20話

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20話

 平和な時間が穏やかに過ぎていく。  何も変わらないのに、何かが変わり始めている。それは実態のない不確かなもので、だから不安なんだと思う。 「香川」 「ん?」  求めはしない、だけど、今の気持ちを知りたい。 「……何か食べたいのある?」 「……んー……」  言葉が出てこないのはいつもの事。酒が入らないと聞けない事でもないのに、この微妙な関係でも壊したくはないから。  香川は宙を睨むようにして考えている。唐突に聞いてしまったから直ぐには出てこないようだ。 「あ、豚汁飲みたい……実家帰った時に久々食べたけど美味かった、三田村はいつも味噌汁だよな」 「いいよ、今度作るな」 「うん」  二人共ほぼ食べ終えているのを見て、こたつから抜け出ながら口を開く。 「お茶、入れるよ」 「ありがと」  豚汁を作らないのは自分があまり好きではないから……とは言えない。  キッチンへ移動してお湯を沸かす準備。いつもの手順、電気ケトルを棚から出して水を入れ、台座に置いたらスイッチを押す。今日はほうじ茶にしよう。  沸くまでは食器の片付けを、と思えば香川が黙々と皿をトレーに乗せ出していた。 「あ、オレ、やるから」 「うん……」  最近はすっかり香川が片してくれるようになった。 「洗うからこたつ入ってなよ、お湯沸いたらオレがお茶淹れるよ」  用意したマグカップにはほうじ茶のティーバッグがセットしてある。そこへ視線を投じながら香川が言う。 「うん……」  入れ替わりにこたつへ入る。かちゃかちゃと食器の洗う音、電気ケトルからはお湯が沸騰している音、そしてテレビからはバラエティー番組。平和で平穏、だからこそだ。  暫くすると水音が止み、マグカップへお湯を注ぐ音が聞こえてきた。もう香川が戻ってくる。  キッチンと言ってもリビングのすぐ後にあり、特に衝立などもない。だから気配で分かる。 「はい」 「……ありがとう」  目の前の天板にマグカップが置かれる。湯気が立ち上り、ほうじ茶の香ばしい香りが鼻に届く。 「なぁ……」 「ん?」 「……」  次の言葉が直ぐに出てこないのか、言いにくいのか、香川の表情が少し曇り俯いて、また直ぐに顔を上げると思い直したように口を開いた。 「三田村……あのさ……」  あぁ、怖いな。年が明け香川と話す時、ふとそんな風に思う事が増えた。何を言われるのだろう、もしかしたら、もうこの部屋には来ないと切り出されるのではないか。  だから、何度もシミュレーションした。何度も最悪の事を考えた。  でも、恐怖が薄れる事はなかった。 「……お前、豚汁あんま好きじゃない?」 「……は?」  だけど、予想とはあまりにも掛け離れた問いで、暫し固まってしまう。 「……だから……豚汁……」 「えーと……」 「やっぱり……だよな……ごめん」 「え?な、なんで?え?豚汁?」  ついさっき豚汁の話題が出た気はする。だが、そんな事もう三田村の頭にはなかった。  香川は何だか申し訳なさそうな表情だ。謝る必要なんてないと言いたいのに、何を言えばいいのか分からない。 「……さっき食べたいの何かあるかって聞いてきただろ?」 「あー……はいはい、言った……え?で?」 「……お前の反応、なんか……ちょっと……いつもと違う感じしたし、作った事なかったから、もしかして三田村は豚汁好きじゃないのかなって思ったの」 「あぁ……」  なんで?という言葉が出そうになったが、それは香川の言葉に流された。 「……いつも、もっと……オレが……これ食べたいって言うと……その、嬉しそうにする、から……」 「……」 「……いや、その、あー……ごめん、作るの大変でいつもは作らないだけ?変な事言ってごめん……」  俯いて、ずずっとお茶を啜る香川。じっとその顔を見つめていると、気付いて顔を上げ何だよって表情を作る。いつもの流れに苦笑する。  最近の香川はオレの事をもっと知りたいと言った通りに、ちゃんと見ようとしてくれる。知ろうとしてくれる。  その事は嬉しい。嬉しいけれど、どれだけオレの事を知ってもお前がオレに好意を持つ事はあるんだろうか。そんな風に思うようになった。  多分、前よりも自分は臆病になっている。  相手が、自分を好きになってくれる可能性なんてゼロに等しい。もしかしたら、とか、期待とか全部切り捨てて考える事を覚えたら、この先が怖くなった。  でも。 「……お前が食べたい物がオレの食べたい物になるなら、嫌いでも何でも作りたいって思うよ」 「……嫌いなんじゃん……」  側にはいたいんだ。  期待なんて今はもう出来そうにないけど。だからこそ、今この関係を維持出来るように自分が出来る事をしたい。  お前を繋ぎ続けられるのは『料理』だと思うから。 「……好きに、なるかもじゃん……ちょっとずつ試してさ……」 「……うん……そうだな」 「うん……」  香川が小さく笑う。 こんな気持ちは知らなかったんだ。 どれだけ不遜な恋愛しかしてこなかったのかと反省してしまう。 「沢山言って、お前が食べたい物、料理するの楽しいんだ……だから、色々作ってみたくってさ」 「うん、ありがとう、オレもお前が見ているレシピサイト見てみようかな……」 「あとでラインで送るよ」 「うん」  ちゃんと笑えているだろうか。  嬉しいのも哀しいのも、幸せも辛い事も全部香川が絡むのならば臆せず欲しい。いや、怖いのは怖い。でも、多分逃げだす事も投げだす事も出来ないし、したくはないから。 「リクエスト楽しみにしてる」 「うん」  そして、今日も何もなかった顔で香川を部屋から送り出す。
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