南條の<運命>

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南條の<運命>

* * *    秋日虎が生まれてから一年が経った。よく笑う子どもになった。眠そうな大きな目にふっくらした唇、くるくるの天然パーマ、そしてなによりその笑顔が天使のようだと、貢治や本郷にも可愛がられている。  巽と貢治はときどき電話をして、我が子がもう少し大きくなったらお互いの家に遊びに行こうと、楽しく計画を立てている。本郷一家は京都から大阪に引っ越し、南條家と少し距離が近くなった。  巽は育児と家事の合間を縫ってオメムちゃんのイラストを描いたり、ビラ作りなどをして、〈バース・フリー〉の活動に参加している。ときどき息子を板倉と三神たちスタッフにあずけ、夫の啓発講義を聞きに出掛けた。もう少し秋日虎に手がかからなくなったら、講義やデモの手伝いをしたいと思っている。  それから、〈バース・フリー〉の会報にエッセイを書いてほしいという依頼ももらった。  企画したのは三神で、軟禁されていたときのこと、外に出てから、そして自立の過程を記してもらいたいという。 「きっとみんなの希望になるから。なによりあたしがいちばん読みたいし!」  そう言って背中を押してくれる三神に、巽は自信がないながらも引き受けることにした。挿絵も入れようと三神と話し合い、出来上がった三回連載のエッセイは大好評を博した。  その間に裁判があり、辻原は懲役六年を言い渡された。抒情酌量の余地があると下された六年だった。  〈バース・フリー〉の活動はますます盛り上がり、オメガ支援運動も全国に広がりを見せている。  そんななか、南條は思い出の再会を果たした。初めてできたオメガの恋人――高校時代の同級生、菊池侑平(きくちゆうへい)が、南條がたまたま雨宿りに入ったカフェでスタッフとして働いていたのだ。  菊池は結婚し、卯月(うげつ)という名字に変わっていた。カフェから自宅に戻ってきた南條は雨でスーツの肩を濡らし、動揺のあまり目を瞠っていた。タオルを持って出迎えた巽に「侑平に会った」と口早に話す。 「はは、『おお、カタブツ成市郎だ!』ってすごく喜んでくれたよ。ちょっと太って、きれいになってた。今は双子の母親になってる。結婚は二十一歳のときで、子どもは二十四で産まれたそうだから、もう中学生だって」  お土産にそこのカフェのクッキー買ってきたよ、と靴を脱ぎながら笑う夫を、巽はまじまじと見つめた。 「……先生は、うれしかった? 再会できて」 「ああ。うれしかったよ。本当に久しぶりだったから。おれも結婚したって報告した。『カタブツ成市郎は結婚なんかできないと思ってたよー!』って大笑いされた」  ふふ、と巽も笑う。  沈黙が落ちた。胸に抱えきれなかったのだろう、南條がぽつりと口を開く。 「今の旦那さん、番じゃないんだって」 「え……?」 「『番と出会えたから別れるって、おれに言ったよな?』って訊いたら、『親に、“あなたには医者の家に嫁いでほしい。いい人がいるから紹介する。高校を卒業して短大には行かせてあげるから、それから結婚しなさい”って言われたんだ』って、教えてくれたよ。『でも、今は幸せだよ。成市郎もだろ?』って、おれの結婚指輪を見て笑ってた」 「その人は……先生の〈運命の人〉じゃないの? もしかして、番じゃないの?」  振り絞るような声でつぶやいた巽に、南條はタオルで頭を拭きながら目を逸らす。 「実は今日、侑平にも言われたよ。『成市郎はおれの番かもしれない、って気がしてた』と。『〈運命の二人〉じゃないかって、ずっと思ってた。でも、今さら言われても遅いよね』って。……そうだ。今さら遅いよ。おれは――あのときにそう言ってもらいたかった。『例え運命なんてなくても、いっしょにいたい』っておれが言ったあのときに」  顔を上げて笑い、「でも、もう済んだことだ」と巽の手にクッキーを握らせる。 「あのカフェには、もう行かない」  そう言い残してリビングの方へ歩いていく夫の背中に、巽はこくりとうなずいた。  ――例え運命なんてなくても、いっしょにいたい。  その言葉が巽の背中を押す。  走っていって、リビングで息子を抱きあげている夫の背中に抱きついた。 「わ、どうした巽さん!?」  びっくりしてのけぞる南條の背中に頬を押しつける。 「なんでもないよ、先生!」  そうかー? と笑う南條に、巽も笑う。秋日虎がびっくりしてまん丸に目を瞠っていた。  巽は本当は、南條との〈運命〉を望んでいる。
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