12章 想いを受け継ぐ

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 あれから数年後。コトリと凛は30代の半ばに近づいた。  今日は月曜日、夏の夜の奈良。  山椒の実に似たキハダの実(乾燥済み)を1粒。深煎りのコーヒー豆を15g。それらを一緒にミルに入れて、グラインドする。出来上がった薬草珈琲粉をフィルターに移し、測りにセットしているコーヒーサーバーの上に置く。その上から90度前後のお湯を軽く注ぎ、粉を蒸らしてから、一気にお湯を注ぐ。サーバーにコーヒーが落ちきったら薬草珈琲の完成だ。 「お待たせ。試作品のキハダ珈琲になります。」ならまちに店を構える薬草珈琲店の店主、今里琴音は、中学校以来の親友、笠原凛に薬草珈琲の注がれたカップを差し出す。 「凛ちゃん、もしかしたらちょっと苦かったり刺激が強かったりするかもしれないから、その場合はお砂糖などで味を調節してみてくれる?」 「オッケー。じゃあ、色々と試して最適解を探してみるぜ。」そう言って凛は、キハダ珈琲を口にした。 「ありがとう、助かる。」琴音も優しい笑顔を見せる。  かつて、その笑顔はぎこちないものであった。人と心をどう通わせば良いかが分からず、笑顔も取り繕ったような笑顔だった。しかし時が経ち、人とたくさん触れ合い、ライフスタイルも変わり、琴音は自然な笑顔を身に着けるようになったのだろう。 「・・・しかしコトリってさぁ、笑顔が素敵になったよな。」その笑顔に凛も反応する。 「えっ、そう?この前、シロクロ編集舎の久木田さんがまた取材にいらっしゃって、同じこと言ってような気がする。・・・でも、そうかもね。凛ちゃんが心の歯車の回し方を教えてくれたから」 「心の歯車?」 「うん。あ、違うか。凛ちゃんが教えてくれたのは心の温かさだった」 「あぁ、それな」 「うん。それそれ」  カップを回してコーヒーに入れた砂糖を溶かしながら、凛が話題を変える。 「そうだ。先週木曜日の県の会議、どうだった?何か進展あった?」 「県主催の薬草協議会のこと?」 「うん、それ」 「まず、いつものメンバーが出席していました。まずはもちろん、県職員の岡本さん。そして、上松ファームの上松さん、Angellinaのオオツカ姉さん、薬草ビールのマスター。クロモジを栽培している林業家の谷村さんもいらっしゃったよ。それに、舞先生も。あと・・・知らないカフェオーナーさんやサロンオーナーさんたちも新しく参加してたよ」 「へぇ、賑やかになってきたねぇ」 「うん。奈良の薬草も盛り上がってきた感じ。もちろん、奈良県内の製薬メーカーさんや県議会議員さん、薬事研究センターの人もいつも通り参加してた。・・・あ、そうそう。オンラインで横浜から佳奈ちゃんも参加してくれてたよ。大手化粧品メーカーの研究者の立場としてのご参加でした」 「おぉ。佳奈ちゃん、偉くなったねぇ」 「だね~」  懐かしい名前を口に出して、二人は目を細める。 「で、何がホットトピックだったの?」 「そうだね・・・でも、やっぱりここ数年の話題はヘルスツーリズムかなぁ」 「なるほど、そうやろうね」 「うん。お金のある人にはじっくり宿泊される方も多くて、少し人里から離れた場所で手厚いケアを楽しめるようなプランを準備すべきだとか。一般、というのは変な言い方だけど、奈良にいらっしゃったライトユーザの方にも気軽に楽しんでいただける身体に心地よいプランを準備すべきだとか。そんなことを話していました」 「幅広い事業者が参加していて、会議も盛り上がったんじゃないの?」 「うん。みんなすごく喋って、逆にまとまりなく時間切れになっちゃった笑」 「まぁ、活発なのはいいことやねぇ」 「まぁ、確かにそう笑」  会話の区切りと同時に、凛はキハダ珈琲の最後の一口を楽しんだ。凛としては特に、砂糖も何も加えなくて良く、ストレートで十分に美味しいという評価だった。 「さぁ、行こうか。」と凛が声をかける。 「だね。さっと店を閉めるよ」 「うん。さっき、うちの相方からメッセージが来たんだけど、コトリの相方とも合流したって。二人とも保育園で子供をピックアップ済みということでした」 「良かった。待ち合わせは現地だよね?」 「うん。そうそう」 「了解。ありがとう。」琴音はもう一度、優しい笑顔を見せた。  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇  奈良の夏の風物詩、燈花会。  幾万本のロウソクの光が夜の奈良公園を温かく灯し、幻想的な空間を浮かび上がらせる。  琴音は凛と歩きながら、色々なことを思い出した。学生だった頃に母と二人で何回も行った燈花会のこと。母が亡くなる前に母と凛と三人で行った燈花会のこと。または、勾玉が見せてくれた灯の夢。そして、奈良時代に香古売が赤麻呂や虫飼らと走った灯明の二条大通り。それらの想い出が、いま自分を取り囲むロウソクの光と混ざり合いながら、一言では言い表せられないような感情をもたらす。  夜の灯に囲まれながらこれまでもたくさんの思い出を作ってきたけれど、これからも新しい想い出をずっと作っていくんだろうと、琴音は思った。  もうすぐ鷺池の浮見堂。池に反射する美しい灯が目に飛び込んでくるのだろう。行く先に目をやると、男性が二人、こちらのほうを向いているのが見える。  二人のほうに近づくと、一人の男性が胸に抱く幼い子供を琴音のほうに差し出した。 「お待たせ、ありがとう。」琴音は男性に手短に謝意を伝え、我が子を胸に抱く。  子供は母親の腕の中におさまるとすぐに、浮見堂のほうを指さして、ア、ア、と母親も見るように促す。 「あっちのほうキレイだね、明日香。」琴音は自分の娘の顔を愛おしそうに眺めてから、自分も浮見堂のほうに目を向けた。  チラリとだけ凛のほうに顔を向ける。凛も我が子をあやしているようであったが、琴音に気づいて少しだけ目が合わさる。そして、二人で微笑んだ。自分の夫は・・・スマホを構えてこちらの様子を伺っていた。写真を撮るタイミングを見計らっているんだろう。  薬草珈琲でつながった縁。強まった絆。改めて、琴音は自分が良い人生の選択をとれたことに幸せを感じた。そして、この人たちと末永く、時間を共にしながら生きていくのだろうとも思った。 「じゃあ、色々と歩く?」琴音がそう声をかけると、 「うん。行こっか。」と凛が返す。  そうして二つの家族は浮見堂を後にした。  ・・・いま、琴音の胸に抱かれている1歳の明日香は、その手に丸い葉っぱを握っている。季節的に柿の葉なのかもしれない。  ただ、明日香がア、ア、と声を出したとき、その丸い葉っぱが少しだけ光り輝いていたことを、まだ誰も気づいてはいなかった。 『コトリの薬草珈琲店 〜完〜』    ・    ・    ・    ・    ・ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー あとがき 本作品の作者、サトタケと申します。『コトリの薬草珈琲店』を最後までお読みいただき、ありがとうございました。 奈良の魅力、薬草の面白さなどを伝えたいと思い、それらを物語として紡いできましたがいかがだったでしょうか。物語の中で紹介した色々なロケーションは、実際の奈良のスポットに因んでいます。機会があればその場を訪れて、奈良の魅力を楽しんでいただければと思います。 この物語の続きもスタートしています。最後の燈花会のシーンから、さらに4~5年が経った世界。琴音と明日香の活躍する短編の物語群です。そちらもぜひ、お読みください。「コトリとアスカの異聞綺譚」 なお、本小説を気に入ってくださった方は、お知り合いにご紹介等いただけますと幸いです。いずれにせよ、また皆様とお会いできることを楽しみにしております。 2023年5月 サトタケ <主要参考文献> ●薬草関連 ※著者の資格取得にまつわる教科書類(非公開) 増田和夫「薬になる植物図鑑」柏書房 斎藤和季「植物はなぜ薬を作るのか」文藝春秋 ●コーヒー関連 井崎英典「世界一美味しいコーヒーの淹れ方」ダイヤモンド社 石脇智広「コーヒー「こつ」の科学」柴田書店 ●奈良の歴史関連 馬場基「平城京に暮らす」吉川弘文館 近江俊秀「平城京の住宅事情」吉川弘文館 宮本長二郎「平城京 古代の都市計画と建築」草思社 奈良文化財研究所編「平城京のごみ図鑑」河出書房新社 奈良文化財研究所編「木簡 古代からの便り」岩波書店 三浦佑之「平城京の家族たち」角川ソフィア文庫 金子祐之「平城京の精神生活」角川選書 鐘江宏之「律令国家と万葉びと」小学館 出川広「天平の律令官人とくらし」桜山社 伊集院葉子「古代の女性官僚」吉川弘文館 横林宣博「奈良、医療福祉のはじまり」読売奈良ライフ 酒井シヅ「病が語る日本史」講談社学術文庫 新村拓「日本仏教の医療史」法政大学出版局 新村拓「死と病と看護の社会史」法政大学出版局 ●世界観の参考に 澤田瞳子「火定」PHP 葉室麟「緋の天空」集英社文庫 石川ローズ「あをによし、それもよし」集英社 以上
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