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「寒っ! 遥、あったかい飲み物!」
「伊織! 馬鹿! 何、最後に気を抜いてるんだよ。最後の一本落とすなんて馬鹿だ、馬鹿!」
湯気がたっている愛馬、キールカーラントに乗って帰ってきた伊織を怒鳴りつけ、遥は手綱を握る。伊織が下馬する。
伊織の茶色の髪の毛が汗に濡れているのが見えた。冬の割に暖かいけれど、冷えたらすぐに風邪をひいてしまいそうだ。
「佐々木伊織! お前、あと一本! もうちょっと注意深かったら!」
一緒に檄を飛ばしていた指導員の説教が始まる前に、遥は伊織に声を掛けた。
「あっちで伊織のお母さんがスープ用意してるから飲んで来い。汗だくで風邪ひくぞ。キールの手入れしとくから」
その言葉に指導員も頷く。
「一ノ瀬遥、悪いけどキールのアイシングも頼む」
指導員に頼まれて、洗い場にキールカーラントを連れていく。家族でクラブに入っているジュニアが多いから指導員はフルネームで呼ぶけれど、試合会場で呼ばれるのは少し恥ずかしい。
試合の直後は、昂ぶりや限界まで体力を使ったことで手が震えたりつまらないケガをすることがあるから遥は伊織が帰ってくるゲートで待っていたのだ。もちろんその前は声援を送っていた。障害馬術は馬場馬術のようにお上品じゃない。
冬は乗馬の試合が沢山ある。遥や伊織が出場しているのは小障害A、遥は危なげなくもう既にジャンプオフまで済ませた。障害馬術は、まず規定のコースをバーを落とさず走らなくてはならない。それをクリアした後、ジャンプオフというタイムアタックをして、その時間によって順位が決まる。
遥と伊織は同じ競技で同じ馬に乗った。遥の通う乗馬クラブは自馬という個人所有の馬もいるが、クラブ所有の馬も沢山いる。キールカーラントもそのうちの一頭で、二人と指導員(スタッフ)の三人で二日間試合に挑んだ。
「キール、キールはよく頑張ったよ。お疲れ様」
遥の目にはキールカーラントが少し落ち込んでいるように見えた。最後に気を抜いたのは伊織だけでなくキールカーラントも同じだったのかもしれない。
「キールがバーを落とすなんてね。二日目だし疲れたんじゃないの。遥が先の出番でよかったね」
水で脚を冷却していると、同じクラブの少年が声を掛けてきた。丸山一美。遥とは同じ中学にも通う同級生だ。遥は嫌ってはいないが苦手に思っている。
嫌味じゃないのはわかるけれど、伊織の失敗を笑っているかのような言葉に少しムッとした。
「順番なんか関係ないよ。最善をつくすだけだ」
「遥は偉いよ。親がついてきてないなんて遥だけだよね。一人で寂しくない?」
これも嫌味じゃないというのだ。丸山は優越感から何も考えずに上から目線でしゃべってくる。相手にしてると疲れる。
「寂しいって言ったら、丸山が慰めてくれるの?」
笑いながら答えた。そうすると顔を赤らめて「そ、そんな!」と慌てて丸山は手を振った。
反対に聞きたい。どんな慰め方するつもりなんだよって。
「嘘だよ、そんな嫌がらなくても」
笑いながら、受け流していたら乗馬用のジャケットをあったかいダウンジャケットに変えた伊織がやってきた。
「ありがと、遥。交代する」
「ああ、じゃあ僕は荷物の整理からするよ」
試合会場を出るまでに全て整理しないといけない。何頭も運ぶから馬運車を何台かつかっているけれど、試合会場が近いから二往復して撤収になる。午前で終わるキールカーラントは第一便で帰るため、食事が終わったら帰る予定だ。
「えっと、先にできるだけ馬房掃除して……、ボロ(うんち)運ぶだろ……。鞍とか片づけて……」
まだ子供の遥達にはできないことも多いから、大人が周りで注意してくれている。そういう意味では遥の両親は無責任だと言われても仕方がなかった。
「遥、荷物運ぶの手伝う」
「私も」
「湊、由香里ちゃん、ありがとう。これお願いしていい?」
伊織の弟の湊は、乗馬をしているがまだ小学四年生で試合にはでていない。妹の由香里は二年生で乗馬もしていない。
ゼッケンと脚のプロテクターを持ってもらうとそれだけで大変そうだ。
「転ばないようにね」
「うん!」
なついてくれている伊織の弟妹が遥は可愛くてしかたない。
「二人とも、遥君の邪魔しちゃだめだよ」
「邪魔じゃないもーん」
「お手伝いだもん」
伊織の母はごめんねと手でジェスチャーしてほかのママさんと会話を続けている。
「どうしたの? 遥君、おめでとう。さっき発表されてたよ、二位だったよ!」
「おじさん。ありがとう」
息子の伊織が入賞しなかったのに、嬉しそうに遥の頭を撫でて笑う。
「あ、ごめんごめん。伊織に怒られる」
慌てて手を頭から離して伊織の父が謝った。
「子供じゃないって怒るんでしょ、伊織」
「そうそう。だってしかたないよね。俺の子供だもん。遥君も言っといてよ。あ、そろそろごはん食べよう。今日は沢山買ってきたんだ。遥君も沢山食べてね。出来合いで申し訳ないけど」
「いつもありがとうございます」
遥はおにぎりしか持ってきていない。コンビニのおにぎりだ。両親は今日が試合だとも知らないだろう。どうせ仕事だ。
伊織の母は料理を作るのがあまり好きではないからと言って、試合のときはケータリングサービスで色々と頼んで持ってきてくれるのだ。
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