口付けをする。なんだかとんでもなく遊び慣れた紳士にしか思えない。道行く令嬢が頬を染めた。 「アデライーデ」  馬車の行き交う音、人々の喧騒で賑やかな通りだと言うのに、私はその声を確かに拾った。通りの向こうにゆるゆると視線を向けると、騎士団の隊服を身に纏った背の高い男性が立っている。 「……ルートガー?」  私の掠れた呟きに、チャーリーが隣で反応し私の視線の先を辿る。 「…あれが?」 「え、あの…」 「…ふうん、ちょっと面白い事になりそうだ」 「え?」  チャーリーが声を潜ませ耳元で笑う。意味が分からなくてもう一度聞こうとすると、通りの向こうに立っていたルートガーがいつの間にか目の前に立っていた。 「アデライーデ」  強く名前を呼ばれ、思わず肩が跳ねる。  先日会った時には全く分からなかったその姿を見ると、やっぱり背が高くなったし、顔付きに精悍さが加わり記憶の頃よりもずっと大人の男性だった。   「…ルートガー」  思わずギュッとチャーリーの腕に捕まる手に力が入った。ルートガーが薄く眉根を寄せる。 「……眼鏡は無事作れたんだね」 「ええ。私には少し度が弱いんだけれど、ないよりはマシだわ」 「そう、良かった。…その、体調も良さそうで安心したよ」 「知っていたんでしょう?私が元気に働いていることを」 「それは…」 「なら心配しないで。もう私は大丈夫だから」  思いもよらず冷たい声が出た。何故かイライラする。ルートガーは苦しそうに眉根を寄せその顔を歪ませた。 「アデライーデ、君はまだ…」  そう言って唇を噛み締めた。何故私がそんな顔をされなければならないのか。道を行き交う人々が不審な顔で私達を見る。  そう、彼等は目立つのだ。早くこの場から逃げ出したい私の気持ちを察したのか、チャーリーが私の手をそっと撫でた。 「初めまして」  チャーリーはルートガーへ片手を差し出しニッコリと笑った。ルートガーはチラリとチャーリーを見ると、一転して氷のような視線に変わる。 「ルートガーだね。チャーリー・バーグースだ。アデライーデから君の話は聞いてる」  ちょっと、余計なこと言わないでよね!?  益々チャーリーの腕を掴む手に力が入る。 「…僕のことを?」 「アデライーデと幼馴染だと」 「……ええ」 「騎士とは知らなかった」 「家を継ぐまでは騎士として力をつけるつもりです」 「殊勝な心掛けだ」 「…あなたは?」 「私はアデライーデの友人だよ。次の夜会でパートナーを彼女に頼んだのでね、今日はドレスを買いに来たんだ」 「……夜会?」 「そうだよ。ね、アデライーデ」  チャーリーが何を考えているのか分からない。私は返事をせずむっつりとチャーリーを睨みつけた。全く効果ないけど。 「仕立てるには時間が足りなくてプレタポルテだったんだが、せめて宝飾品はいいものを買いたくてね」  ルートガーが目を瞠いて私を見た。 「アデライーデ、夜会に出るの?」 「え、ええ…」  そういえば夜会に出席するのは初めてだったわ。 「夜会では彼女に目を奪われる紳士が沢山現れるだろうね。美しく着飾った彼女をエスコート出来て、私は光栄だよ」  チャーリーが大袈裟に、まるで舞台俳優のように言うのを私は憎々しげに睨みつけた。  いいから早くこの場から立ち去りましょう!  そんな気持ちでチャーリーを見つめると、何やら良からぬことを考えているような、意地悪な笑顔を向けてくる。  やめて、本当やめて!何か分からないけどやめて! 「…アデライーデの顔色が悪いようだ。無理に連れ回るものではない」  ルートガーが眉間に皺を寄せ温度のない声で言うのを、私は首肯した。チャーリーは私の顎に指をかけ自分の方へ向かせた。実際、この場の居心地の悪さに顔色は青いはず。 「そうだね、買い物はまたにする?」 「……ええ、そうね」 「分かった。食事は行くかい?食べれそう?」 「…ええ、大丈夫よ」  今まで見たことのない冷たい表情でチャーリーを見ているルートガーにチャーリーはにっこりと笑い掛けると、ハットを指で持ち上げ、では、と挨拶をした。 「…っ、アデライーデ」  横を通り過ぎるその時、ルートガーが私に手を伸ばした。見上げると何かを迷うように視線をウロウロと彷徨わせ、でも結局その手を下ろした。 「………気を付けて」 「……ええ」  それだけ言うと私たちは近くに停めてあった家紋のない立派な馬車に乗り込んだ。背中にいつまでもルートガーの視線を感じながら。  馬車が動き出すとチャーリーはすぐにくつくつと笑いだした。 「何?」 「いや、なんだか可哀そうなことをしたかなと思って」 「…よく分からないけれど、その割には楽しんでいるように見えるわ」 「正解!」  チャーリーは美しく口元に弧を描きハットを脱ぎ捨てた。 「アデライーデ、宝飾品はしばらく様子を見よう。これで彼がどう出るのか見ものだな」 「何の話?」 「あの目は本物だということだよ。やっぱりちゃんと話をするべきだよね」 「チャーリー、分かるように説明して」 「分からない君も悪い」 「さっぱり意味が分からないわ!」 「そのうち分かるよ。私がいいきっかけになって、君は私に感謝する日が来ると思うな」  美しいその人は、やっぱり私に分かるように説明してくれないのだった。
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