プロローグ

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プロローグ

「葛西くん?」 その声に俺は振り返る。 黒いワンピースに、白に近い淡いグレーのコートを羽織っている女性。 俺は驚くと共に、心臓の鼓動が少しだけ早くなるのを自覚する。 「!…あ…お疲れ様です…!」 俺がこの大学に入学してから始めたカフェでのアルバイト。 慣れないアルバイトで右も左も分からない俺に、いつも優しく接してくれる湯川(ゆかわ)さんが俺から数メートル離れた場所で微笑んでいる。 「お疲れ様! 後ろ姿で葛西くんかなって思って… 声、かけちゃった」 そう言って微笑まれ、俺はどうしていいか分からなくなったのと照れもあって、髪の毛を触った。 子供の頃から抜けない、恥ずかしい時の癖。 「今から学校?」 「はい…今日は午後からぶっ通しで講義があって…」 俺はまだ髪を触っている。 「うわー…大変だね… バイト終わったばっかりなのに…」 湯川さんは困った様な顔をすると俺の横に並んだ。 ほんのりと、甘いレモンの様な香りが俺の鼻腔をくすぐる。 何か話さなければと思考をフル回転させ、俺は口を開く。 「えと…湯川さんは…」 「ん???」 首を小さく傾げられ、俺はその動作を可愛いと思ってしまう。 一回り以上歳の離れた女性であるにも関わらず、おかしな事だ。 「ーーーなんで…京帝大に……?」 おずおずと聞いた俺を見た湯川さんは「ああ…!」と呟いてから「そっか」とはっきりと口にして話し始めた。 「夫が携帯を忘れたから、届けに来たの。 携帯無いと、何かと不便そうだから」 「え!?!?」 俺は自分でも予想して無い大きな声をあげた。 湯川さんが結婚している事は知っているが、その相手がどこの誰で、どんな人かは全く知らなかった。 まさかーーー自分の通う大学の人間だとは… 「驚くよね。私もこの大学の出身でさ…… ……折角入学したのに、勿体無いことに大学出て直ぐに夫と結婚しちゃったの」 イタズラっぽい笑みを浮かべられ、俺は頭の中で様々な憶測を並べ始める。 湯川さんと同じ歳ぐらいの大学職員の男達の顔が頭の中をぐるぐる回る。 「そうだったんですか…… …えーーー…全然知りませんでした…… ……湯川って珍しい苗字なのに……」 俺は話しながらも、頭の中で大学内にいる「湯川さん」を探そうとする。 「あ、私の湯川って旧姓なの」 「!!!…え!?…そうなんですか!?」 俺は驚いて横を向いたまま立ち止まってしまう。 湯川さんも俺に合わせて、足を止めてくれる。 「うん。 私も学生の頃からあのカフェでアルバイトしてて。 そのままずっと働いてるから、その時の名前をそのまま使ってるんだ」 「あ…なるほど……!」 そんな事できるのかと驚きながら、湯川さんの今現在の苗字を聞こうか聞かないか迷う。
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