渋谷はまかせろ

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 周平(しゅうへい)は客に席をすすめると、自分もソファの端に引っかけるように腰を降ろした。  緊張が顔ににじまないよう意識しなければならなかった。応接室にも触れればはじけるような空気が張り詰めている。  顔が強張ってしまうのは応接机の脇に立つ三人の少女たちも同様で、白熱したテニスでも観戦しているかのように周平と来客者の顔とを交互に見比べていた。もっとも、これが本当の試合であれば防戦一方なのは周平だった。彼は相手の気迫にすっかり飲まれていた。 「それで……」自分の声が掠れているのに気づき、周平は控えめに咳払いをした。「それで、本日はどういったご用件で?」  相手はじろりと視線をあげた。それだけで心臓が縮みあがる。  周平は相手の顔を知っていた。仕事柄、テレビといえばほとんど芸能関係の番組しか見ないのだが、それでもこの男性の顔をしばしば画面越しに目にすることがあったからだ。 「ご挨拶が遅れました。自分はこういう者です」  来客が懐に手を差しこんだ。  拳銃が出てくるぞ。そんなありもしない妄想までしてしまう。もちろん取り出されたのは拳銃などではなく、薄いネズミ色をした金属製の名刺入れだった。 〝防衛省統合幕僚監部統合幕僚長 岩戸尋國(いわとひろくに)〟  そう書かれた名刺と本人とを交互に見比べる。肩書きを文面で突きつけられ、相手の厳めしい実体がいよいよ増したように思えた。  短く切り揃えられた髪、日焼けした肌と彫りの深い顔立ち。視線鋭い右目の下には、ひきつったような古い傷痕がある。そんな見た目をした岩戸とふたたび視線がかち合い、周平は慌ててとりなした。 「失礼しました。わたくしは、こういう者です」  周平も懐に手を入れる。武器を取り出すと勘違いされて返り討ちに遭う。今度はそんな妄想が浮かんだ。 〝スタープロダクツ株式会社 マネジメント部芸能グループ 橋本周平〟  職業に貴賎無しとはよく言ったものだが、相手の肩書きと自分のものとを比べてなんだか申し訳ないような気持ちになる。そんな周平の思いをよそに、岩戸は一文字も見逃さないような視線で名刺に目を通すと、角に合わせるように応接デスクの上に置いた。  それを見て、周平は少しだけ緊張がほぐれた。もっとも、ほんの少しだけではある。 「しかしアポを頂いたときは驚きましたよ」お互いの自己紹介が終わったと判断し、周平は切り出した。「岩戸さんのような方がうちみたいな中堅どころにいらっしゃるなんて」 「そうなのですか。当世に疎いもので、失礼ながら御社のこともつい先日存じ上げたばかりなのです」 「はあ……」  つい気の抜けた返事をしてしまう。明らかに岩戸はこの空間の異分子だった。羽根の美しさを競う孔雀の群れの中に、一羽の荒鷲が降り立ったようなものだ。  その眼光だけでなく、岩戸は経歴も凄まじいものだった。防衛大学出身にもかかわらず、出世の道に背を向けて陸上自衛隊のレンジャー部隊に志願、訓練では負傷しながらも(そのときについたのが右目の下の古傷なのだろう)優秀な成績を修めている。ほかにも数々の逸話や功績に事欠かず、その結果なのか、現在の地位に就いている。まさに叩き上げの職業軍人だ。  来訪の旨を上司から告げられた周平は、そんな人物が自分たちにいったい何の用なのかと首を傾げた。下調べの段階で、岩戸が常識の範疇ではおさまらない存在だとわかったからだ。  現に岩戸は、秘書や護衛(そんな人たちがついてくるのかどうかはわからないが)をつけずに、ひとりでここまで来ている。もっとも、相手が周平のような駆け出しの芸能マネージャーと小娘三人なら、彼にとっては大した脅威にもならないだろう。事実、制服の左胸にびっしりと提げられた勲章のひとつひとつが射抜くような輝きを放っていたし、傍らに置いたアタッシェケースは、それだけで武器にも楯にもなりそうだった。
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