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妄想され屋
「は、はああああああ!」
中年男の自慰行為が今日も炸裂する。
間もなく、男が絶頂して、果てた。
「はあ、はあ、はあ」
肩で息をする中年男。
それを微動だにせず、冷徹な目で見ている藤田佐和子。
「良かったよ、佐和子」
「今日はどんな妄想をされたんですか?」
「君が僕の愛人という設定で、僕が仕事のヘマをしたので、愛人である君をその取引相手に貸す、という設定」
「なるほど」
「場所は僕の家でね、妻をどうにか外出させて、帰宅するまでの間に君と取引相手とを私の家に入れて、コトを済まさせて、帰して何事もなかったかのように清掃を済ませて、妻の帰宅を待たないといけないんだ」
「その間、部長さんは黙ってその行為を見ていたんですか?」
「我慢できずに自慰をしてしまった。君が他の男に抱かれるのをオカズにしてしまった私をどうか、叱ってくれ」
「ダメ。私はあくまで黙って妄想の材料になるだけの存在だから。叱ったりしたら、それはもう、そういうプレイになっちゃう」
「そうか、ああ、そうか。でも、もう5回も君を呼んでるんだ。だから、そろそろ、指一本触れさせてとは言わない。君も私の妄想に参加してもいいんじゃないだろうか?」
「そういうオプションも無くもないけど」
「じゃあ」
「この間、そういうオプションを許した人は、私を10回は呼んでくれたわよ」
「ああ、5回じゃ全然足りない!」
「そう、足りない。だから、がんばって呼んでね」
「ああ、せつない!」
悶える中年男を放置して、佐和子がホテルの部屋を出る。
迎えの車はもう、ホテルの入口に着いていた。
乗り込む。
佐和子が妄想され屋の仕事を始めてから、もう半年になる。
いまだに面接時のことを思い出す。
最初は風俗の類いかと思って、脱いだり舐めたり舐められたりいじられたり、されるのかと思った。
話を聞いてみると、「何もしない」のだそうだ。
「何もしない?」
面接の時、佐和子は何度も聞き返した
「そう、何もしない」
面接官である店長は何度も答えた。
「何をすれば、いいんですか?」
「だから、何もしないんだよ」
「意味がわからない」
「例えば、君が街中でイケメンを見て、『この人に抱かれたい』と妄想したとする」
「しないです」
「抱かれたいとまではいかなくても、一緒に食事をしたりする妄想を……」
「しないです。私、妄想なんてしないです。腹の足しにもなりませんから」
「……男は妄想をするんだよ。いい女を見かけると『ああ、あんな女とヤリてえな』と。実際に襲えば、犯罪者だ。だから男は妄想だけで済ませる」
「しかし、女はわかりますよ。『あ、あの人、私で変なこと考えてる』って」
「そこだ。男は妄想だけで済ませようとしても、それが表に出てしまって、結局、女性に不快な思いをさせてしまう。そこで、『思う存分妄想を出来る存在を作ろう』というのが、この店のコンセプトだ」
「なるほど。それで、私は何もしなくてもいい、と」
「そう、ずっと立っていればいい」
「ずっと立っていれば、疲れます」
「それは臨機応変に座ったり」
「お客さんに合わせてお芝居しなくていいんですか?」
「しなくていい。中には裏オプションとして、お金を貰ってお芝居する子もいるみたいだけど」
「いいんですか?」
「うーん、黙認」
「そういうコトに及ぶ裏オプションもあるんですか?」
「無いと信じたい。みんながみんな、そういうことをしだすと、うちがそういう店だという評判が広がって、他の子が仕事をしにくくなるから、基本は禁止してるんだけど、隠しカメラで一部始終を監視してるわけではないから、なんとも」
「まだ、なんとも実感が掴めないですね」
「じゃ、俺が試しに研修として、君で妄想してみようか?」
「研修?」
店長が佐和子の頭からつま先まで体の隅々まで舐め回すように見始めた。
胸、首、股間、脛の辺りで時々視線が止まる。
その度に店長の目つきが鋭くなり、反対に口元がだらしなく空いてくる。
佐和子は不快さで吐きそうになった。
「はうあ!」
店長が突如叫び、ぐったりと全身を弛緩させた。
「だ、大丈夫ですか?」
佐和子の呼びかけに、店長はゆっくりと瞬きをし、
「君を研修と偽って、脱がして舐め回して、最後までしてしまった。君は旦那とラブラブ新婚若妻なんだけど、マイホーム資金のために旦那に内緒でこの仕事を始めようとして、脱がない触られないと聞いていたのに、結局店長である私に痴態を晒し、最後は私を受け入れた」
「おえ」
「ちなみに、実際はどうなんですか?」
「若妻でもなければ、マイホーム資金も要りませんし、あなたに体を開くこともありません」
「そ、そうですよね」
「残念な顔をしないでください」
「つまり、こういう仕事です。何度も言いますが、体に触れられることはありませんが、不快感は伴います」
「慣れますか?」
「それはなんとも。どう割り切るか、でしょうか」
「わかりました。やってみます」
と、不思議な面接を経て、この仕事を始めて半年。
客は店のコンセプトを理解して、指一本触ることのない者ばかりだったが、中には力ずくでどうにかしようとしてくる者もいる。
そういった場合は、運転手兼ボディガードの権藤が部屋に乗り込み、客に制裁を加える。
筋骨隆々で耳も潰れ、券ダコの逞しい権藤が、どのような制裁を加えているのか。
佐和子はその間部屋から出されるので、中から悲鳴が聞こえてくる意外、真相は知らない。
今も権藤の運転する車で待機所に帰る最中だ。
「ね、あなたも妄想したりするの?」
佐和子は権藤にこう、聞いたことがある。
「私は妄想したことがありませんね」
「そうなの?」
「妄想するよりも前に、力づくでどうにかしますから」
「え!」
「安心してください。店の子には何もしません」
「ほっ」
「でも、街で偶然会った場合は、その限りではありません」
「ぎゃっ」
街で権藤に出会さないようにしなければならぬ。
待機所に向かっていたが、仕事が入ったらしい。
権藤はホテル街に引き返した。
次に呼ばれた先には、初老の男が1人。
「よろしくお願いします」
「よろしく」
初老の男料金を払い、佐和子を凝視する。
その目に卑猥な色はない。
今まで、卑猥目的な客だけだったので、佐和子は戸惑った。
(いずれ、卑猥な顔になるのだろう)
くらいにしか、佐和子は思っていなかったが、いつまで経っても老人のスケベ心は見えてこない。
それどころか、目に涙を浮かべ、その微笑は郷愁すら感じる。
佐和子は不快感は感じなかったが、奇妙に感じた。
「あの、1つお聞きしてよろしいでしょうか?」
佐和子はとうとう聞いてしまった。
「はい?」
「いったい、どんな妄想をされているのですか?」
「気になるかね?」
「少し」
「故郷に残してきた娘を思っていた」
「娘さんを?」
「若気の至りで幼馴染を孕ましてしまってね。それでも私には夢があったから、その幼馴染を置いて、都会に出てきた。お陰で成功と呼べるだけの成果を残したが、気がかりなのは幼馴染とその子ども。風の便りに聞けば女の子で、今、25くらいになっているだろう。今更会いに行くわけにもいかないので、せめて、妄想の中で娘と会おうと思ってね」
「そうだったんですか」
「君が怪訝に思うのもわかる。この店は卑猥な店なのだから。もし、店のコンセプトと合わないと君が言うのなら、店を利用するのは、もうこれきりにしたい」
「そんなことないです。大事です、そういうの」
「そうかね?」
「あの、本当はいけないことなんですけど、『お父さん』って呼んでいいですか?」
「いいのかい?」
「本当はただ何もせずに妄想の材料になるだけなんですよ。演技をするのは、サービス外なんです」
「じゃ、お願いしようかな」
「……お父さん」
「娘よ」
「…………お父さん」
「……娘よ」
初老の男が近づき、手を握る。
「ひっ!」
「何を怖がることがある。我々は親子なのだよ」
「これは困ります」
なんだか話が違ってきた。
しかし、初老の男からはまるっきり下心が見えない。
本当に自分を娘だと感じているのかもしれない。
それに対して、拒否していいものだろうか。
「………………お父さん」
「…………娘よ」
初老の男が、佐和子の腰を抱く。
「ひいっ!」
「何を怖がることがある。我々は親子なのだよ」
「これは困ります!」
これはさすがにNG行為。
佐和子は初老の男に平手打ちを喰らわして、自分のスマホを取り出す。
「すみません、お客さんに触られました!」
よろめいた初老の男が体勢を整える間に、佐和子は店にSOSを出し終えた。
「客に向かって、暴力とはなんだ!」
「触っていい、とは言ってないわよ!」
「手を握った時、何も言わなかったじゃないか!」
それはそうだ。
そもそも、最初にサービス外のことをしたのは、佐和子自身からだった。
「こ、ここまでしていい、とは言ってないわよ!」
「これは、親子のスキンシップで……」
初老の男、すでに化けの皮が剥がれたのか、さっきまでとは一転して下心丸出しの、スケベな顔をしていた。
部屋のドアを誰かがノックする。
権藤だった。
「佐和子さん、ちょっと席を外していただけませんか?」
権藤から部屋を追い出された。
しかし佐和子は、今こそ権藤の折檻ぶりを見る機会と、出たふりをして、ドアの隙間からそっと室内を覗いてみた。
「あんた、うちの子に何してくれるんだ」
声だけでも凄みがあるのに、隙間から見える権藤の顔は悪鬼とも羅刹とも形容できるような、凶暴な顔だった。
「ひいいいいっ!」
初老の男が悲鳴をあげたかと思うと、びくんびくんと数回のけぞり、その場にぐったりと力尽きてしまった。
あまりの光景に、佐和子は室内に入ってしまう。
「これはいったい……」
「おっと、見られてしまいましたか」
初老の男は、白目を剥いて、口から泡を吹いていた。
ズボンが濡れているところを見ると、失禁もしているだろう。
「何をしたの?」
「何もしてませんよ」
「嘘よ。この人、こんなになってるじゃない」
「だから、何もしてないですよ。そこで覗いてたとおりですよ」
確かにそうだ。
権藤は凄んだだけで、何もしていない。
「妄想で制裁を加えたのです」
「妄想で?」
「妄想力の強い男は、こちらが凄んだだけで、自分がこれからどういう目に遭うのかを妄想して、怯え傷つき、時にはこうして失神までしてしまうのです」
「そんなことがあるの?」
「妄想だけでイッてしまうことがあるのならば、妄想だけで被害を加えられることもあるのです」
「信じられないわ」
「俺もいまだに自分でも半信半疑ですがね。実際に手を出したことはありませんよ。ま、もっとも、こいつは強く出過ぎてしまいましたがね」
権藤が初老の男の胸元を掴み、揺り起こす。
「ひいいっ!」
気付いた初老の男は、目の前の権藤の存在に、再度、失神してしまった。
「埒が明かん。これだと罰金を回収出来ない」
「どいて」
権藤に代わって、佐和子が男を揺り起こす。
男が起きた。
今度は失神しなかったが、怯えているのに変わりはない。
「罰金、払って!」
「いくら?」
「えっと、いくらだっけ?」
佐和子が権藤に聞く。
「30万」
「さんじゅうまん!」
男は這うように自分の荷物に駆け寄り、財布を取り出し、札を数えると、
「はい! さんじゅうまん‼︎」
「毎度」
権藤が受け取ろうとする。
「ひいいいいいっ!」
男はまだ権藤に怯えている。
権藤の代わりに佐和子が受け取る。
「それからこれは」
男が、さらに札を数枚、佐和子に渡そうとする。
「これは?」
「チップ」
「あのね、この期に及んで、そんな余裕かあるの?」
「受け取ってくれ。完璧だったんだ」
「完璧?」
「僕は『君を自分の娘と勘違いしてセクハラを受けて、その制裁を喰らう』という妄想をしたんだ。ま、失神するところは想定外だが、ほぼほぼ完璧に進んだ。こんなのは始めてだ」
「何それ」
「こんな醜態を晒してしまい、申し訳ない。罰金、チップ、それで足りるかね?」
「そりゃ、まあ」
「まだ、要るかね?」
「も、もう結構です」
佐和子はなんだか、気味悪くなってきた。
どこまでが妄想で、どこからがハプニングなのか?
なにより、こんな男の掌で踊らされたと思うと、余計に腹が立つ。
「1発、殴りたい」
「それは」
「お金要らないから、1発殴らせて」
「それは大きなルール違反だ」
権藤が止める。
「すでに殴ったじゃない」
男が言う。
権藤は驚き、
「殴ったのか?」
「平手で。今度はグーで殴りたい」
「お前が店を干されるぞ」
「いいの、辞めるつもりだから」
佐和子が拳を振りかぶった瞬間、
「ちょっと待ってください!」
ドアの外から声がかかる。
見ると、小柄な男が立っていた。
「旦那様を許してやってください」
「あなたは?」
「運転手です。旦那様を迎えに。あの、何があったかはわかりませんが、私の大事な旦那様なのです。それくらいで勘弁してやってくれませんか?」
小柄な運転手が、震えながら懇願している。
「わかった。許してやる」
佐和子は権藤に肩を叩かれる。
佐和子も拳を下ろすしかない。
「連れて行ってくれ」
権藤が促すと、運転手はおどおどと室内に入り、男肩を支え、部屋から出ようとした。
「あの、これ、少ないですが、お詫びに」
運転手が取り出したのは、札束が3つ。
つまり、300万。
「こ、こんなに!」
佐和子は驚く。
「あんた、運転手なのに、金持ってんだな!」
さすがの権藤も声が上ずる。
運転手はバツの悪そうな笑みを浮かべて、
「実はこいつが運転手で、わしが雇い主でな。毎日のように、運転手とその主人の立場を交換する妄想をしていたのだが、そのうち、実際に交換してみたくなってな。嫌がる運転手に無理矢理頼んだのだ。それで、半日、自由にしていいとこいつに伝えたら、何があったのか、人様にご迷惑をかけてしまった。妄想だけに止めればよかったと、反省しておるよ。今回は、その金で勘弁してくれまいか」
「そんなことがあるとはね」
佐和子と権藤は店に帰り、店長に300万を渡し、一部始終を報告した。
「店長、この300万、どうしましょうか?」
「店の売上にします」
「でも、店のトラブルとはまた違うお金なので、ここはトラブルを発生させた私に来るのが筋なんじゃないかと思います」
「佐和子ちゃん、よく恥ずかしげもなくすらすらと正当性を主張出来たもんだね」
「うえへへへ」
「笑い方が気持ち悪いよ。佐和子ちゃん、そんなに300万が欲しいの?」
「お金は誰だって欲しいと思います」
「そりゃそうだろうけどさ。そう言えば佐和子ちゃん、なんでこのお店で稼ごうと思ったの?」
「あれ、言いませんでしたっけ?」
「いや、聞いてない」
「私、作家を目指してまして、その活動資金として」
「作家って、ノンフィクション?」
「いえ、フィクションです」
「フィクション書くのに、妄想を理解出来ないなんて、話にならないよ」
「そ、そうなんですか?」
「フィクションって、言わば自分の妄想の世界を書くんだから。妄想出来ないなんて、作家に向いてないよ。なあ、権藤?」
「はい、妄想も出来ない作家志望の女なんて、クソボケ淫売穀潰し鼻垂れ尻軽小僧だと思います」
「そんなに悪く言うことねぇだろう!」
【糸冬】
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