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最終番外編 長瀬もも✕橘亮太✕uta
「…ホントにこれでいくの?」
ももは不安げに、目の前の大きなキャンバスを見つめた。
「ホントにこれでいきます。」
橘は自信たっぷりに、目の前の大きなキャンバスを見つめた。
橘のマンションの部屋の一室。
大小のキャンバスと絵の具が散乱しているこの部屋で、ももと橘は一枚の絵の前に立っている。
この一ヶ月、橘は寝る間も惜しんでこの絵を描き上げた。美術館の仕事もこなしながらだったので、相当大変だったと思う。そのことを、目の下のクマとやつれた頬とツヤのないボサボサの髪の毛が物語っていた。
来週、utaの活動再開が発表されることになった。もちろんまだ顔出しはしないが、伝説の画家の復帰となれば相当な話題になることは間違いない。
そして、その復帰作を橘は今朝、描き終えたのだ。
「…でもやっぱり…恥ずかしいんたけど。」
ももの言葉に、橘は目を細めた。
「大丈夫。すごく綺麗です。」
そう言いながらチラリと向けられた視線にはやはり、橘が本来持ち合わせている艶かしさがある。
付き合い始めて半年が過ぎた。相変わらずの陰キャ姿を貫いているとはいえ、彼がたまに見せる色気には今でもドキッとさせられてしまう。
「綺麗って…。」
ももはもう一度、絵に視線を戻した。
橘…もとい、utaが復帰作として制作したのは、女性のヌードだった。
ヌード、とは言っても後ろ姿。それも上半身だけ。多少はデフォルメされているし、しかも鮮やかな色調で仕上げてあるのでいやらしい印象は与えない、というのが橘…いや、utaの主張だ。
しかし、この絵のモデルが自分であることを聞かされてしまった以上、ももは最低限の抵抗を試みることとなった。
「…でも、あまりにも今までの作品と違いすぎない?女性の裸って…やめたほうがいいんじゃない?」
「別に今までだって、これといったコンセプトがあったわけじゃないですよ。その時に描きたいものを描いてきただけです。」
「でも…世界中のファンたちがびっくりしちゃうかも…やめたほうがよくない?」
「逆に願ったりです。かなりインパクトのある復帰になりますね。」
「でも、でもそれに…ほら、これ。」
ももは、絵の中の女性の背中を指さした。
「…こんな背中のホクロまで、正確に描かれてるし…これが私だってバレたら、橘くんだって困るでしょ?やっぱり違う作品にしたほうが。」
ももの背中には、小さなホクロが二つ並んでいる。腰の少し上の辺り。
橘は、そのホクロまでをも絵に落とし込んでいたのだ。
「何言ってるんですか。このホクロは、この絵のアクセントです。ここから生命の息吹を感じられる構成にしてるんですから。」
得意気に言う橘に、ももはため息をついた。
ホクロから生命の息吹って…。
もはや、天才?鬼才?の考えることは意味がわからない。
「それに、このホクロからこの女性がももさんだなんて気づく人がいます?第一、実在の人物かどうかなんて誰もわからないでしょ。それとも、ももさんはそんなに多くの人に裸を見せてるんですか?」
「…そういうことじゃなくてさ…。」
そういうことではないのだ。
もちろんこの絵は素晴らしいと思うし、憧れの画家であるutaのモデルになれることは、光栄極まりない。
ただ、自分が言いたいのは…。
「だって…せっかくの復帰作なのに。その絵のモデルが私だなんて…申し訳ないじゃない…。」
そう。この絵は、utaの復帰作となる。
そして来年の春に開催されることになった嶋宗清一郎とのコラボ展にて、嶋宗の代表作と並んでメインで展示されることになる作品だ。
そんな大切な作品のモデルが自分とは…嬉しいなどと手放しで喜べるはずもなく。
もし不評だったらどうしよう。私のせいで、世界中のファンの人たちをがっかりさせてしまったら?
大好きなutaの作品だからこそ、そんなふうに思ってしまう。
しかしそんなももの気持ちなど、世界のutaにとっては関係ないようだ。
後ろからもものことを抱きしめると、橘は耳元に唇を寄せた。
「…僕は、ももさんを描きたいんです。また絵を描こうと思ったのはももさんのおかげなんだから…これ以外なんて、考えられない。」
橘の息が耳にかかって、くすぐったい。ふっと、体の力が抜けていく。
「ももさんは、僕のミューズなんですから。」
「…ミューズ?」
「そう。僕の創作意欲を掻き立てる、僕だけの特別な存在です。」
耳たぶに触れる唇が、ひんやりと気持ちいい。
そういえば忘れていたが、橘はとても頑固なのだ。一度決めたことは、よほどのことがない限り揺るがない。
きっと、何を言っても無駄。
何となくわかってはいた。
ミューズ…。
まぁそれも、悪くない…か。
ももは、とうとう諦めることに決めた。
「…どうなっても知らないからね。」
「大丈夫です。僕が描いた絵ですよ。間違いなく、世界から称賛を浴びます。」
どこから来るのかわからない、この自信。しかし、橘のそういうところに惹かれたのも事実。
この絵が…近いうちには世界中に知れ渡ることになるんだ…。
不思議な気持ちで絵の中の女性をボーっと眺めていると、橘がももの首筋にキスをしてきた。
それと同時に、服の中に大きな手が滑り込んでくる。
「…っ…ちょっと、橘くん…。」
橘の手は、ももの体を容赦なく撫で回した。その手を押さえようとするが、逆に押さえられて身動きが取れなくなる。
「…ダメですか?せっかく泊まりに来てくれたのに、昨日はももさんに触ることもできなかったし…。」
甘い声で囁かれて、危うく理性が飛びそうになるのを何とか持ちこたえた。
するりと腕の間をすり抜けると、ももは睨むように橘を見上げた。
「橘くん、昨日もお風呂に入ってないでしょ?今日はこれから仕事なんだし、シャワーして準備しないと!ね?」
「えー…。」
おあずけを食らって不満そうに口をとがらせた橘だったが、すぐに何かを思いついたのかニヤリと笑った。
あ、ヤバい…と、ももが思ったのも束の間。橘は軽々と、ももの体を持ち上げた。
「じゃあ一緒にシャワー浴びましょう!まだぜんっぜん時間ありますから!」
嬉しそうにそう言いながら、橘はももを抱えたまま部屋を出て行こうとする。
「えっ…ちょっと…。」
最大限の抵抗をすべく足をバタつかせるが、空中で空回りするだけで虚しい。
「僕のミューズ。お風呂でいっぱい愛してあげますね。」
より強く抱きしめられて、どんどん体が熱くなっていく。
「…もぉっ…信じられない。」
と、そう言うのが精一杯。
ももは橘にしがみついて、その広い胸に顔をうずめた。
完
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