空染と星撒

8/8
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
一日休むよう言われたけれど、星撒だって昨日の夜から働きっぱなしだ。 どうせ眠れない。 午後になって、池へ降りた。 まだ、池に近づくと足が震える。 それでも。 「星撒」 染めにきた。 「もう少し休んでこい」 おぼつかない足取りを見る。 「寝てもこれ以上は変わらないよ」 隣に立つ。 「汲妹は?」 「休んでもらってる。  今日は夜を手伝ってもらうから」 「そう…」 昼下がり。 穏やかな陽光に照らされて。 ムラのないグラデーション。 「寂しい空だね」 ポツリと言う。 夜がこわいんじゃない。 星撒の染める空が。 「孤独の味がした」 「…汲妹にも言われたよ」 自分の寂しさを描いてるって。 「師匠も言っていた。  星撒には、絶対的な黒が刻まれてるって」 「いつ」 「かなり昔。  俺がまだ仕事を手伝い始める前」 あれは、ずっと忘れていた過去だと思う。 「…そう。  だから、俺は夜にも染まらない。  だから、夜を任されただけなんだ」 空染は黒に溶けてしまったのに、助けに来た星撒は平気だった。 「お前は、  もう夜には近づくなよ」 「…うん」 本当は、自分が制御できないんだと、池の水を櫂で撫でる。 「こんな自分勝手な空しか描けない。  人間の心を休めることも、  励ますこともできない」 美しいグラデーション。 一点の乱れもない。 寂しい空。 「昼は俺が染める…!」 震える足を踏み出す。 「馬鹿!」 ぐらりとバランスを崩して。 星撒にしがみついた。 「本調子じゃないんだろうが」 しがみついたら。 震えが止まっていた。 あの頃のようだ。 二人でふざけながら染めた。 「手伝って」 顔を上げた。 「雲の白とって、刷毛準備して」 鮮やかな翡翠色を取る。 ほんの少しだけ垂らして。 薄雲を晴らす。 「濃くないか?」 「こんくらいの方が、  雲が映えるよ」 白雲を、高い空に、細く。 掃いたように流して。 遠くの誰かに、思いを馳せるように。 胸の奥に。 すうと風が吹く。 「この空…」 覚えてる? 星撒はなにも言わない。 「高い雲。  陽が傾いたら、  黄金に染めるよ」 てきぱきと甕を片付ける。 次の色を準備する。 刻々と時は移る。 少しずつ。 白い雲を。 黄金色に。 それから橙を通って。 鮮やかな珊瑚色に。 空は紺碧。 雲と空は混ざり合わず。 強いコントラスト。 誰かに、精一杯語りかけるように。 「どんなに寂しい夜を描いても、  必ず俺が昼に染め直すよ」 染め方は、教えてもらってきた。 「うん」 頷いた兄弟子の横顔。 この空の色も、星撒は解さないのだろうか。 星撒自身が教えたのに。 刻々と。 夜が近づく。 「頼む」 決して分かち合うことができなくても。 昼と夜は永遠に繰り返す。 何度でも染めよう。 鮮やかに。 穏やかに。 甕を置く。 葦が揺れる。 水面は、静かに色を飲み込んでいく。 「おやすみ、空染」 「また明日、星撒」 終
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!