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 四月も半ばを過ぎる頃、頼杜(よりと)達の住む街では八重桜の並木が見事になる。  今も頭上には、桜餅のようにふっくらとしたピンク色の花が咲き誇り、春の心地よい風にその身をそよがせている。そんな並木の中を、臼井(うすい)が駆けてきた。 「常田(ときた)くん、遅くなってすみません!」 「俺が早く来すぎちゃっただけなんで。全然、遅刻の内に入らないですよ」 「でも俺、今日すごく楽しみにしてて……そもそもお花見しようって言ってて、今まで先延ばしにしてもらってたのも俺の都合だし」  恋人は、下唇を噛んで悔しそうな表情をする。  四月上旬は入園式などのイベントもあり臼井の業務が特に立て込む時期なので、ソメイヨシノは見送って、八重桜での花見となったのだった。 「俺が先に待ってようって思ってたのに、負けちゃったな」  そう拗ねるように頼杜を見上げる様が堪らなく可愛くて、今すぐ抱きしめてしまいたかった。 「今日を楽しみにしてたのは俺も同じなんで。今回は俺の勝ちですね」  ふざけてにやりと笑うと、臼井も釣られて笑った。 「今、珍しく常田くんが年下っぽさ出してくれましたね。可愛いな」  臼井が、横を通り抜ける。追い抜きざま、手の甲同士が触れ合って、するりと離れていった。思わず頬が緩む。  基本的に、臼井が外で大っぴらに頼杜に触れてくることは無い。園の関係者の目が何処にあるか分からないし、その中には自分達の関係に好意的でない人もいるかもしれないことは頼杜も理解していた。  それにもう一つ、おそらく臼井は自分達の立場の違いに少なからず負い目を感じていて、そのことも外での振る舞いに影響しているのではないかと頼杜は推察していた。  想いが通じ合い、身体を重ねた後、臼井から「社会人が大学生を食べちゃったな」なんて冗談めかして言われ、その時は「食べたのは俺の方でしたけど」なんて笑いながら返したが、あれは二人の年齢差に後ろめたさのようなものを感じる臼井の本音が滲んだ言葉だったのかもしれないと後になって思った。  そういったこともあって、ささやかな触れ合いであっても、それが恋人がしてくれる外での精一杯の愛情表現だと頼杜には伝わっていた。  寧ろ、そんな遠慮さえも「この人らしいな」と思えたから、まるごと愛おしかった。  だから今は、離れていくのを捕まえそうになる手を静かに引込める。自分が社会に出て、自立して、臼井と対等な立場になったら——そうだ、自分達を知る人が誰もいない街へ旅行に行って、そこで手を繋ぐのもいい。その時は、自分からこの人の手を迎えにいくのだ。そんなことを考えると、次々と二人でしたいことが湧いてきて、これから先が楽しみでならなかった。  先をゆく臼井の後ろ姿から覗く耳は、周りの花の色を映したかのように染まっている。ソメイヨシノより深い桜色——八重桜のような濃いピンク。嬉しい時のサインだ。  臼井が以前教えてくれた、目には見えない色。外からは見えないけれど、確かにそこに存在する色。桜が花を咲かさんと、逸る気持ちを色にしてその幹に美しく、鮮やかに湛えているのだとしたら。今この身体の中を流れる血潮もまた、我ながらに中々良い色をしていると思うのだ。  これから二人が迎えるのはきっと、春だけではないことも分かっている。それでも愛しい人の隣で未来を思い描き、大きく膨らむこの胸は、桜の木にも負けない程に瑞々しく煌めいた色彩で満ち溢れているのだ。  〈了〉
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