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転機
雅史はしっかり資格もとり、毎日忙しく働いていた。
私も正社員になり、慌ただしく毎日が過ぎた。
そうやって3人での暮らしは季節を重ねていった。
離婚して何度めかの、この春、圭太は大学を卒業して、県外の会社に就職が決まった。
「ねぇ、忘れ物はない?引越しの荷物の荷解きについていってあげようか?」
もう成人しているとはいえ、息子の初めての一人暮らしが心配でならない。
「母さん、圭太は大丈夫だよ、何かあったら1時間もあれば帰って来れるんだし」
いつの頃からか、雅史は私を母さんと呼ぶようになった。
「もうっ、男親って冷たいのね、家事もまともにやったことないんだから、心配になるのは当たり前でしょ?」
「それなら俺が教えておいた、母さんがいないときに男同士での話もあったし。な?圭太」
「まぁね、とにかく父さんが言う通り、僕でも多少のことはできるようになったから、心配しないで。じゃ、行くね」
靴を履いた圭太は、荷物を詰めたスーツケースを持って玄関に待たせていたタクシーに乗った。
タクシーが角を曲がるまで見送ったけれど、圭太は一度振り向いただけで行ってしまった。
「あーぁ、行っちゃった……」
「行っちゃった、な」
なんとなく、家の中に隙間ができたような気がする。
「あー、やっぱり寂しいなぁ」
_____わかってはいたけど、圭太の存在は大きかったんだなぁ
じわりと込み上げるものがあり、こっそりと涙を隠した。
「お茶でも淹れようか?最近、美味しいコーヒーを見つけたんだ」
「へぇ、ありがとう、いただく!」
雅史が手にしていたのは見たことがないパッケージのコーヒーだった。
「可愛いパッケージだね」
「だろ?ほら、少し行ったバス停のところにコンビニがあったじゃん?あれがいつの間にかコーヒー専門店に変わっててさ。一回行ったら美味しかったから豆を挽いてもらったんだ」
コーヒーの香りが部屋いっぱいに広がる。
「はい、まずはブラックで飲んでみて」
コトリと置かれたカップからは、ゆらゆらと湯気がたっている。
「え?珍しいね、雅史はいつも砂糖もミルクも入れるのに」
「いいから、いいから」
そのコーヒーは、私の好きな味だった。
酸味は少なく、程よい苦味としっかりとしたコクがあった。
「美味しい!うん、私もこれ好き」
「だろ?そうだと思ったよ」
雅史と二人だけの時間が、今は穏やかで居心地がいい。
時間はいろんなものを薄めて緩めて、トゲを流してしまったようだ。
「あ、そうだ!圭太に言われてたんだった」
雅史は、何かを思い出したように2階に上がって行った。
しばらくすると小さな紙袋を持ってきた。
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