なりたい、が連鎖する

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なりたい、が連鎖する

 頭蓋骨を抱きしめて、眠る妻が幸せそうだっただから離婚したんだと、同僚の大木が街中華で夕飯がてら待ち合わせし、差し飲みとなったカウンター席で打ち明ける。  幸せなのが悲しいのかと訊けば、仕事を家まで持ち帰り、心酔しているところがしんどかったそうだ。  どうやら文化人類学だとか、骨相などを主として研究している職業らしい。美人で優しいが、寝室にまで標本を持ち込まれるのは我慢できなかったとは大木の弁である。  しかし僕は、ありえないことと知りながら首を捻ってしまった。  果たしてそれは、本当に標本なのだろうかと。  そういえば、大木の奥さんは以前、恋人を亡くされて悲嘆に暮れていたところ、こいつと知り合って互いに惹かれて結婚したんだったか。  標本もあいつが作ったものなんだよ、と大木が言うのではっとする。  本物でなくとも、よく似せて作ることなどしばしばやっていると、以前訪れた折に奥さん自身がさも自慢げに言い張ったことをふと、思い出したからだ。  だとしたら奥さんはなかなかに、いや、潔いほどに堂々とした不貞行為をしているというわけではなかろうか。 「あいつは頭蓋骨を大事にスーツケースへしまいこんで、離婚届を出した翌日さっさと出て行ったさ。しばらくは仕事先である大学の研究室で寝泊まりして、物件はゆっくり探すらしい」  簡単なもんさ、と大木は目尻に涙を浮かべていた。チャーシューと餃子をあてに紹興酒で酔ったせいだけではないだろうと察し、俺は黙ってザーサイをつまみに、ビールを飲んだ。  まもなく2024年です、と高台にあがったテレビの向こうでアナウンサーが、喧騒とはほど遠くしんとしており、暗がりと寒さが目立つ繁華街をバックに、まるで反抗するような景気良い声で呼びかけた。 「殺風景だな……なにもかも、世の中が変わっちまった。俺もあいつも、変わっちまった。でもな、羨ましかったんだ。話しかけられて、胸に抱かれるあいつが、俺は、あいつになりたかった……はは、馬鹿みたいな話だよな。はは、ははは」  ボソリと、そう呟く大木がどれほど奥さんに惚れているかがわかる。  俺は、奥さんになりたかったよ。  そう言えたらどれほど、胸がすっきりするだろうか。  割り切ることができないまま、新しい年を俺たちは、静かに迎えた。
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