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卒業式
準備は昨日までにすべて終えた。
証書の最終確認。体育館の椅子並べに、立て看板の設置。教室の掲示物を撤去して、代わりにペーパーフラワーや色紙で装飾する。このあたりは他の学年の先生や事務員さんに手伝ってもらった。
それから、これは業務に入っていたわけではないけれど、教室の机を拭き上げた。
歌詞らしきフレーズが書いてあったり、削った跡がついている。一列に並べて貼られた値札シール、というのもあった。
32人がここにいたという、ささやかで確かな証。
明日は、卒業式だ。
最寄り駅から学校までのほぼ一直線の歩道には、ゆるく断続的な長い列が伸びていた。
生徒たちと保護者たち。親とは別々で登校してくるらしい生徒だけの集団もいれば、親子で仲良く話しながら歩く姿もある。
「なぎぼう、おはよー」
「おはよう」
誰が言い出したのか、僕のあだ名も定着した。子どもはあだ名をつけるのが上手だ。
坊、というのが僕への評価であり批評なのだろう。今日も頑張らなきゃと思う。そして、これからも。
さすがに18歳という年齢の生徒がこれだけずらりと並ぶと圧巻だ。存在感を放つ。
二百余名の、それぞれ異なる道程が連なっているとも言える。
もっと幼い子どもなら、ただかわいいというだけだ。それと違うのは、彼らには重さがある。
涙もろくなるよりも、その責任に改めて身ぶるいさせられる思いがした。
式典を終えると、教室では真口先生からのお話がある。
僕は副担任なのでそっと後ろに控えるだけだ。
まずは3年間よく頑張った。お前たちの努力は、今後の人生において必ず! 支えとなってくれるだろう。…
とりたてて華美な言葉ではなかった。昔ながらの、少し武骨な真口先生を僕は尊敬している。
お調子者の誰かが、マグロっ、と合いの手を入れると、くすくすと笑いが起きる。
全員そろうことができて良かった。
正門と昇降口のあいだは広さがあり、整備された花壇や掲示板、椅子とテーブルが設置されている。ちょっとした庭園のような作りだ。
次はそのスペースで部活動の後輩から花束を受け取ったり、保護者や友達同士の撮影という流れになる。
スマホのカメラのシャッター音があちこちで鳴る。
各クラスごとの全員での写真撮影を、何人もの生徒が自分のスマホでしたがるから時間がかかる。
はしゃいでいて、この時間が永遠に続くような錯覚に陥りそうになる。
「草薙先生」
女子生徒に請われていっしょに写真を撮ったあと呼びかけられて、振り返る。
「…嶋田さん」
人混みの中で、2人ともわざわざ僕を探してくれたという様子だった。
「薫がご迷惑をおかけして、先生には大変お世話になりました」
ご両親そろって、深々と頭を下げられる。
「…迷惑だなんて」
答えに詰まる。
ありとあらゆることが一瞬でぶわっとよみがえってきそうになって、たぶん教師としての理性で僕はそれを抑えた。
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