時計★の針が鳴る前に。

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時計★の針が鳴る前に。

「ご飯食べるか?」 お父さんの優しい声で目が覚めた そんな朝を迎える事がどれ程の幸せであるか、気付きながらも考えるのをやめていた。 …チクタクチクタク… 1分60秒 時の流れは実に早い。人生はあっという間に過ぎていく、ゆっくりばかりしていられないのだ。 私は、「記憶喪失」である。 簡単に説明すると、余分な記憶が消えてゆく。必要なモノさえ消えてしまったけどね それは恋愛、人生の醍醐味のやり方を忘れてしまったのだ。する気すら無い私は、時間を自分の為に大切にするのが不可能な程病状が悪化しているのである。 1日の24時間、あと何回無駄に生きたらいいのかな? 何て考えて居たら、「仕事せえ」 お父さんからの言葉は的確でいつも分かりやすい。とても働き者で、謙虚、心の温かい愛を教えてくれる存在である お父さんの愛は優しい、いつも味方だと 安心出来て何より自分の事のように親身に考えてくれ私の悩みが改善するよう提案や行動に出してくれる そんなお父さんを見て私は、 お父さんに同じようにいつも寄り添い側に居れただろうか… ……夢だった。 目が覚めると、ここは、一人暮らしのマンション。病状が悪化する一方で心に余裕がなく プルルル! あ!お父さんからだ 「元気か?ご飯食べにおいで」と言うと プチ! 電話が切れる お父さん優しいな会いたいな、 お父さんと居たら落ち着くから側に居たい だけど、病状が悪化してる私は寝たきりで 起き上がるのも精一杯、 お風呂…何日目だろ入らず過ごすの 酷い時は1週間…お風呂に入る事も 頭に入らない生活スタイル 私はお父さんの電話からすぐに行動に出せない事からいつも1日半ズレた形で会いに行っていた 「何や今来たんか」 お父さんは待ってくれていた様子で 美味しそうなご飯を沢山準備してくれていた。 「好きなの食べや」「美味しいで」 っと声をかけてくれ、ご飯の時は時々2人で 話しながら幸せの時間を過ごす 「お父さん腰が痛いから、横になるわ」 声をかけながら痛そうにコタツに寝る父 お父さんは、本当に気を使える分自分に 気遣いをしてくれない、 いつもコタツで寝て布団は一切ひかずペラペラのじゅうたんの上で春夏秋冬過ごすのだ、 「お父さん大丈夫?布団引かんから腰痛くなるねん、ちゃんと引いてよ」 何度伝えても、 「大丈夫おまえがかぶり」 私からすると、心配なので今すぐ布団を 引いて寝て欲しい気持ちだ。 なかなか言う事を聞いてくれない父を 説得出来ないまま、1枚のコタツ布団と カーペットで寝る父は毎年見慣れた風景になっていた。 「お父さん買い物行けへん?」 私は、お父さんと一緒に買い物に行くだけでも楽しく幸せだった、お父さんと何をしていても嬉しくて優しく気遣ってくれ、待たせてしまっても文句1つ言わず待っていてくれる。 そんなお父さんの背中を見るたび、私がもっと元気だったらと今の現実を直視出来なくなるのだ。 トラウマを抱え生きる事がどれだけ人生を左右し生きづらく分からないようにさせるかは やはり経験してみないと分からないと言う事だ。 こんな経験値要らないわ! 私の率直な答えである。 お父さんから 「この世は運や」 と、突然言われた事がある。 絶妙なタイミングで、お父さんは私に的確な言葉をいつもかけてくれる そして、その言葉が私を想う優しさであると 心から感じ取れる愛の言葉なのだ。 まあ、私は運が悪いから持病を抱えこの世を生きてるし! ではない。 …気づけた事、そこに着目している 病気である事さえ気付かないまま生きている方が何とかしてあげたい状況である。 人から「病気ぢゃない?」 と、病院を紹介して貰い今に至る。 薬を飲む事で生きている感覚だが、 感情の波トラウマに記憶喪失だと流石に わー!と叫びたい所だが 頭が混乱どころか、ほとんど忘れるので リセットされた日々である、 しかしながら、愛のある言葉は、 私の脳裏から消えない。 父からの言葉でいつまでも残る言葉がある、 「何かあったんか?お父さんが助けたるから言ってみ?」 体調がとても悪く、何が何か分からない、 私がとても辛い時期の電話だった。 何も話していないのに、お父さんはこの言葉を伝えてくれた。 絶妙なタイミング、、 どうして、、と思う程であり、 テレパシーのように感じ、お父さんの 気にかけてくれる優しさが心に響いて 涙が止まらなかった。。 この世は「運」 運命とはどうやって決まるのか、 地球上に居る人口全てに物語があり命があり この世を生きる人生はどう感じ取るのであろう、 私の人生波瀾万丈だけど、それでも笑って生きれるのは家族が笑顔である現実が私を支えているから 「家族」は、1番最初に学ぶ人間関係、 どのように、そしてどれ程の事を幼少期で吸収したかによって社会に出て学ぶ早さが変動する。 他人から得た影響もとても重要であり、 捉え方によって人生がガラっと変わる程 前を向いて生きる姿勢にたどり着く事が重要。 共に、愛する家族、友達、仕事仲間、様々な方々のおかげで今があると言う原点に感謝する、 そうすれば自然と温かく今を生きられる、 私はそう思って生きている。 プルルル! お父さんからの電話だ、出たいけど体調が悪く、話せるような気持ちにもなれない、、、、 後でかけ直そう… 人生に時間差が出てしまうのも、私の病気の辛さである。… そう思い眠りにつき体調が回復していればお父さんに電話をする、 「お父さんごめん電話遅くなって」 「元気か?今日泊まりにおいで」 「好きなご飯いっぱいあるから見に来てみ」 私は、お父さんの気持ちが分かる。 気にかけてくれる気持ちと寂しいのではないか、お父さんの寂しさを埋めたい。 体調が悪いといつも1人で過ごしていた私は、 お父さんの声を聞く度安心出来ていた、お父さんの声は聞くだけで、心が休まり優しさになる。 寂しさを忘れてしまう程、想ってくれていると感じる愛が私を強くする、お父さん、温もりをいつもありがとう。 お父さんから電話があるといつも元気になる、お父さんに会いに行く為に元気になろうとするからだ。 お父さんから優しさを受け取ってばかりで、私はお父さんに優しさ想い行動言葉を 伝えきれていない時間が多く自分を苦しめる。 「あ、お父さんの好きなキムチ買って行こう」 キムチを買いお父さんの所へ、 「キムチ買ってきた!お父さんの好きなワケギもあるで!一緒に食べよ!」 「おー嬉しいなー今日のラーメンに入れてでも食べよかー!」 と、嬉しそうに話してくれ、 その姿を見て私は元気になるのである。 「さあ」 お父さんは、何事にもお金を払わせようとしない、 「ええから持っとけ」 と、お金を渡してくれたり お父さんの為に何かすると必ず お金を渡してくる…、 何かプレゼントをしても渡される、 返さなくていいと言ってもお父さんは受け取るまで渡してくる 私からするとお父さんを喜ばせたい気持ちなので気を使わなくていいのにと思っていた。 だけどお父さんに甘え頼ってしまった事が沢山あった、病気を抱えている分追いつかない事があった、 どれ程迷惑かけただろう。… 数えきれない程お父さんに助けられて今がある。 友達と遊ぶ事すら出来ない、何もする気にもならない、限られた友達とお父さんに会いに行く以外寝たきりではあったが、お父さんと一緒に過ごすだけで、心に余裕が生まれるのである。 誰より私が安心出来る存在。 お父さんのコタツでたまに一緒に寝る事があった。 「寒くないか?」 布団を何枚も何枚も持ってきてくれ私に かぶしてくれる。 「これで寒くないやろ」 腰が痛く身体も疲れているはずなのに、 優しさをいつも沢山くれるお父さん、 甘えてばかり、余裕がなく、 話したい事も話せなかった時間、、、、 時は残酷に形を変えていく。 私の趣味は「絵」。 絵を描く事が好きになるなんて思ってもなかった。 友達からお店の看板を頼まれた事からキッカケで、絵を描くようになり 家族にも絵を描きプレゼントしていた。 お父さんへ2枚プレゼントした絵は、 1つは詞をお借りして描いた文章、 もう1つは私のオリジナル作品である。 どちらも受け取ってくれて嬉しかった 「おー絵が上手いな!」 お父さんが誉めてくれると凄く嬉しい、 嬉しくてその言葉が自信になっている。 絵を描く時間が楽しくて 今の私を救ってくれている。 「引っ越ししろ」 お父さんからその言葉も言われていた。 自由が少ないこの病気には、 見えない障害が沢山ある為自立に踏み出しても、それが逆に負担になるのだ。 もっと、早く引っ越しすれば良かった。 お父さんの言葉から、 私は引っ越しをする事になる。 「お父さん、私、お父さんに手紙も絵も 何枚も書きたい。 書きたい時にしか描けないけど、 その時々の気持ち、忘れないように残したいから。 この世にもし、、、 愛を貯めるポイントカードがあるなら、、、 私は全てお父さんにあげたい。 お父さんの心が愛で安心するように そして寂しくないように、 いつも笑って居て欲しい お父さんの寂しさや苦しみは 私が全て貰うから、会える日まで 愛に溢れて過ごして居ると信じて」 私の大好きなお父さんが、、、 亡くなった。… お父さんの体調が悪く寝込んでいる、 買い物をし、お父さんに飲み物やお粥、ゼリーなどご飯を渡す、 「お父さん大丈夫?」 「……大丈夫や」 凄くしんどそう、 体温が34度ぐらいでとても低い、 顔色が悪く食欲も全くない、何も食べてくれていなかったので心配になり救急車を呼んだ、 救急車が到着し、お父さんの脈を測る、血圧が低く、酸素が足りないと言われた、 そんな時お父さんが救急車に乗らないと言うのである。 「お父さん乗って?お願いやから、」 「乗れへん、」 口論が続く中、何度伝えても乗らず、 お母さんに状況を説明し、電話で説得して貰う事にしたが、それでも変わらず、 結局救急車は、帰って行った。。 「酸素が足りてない」 その言葉が今も私の胸を苦しめる。 お父さんは飲み物と少しゼリーを食べてくれた、 「親はいつまでも生きてくれている。 そんな勘違いをしていたと気付く、、 死と言う別れから、 この世には乗り越えられない悲しみがある、 そう思う。」 お父さんを見ると顔色が 良くなくて心配だったが、 私は用事が出来たので少し出かける事にした。 お父さんは、 「部屋の電気付けといて」 そう伝えていた。 電気を付けて出かける。 そして 用事を済ませた私は、 「お父さんが心配だから帰る」 そう伝えて 帰る事にした。 だけど、私はもうこの時点から、 自分をも体調の異変が起きていた… 私は何故か、、、 お父さんの所ではなく、自分のマンションに帰った、、、 「…そこからの記憶は全くない…」 一体何をしていたのか、、、どれだけ時間が経ったのかさえ分からない、、私は記憶が消え、重度の状態になっていた、、 狂うような時間、、 息切れする程に疲れ果てていた事だけは覚えている。 プルルル! 「はぁはぁはぁ…」 「お父さんからだ…」 電話に出るとお父さんは、 「来えへんのか?」 「はぁ、はぁ、」 行くと伝えたのかさえ忘れてしまう程狂う時間を過ごし、… この言葉がお父さんとの最後の電話だった…。 お父さんが、とても寂しそうに電話を切る感覚を覚えている。 … プチ! お父さんの声を聞いた事によって、気持ちが少し安定した感覚がした、 それから…どれだけ時間が経っただろう。… また、記憶がない、何をしていたのか思い出せない時間だった。。… 病気ぢゃない人生なら、どんな生き方が出来るのだろう。悔しさと後悔が渦のように周りを回ってるみたいだ。 …そして、 お父さんの所へやっと迎えた。 いつものようにカギを開け部屋に入ると 電気が消えている。 あれ? 「お父さん?」 父は動かなくなっていた。。。 「お父さん涙!」 私は喚き狂いながら家族に連絡をした 「お父さん、お父さん、涙」 お父さんの姿は目に焼き付き、 今も忘れる事がない、 コタツの布団1枚に、ペラペラのカーペット、お父さんの服装は寒い季節の中タンクトップにシャツのみ。 「お父さん寒いよな?涙 ちょっと待っててな布団持ってくるから お父さん寒いねん」 と、お父さんに布団をかぶしていた お父さんに触れると温かい手は冷たく、固くなっている、 動かなくなった瞬間からどれだけ経ったのか、 それさえ分からないまま、 お父さんと過ごした時間、優しい声、 温かい言葉が胸に響く。 どうしてお父さんの所に行っていないのか、 酸素を頼んで持ってくる、お粥を作り食べさせて点滴をしてもらう、ずっと側で 一緒にコタツで寝て過ごす事が出来るなら 時間をください。 …私は何の最善も尽くせないまま、 父の姿を何度も見る事も出来ないまま 会えなくなってしまった。 付けてと頼んでいた電気、救急車に乗ってくれない父、父は亡くなるのではないかと、感じ取っていたのかも知れない、だから家に居たかったのだと、 電気を消したお父さんの気持ちはどのような気持ちだったのだろう。 お父さんの気持ちばかりが気になる。 一生後悔する出来事であり、忘れる事のない出来事である。 酸素が足りてない状態から1人でずっと私を待っていてくれた、父が私に電話をくれた時すぐに迎えていたら、 どうして? っと、自分の病出来事全てに涙をするしかなかった。… お父さんにしたい事、伝えたい事、 やり直したい事、沢山ありすぎて、 気持ちを整理出来ないまま過ごしている。 運に対してこればかりは運が悪い私だと 持病を含め感じた時間、 時計は針の音を止めてくれない、 人生は巻き戻せない、 いくら泣いても、いくら願っても、 命は1人に1つ、同じ命は二度とないのだ 。 お父さんが写真になってから、 いくら時間が過ぎても、何故写真になるのかを理解出来ずにいる。 神様は、人生の最後に何故苦しみ亡くなる死と存在が別れてしまう苦しみに死を選んだのか、 人はどこに行くのかな? この世で出会えた命の奇跡を感じ、 尊さ儚さを受け入れ、生きていくのが この世の時間。 また会えるかな、 私が亡くなって、もし産まれ変わったら お父さんの子供がいいな だって、お父さんから受け取った愛を お父さんに今度はもっと側で伝え 感じて貰いたいから、 お父さん、愛をいつもありがとう 魂の繋がりを信じる私は、 ポイントカードを貯め続けてはお父さんに 届いていると信じている。 時計の針が鳴るとは、 実に、命が尽きる瞬間である。 時計に音はない。 生きているとは、奇跡であり、出会いもまた奇跡である この世で愛を学び愛で終わる。 全ては愛である事を、私はこの世に生きながらお父さんに教わっている、 今もこれからもずっと…。 お父さんが誉めてくれた絵が、いつか仕事に出来る日がくればいいなと感じている。 お父さんを側に感じる事で、記憶が消え狂う日々は減りました。 話しがしたい謝りたい会いたい 会える時間に当たり前がない事を感じながら、後悔を作らない人生になれるようにと祈るばかりです。 お父さん愛してるよ!いつも本当にありがとう
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