真っ赤に染まる

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真っ赤に染まる

 なぁ。暇を持て余しているヤツは俺の話を聞いてくれないか?   誰かに話さないと頭がおかしくなりそうなんだ。一人で抱え込んでいるのが無理なんだ。誰も聞いていないかもしれないが吐き出させてくれ。  俺の住んでいる地域は田舎の方なんだ。実家の裏には大きな林が広がっていて子供のころはその林の中でよく遊んでいた。その林の中には大きな穴が開いている場所があった。  穴の直径は二メートルぐらいあって深さはたぶん十メートルぐらいはあった。落ちたらたぶん上がるのは難しいそれぐらいの大きな穴だったんだ。たぶん昔の防空壕跡か何かだったんだと思う。  今考えれば危険な場所だった。母親にも林の中は危ないからあまり遊ぶなと注意されていた。それでも、俺はなぜかその穴の場所がお気に入りだった。  何か嫌なことがあった時、林の中で一人でいると気持ちが落ち着いたんだ。嫌なことがあったら、その穴に向かって本音や愚痴を叫んでいた。誰にも聞かれることはないと分かっている中で叫ぶと少しは気分が晴れたんだ。  ある時、家の中で親父が大事にしていた骨董品の花瓶を壊してしまった。見つかればかなり怒られるのは目に見えていた。  父親は短気で暴力的なヤツだった。普段は気の小さい男なのに酒を飲むと気が大きくなって俺や母親に暴力を振るう。気に入らないことがあれば烈火のごとく怒って手が付けられなかった。   俺は割れた花瓶を持って林の中に逃げるように向かった。穴の側で途方に暮れて座り込んで泣いていたんだ。そんな時、ふと俺はその穴の中に花瓶を捨てようと思った。  そんなことしても花瓶が割れたことには変わりはないし、捨てたりしたらさらに怒られるのはよく考えなくても分かりそうなものだったが子供のころの俺はとにかく目の前の現実から逃げたかったんだと思う。  深く考えもせずにその穴へ花瓶を捨てて家に帰った。家に帰ってもいつ父親に怒られるんだろうと脅えていたが不思議と父親は花瓶のことには気が付かず怒られることがなかった。  次の日、穴に向かってみると確かに昨日穴の中に捨てた花瓶がなくなっていた。不思議には思ったが俺はその時はただほっとしていた。  それからも俺は嫌なことがあると穴に向かって叫んでいたし、何か都合の悪いものがあると穴に捨てるようになっていた。点数の悪いテストだったり、嫌いで食べられなかった給食の残りだったり、壊してしまった物だったり。一度動物の遺体を穴に入れたこともある。道端で事故にあって亡くなっていた動物の遺体を穴に入れたのだ。  穴の中に入れたものは必ず次の日に見に行くと無くなっていた。子供の俺は不思議には思っても疑問には思わなかった。  俺が小学六年生になる頃になると父親の暴力はエスカレートしていた。毎日のように俺は殴られて母親も殴られていた。母親は俺が殴られるたびに身を挺してかばってくれていたが、このままではいつか俺も母親もこの男に殺されてしまうと俺は脅えていた。だから、考えたんだ。この男をあの穴に落としてしまおうって。そうしたら、この男も消えてなくなると思ったんだ。  いつものように酒を飲んで酔っ払っていた父親を夜に俺は母親の目を盗んで林に連れ出した。最初は俺の言うことを聞く気はなかった父親だったが、林の中で大金を見つけたという話をしたらのこのこと付いてきた。  穴の側まで来ると、金はどこにあるんだよとあたりを見回す父親にその穴の中に落ちてるのが見えたと言うと父親は四つん這いになって穴をのぞき込んでいた。俺はその時に父親の尻を蹴り飛ばして穴に落としたんだ。  父親は悲鳴を上げながら穴に落ちて行った。鈍い音がして何かがつぶれるような音がした。穴の中を覗くと明らかに父親は死んでいた。俺は怖くなって家に逃げ帰った。震えながら明日になれば父親は消えてなくなっていると願っていた。次の日、穴を見に行くとそこに父親の姿はなかった。  父親は社会的には行方不明という事になった。もともとろくに働いていないようなヤツだったので母親と二人暮らしになっても生活に困るようなことはなかった。むしろ暴力を振るわれなくなって快適になったぐらいだった。  それから十数年は平和に暮らすことができた中高大学と卒業して、そこそこ有名な会社に就職することができた。そこで知り合った女性と結婚して娘が産まれた。  結婚して四年がすぎた頃、実家で一人暮らしをしていた母親が同居の希望をぽつりと漏らした。俺は遅くにできた子供だったので母親はそれなりに高齢になっていたので不安があったのだろう。その話を聞いて妻が母親との同居を申し出てきた。  妻はすでに両親が亡くなっていて俺の母親を実の母親のように慕っていたし仲も悪くないようだったし、妻からの希望ということもあって母親に同居の話をしてみると母親は申し訳なさそうにしながらも嬉しそうに快諾した。  それから俺たち家族は俺の実家で母親と四人で暮らすようになった。その頃俺は仕事がかなり忙しく朝早く家を出ては夜遅く返ってくるような日々だった。妻も仕事を続けていて娘の幼稚園の送り迎えなどは母親に頼んでいた。それでも妻は娘の送り迎えを頼む代わりに家の家事はしっかりとやっていた。  ある時、娘が家族の絵を幼稚園で書いたと嬉しそうに見せてくれた。そこには娘と俺、妻と母親の四人が書かれていた。俺はその絵をみてぎょっとした。娘と俺と母親は笑顔で立っているのだが妻は無表情で立っており、その肌の色が真っ赤に染まっていたのだ。  娘にどうして肌の色が赤なんだと聞いても、不思議そうに首を傾げるだけだった。それから、何度か家でもお絵かきをしていたが、その度に妻の肌は真っ赤に染められていた。何枚書いても必ず妻は真っ赤だった。注意しようかとも思ったが、肌の色ぐらい自由に塗らせてあげるべきかと思い俺は何も言わなかった。  娘が幼稚園を卒園し入学式の日。俺と妻は仕事が忙しくて娘の入学式には出られず代わりに母親が出席してくれていた。それでも、早く仕事を終わらせて家に帰った。娘を祝ってやろうと思ったんだ。しかし、家に帰ると娘はまだ帰っていないらしく静まり返っていた。いや、音はしていたんだ。風呂場の方から水が流れ出る音がしていた。  俺は風呂を入れっぱなしにしてしまったのかと浴室を覗いた。そこには手首を切った妻が風呂で倒れており、浴室は血で真っ赤に染まっていた。俺は慌てて救急車を呼んだが妻はそのまま息を引き取った。  突然のことに俺は呆然としたまま葬儀を執り行った。とはいえ、その頃のことはほとんど覚えていない。言われるがままにしていたらいつの間にか葬儀が終わっていた。俺は妻が自殺したことが信じられなかった。妻は明るく社交的な人物で自殺からは程遠い人間だと思っていたのだ。  どれだけショックを受けていても生活はしていかないといけない。俺は生きていることが面倒になっていたが、俺にはまだ娘がいた。娘のためにも俺はまだ働いて娘を育てなければいけないと思い必死に働いていた。  娘が中学生になった頃、俺はようやく妻の遺品を整理しようと思い立つことができた。それまでは妻の部屋はそのまま残してあったのだ。俺はその部屋に入ろうとすると妻の事を思い出してしまって中に入ることができなかった。それでも妻の遺品を捨てると妻の存在自体がなくなってしまいそうで捨てることもできなかった。  いつまでも妻の事を引きずっているわけにはいかないだろうと、娘が中学生になったのをきっかけに気持ちを固めた。しかし、仕事は相変わらず忙しかったし妻の遺品は数が多かったので娘にも手伝ってもらうことにした。俺が仕事に行っている間に部屋の中を掃除して整理してもらうように頼んだんだ。  そして、あの日。俺が仕事から帰ると娘が自宅の窓から飛び降りていた。母親は慌てふためいておろおろとしていた。母が言うには妻の部屋を掃除していた娘が突然二階の窓から飛び降りたのだという。飛び降りた先が悪かったのか、娘が落下した場所は家の裏手の林の方でそこにはむき出しの岩が転がっていた。そこに頭をぶつけた娘はそのまま帰らぬ人となった。  俺は妻に引き続き娘も失ってしまったのだ。娘の葬儀も終わり俺は呆然としたまま何もする気がしなかった。俺は妻に続き娘の自殺も止めることができなかった。娘も妻に似たのか明るく社交的な性格だったし、学校の成績や友人関係も問題ないように見えていた。俺は妻も娘もどちらも自殺する理由がまったく分からなかった。本当に父親失格だと思った。  呆然としたままの気持ちで妻の部屋に入った。ふと、机の横に一枚の紙が落ちているのが見えた。それはこの部屋にあった便箋を使った物らしく、娘の字が書かれていた。それは娘の遺書だった。  遺書の内容は衝撃の内容だった。娘は子供のころから俺の母親に妻の悪口を吹き込まれていたらしい。 「仕事、仕事で娘をほったらかしにして。お母さんは娘ちゃんよりも仕事が大事なのよ」 「おばあちゃんは娘ちゃんが一番だからね」 「お弁当もおばあちゃんが作ってるの。お母さんはあなたのためにご飯すら作ってくれないのよ」 「服だって買ってくれないでしょ? かわいそうに。おばあちゃんが買ってあげるからね」 そんなことをずっと言われてきたらしい。  妻は娘のことを愛していた。俺は知っている。仕事を続けていたのは娘が将来何かをしたいと言った時のため、大学も好きなところに行けるようにとお金をためていたのだ。お弁当は妻が作っていたし、服を買おうとすると母親が私が娘と一緒に選んでくるとお金だけをもらって買いに行っていたのだ。  それでも、まだ小さかった娘は母親の言葉を信じた。それはほとんど洗脳に近かったんだと思う。娘は母親を嫌って冷たい態度を取っていたらしい。しかも、母親に言われて俺の前では仲がいいように振る舞うようにしていたらしい。  そして、入学式の日。「せっかくの晴れ舞台なのに、やっぱりお母さんは来てくれないんだね。きっと娘ちゃんのことが嫌いなのね」という言葉を聞いて家に帰った時に妻に「私の事嫌いなんでしょ? 私もお母さんのこと大嫌い」と言って準備されていた料理をゴミ箱に捨てて母親と一緒に近くのファミレスに食べに行ったらしい。そして、その日妻は自殺した。  娘は妻が死んだことにはショックを受けていたが母親に「死んでみせて娘ちゃんを苦しめようとしてるのよ。最後まで当てつけみたいに。気にしちゃだめだからね」と何度も何度も言われ続けたらしい。それで、そのうちに自殺をしたのは私への嫌がらせだと自分自身に言い聞かせていたらしい。  そして、妻の部屋の掃除を頼まれた時に妻の部屋に日記を見つけたらしい。俺も妻の部屋で妻の日記を見つけたので読んでみた。そこには娘への愛情が膨大に書き込まれていた。  そして、その娘に嫌われていることを本当に悲しんでいた。母親に娘と二人でいる時間を奪われていることを悲しんでいた。それでも妻はきっとお義母さんは寂しいだけなのだと自分に言い聞かせていた。  娘は妻の日記を読んで妻が娘にいろいろなことしてくれていたと知った。それを俺の母親が自分の手柄のように語り、妻を嫌うように仕向けていたことを知った。そして、自分の言葉と行動が妻を自殺に追いやったことに気が付いてしまった。  子供のころに母親の肌を赤く塗っていたのは、妻が何度も自殺未遂をしていたかららしい。腕を切って血にまみれた妻の姿を何度もみていたから妻の肌の色を赤に塗っていたのことを今更ながらに思い出したらしい。  娘は遺書の最後に「お父さん。お母さん。ごめんなさい」と震えた文字で 書いていた。  俺はその遺書を読んだ瞬間に一階に駆け下りた。呑気にテレビを見ていた母親の胸倉を掴み娘の遺書を見せながら母親を問い詰めた。  母親は震えた声で「違うの」と言いながら首を振っていた。何が違うと言うんだ。と俺が叫ぶと脅えたように目をつぶって何度も「違う。違うの」と繰り返していた。俺はその態度が許せず母親を突き飛ばした。洋服ダンスにぶつかってへたり込む母親は 「」  その言葉に俺はカッとなって近くにあった置時計を手に取ると母親の頭に振り落とした。「ぎゃっ」という声を上げたかと思うと母親は頭から血を流して動かなくなった。動かない母親を見ると瞳孔が開いて完全に死んでいた。  俺はその時、子供のころの穴を思い出した。俺は母親を引きずって林の中に連れて行くとあの大きな穴はまだそこにあった。母親をその穴に投げ捨てる。明日には母親の死体は無くなっている。そう信じて。  次の日に穴を見に行くと母親の死体はまだそこにあった。次の日も。次の日も。その次の日も。  何日たっても母親の死体はそこにあった。次第に母親の死体は腐り腐臭を放つようになった。家に帰ってもその腐臭がずっとするので、俺の体に染みついてしまったのかと思った。  でも、明らかに家の裏手から臭いがしたんだ。俺は臭いをたどると家の裏手に林に隠れるように洞窟のような穴があるのに気が付いた。洞窟に入って先に進んでいくと光が差し込んでいる場所が見えた。そこには母親の死体があった。そこはあの穴の下だったのだ。あの穴は家の裏手へとつながっていた。  なぁ。教えてくれ。あの穴に向かって俺は愚痴を叫んでいた。洞窟はよく音が響くのであそこで叫んでいた俺の声は家の近くでも聞くことができただろう。そして、俺はあの穴に愚痴と一緒にいろいろなものを捨てていた。そして、それは次の日には無くなっていた。  これじゃ、まるで俺の愚痴を聞いていた人間が俺の捨てたものを片付けていたみたいじゃないか。  ?  俺に教えてくれ。  俺は知りたくない。  
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