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その人の力強い腕の中で、オレもまたその人の首に回した腕に力を込めると、オレの中に言いようもない高揚感と幸福感が沸き起こり、オレの目から涙が溢れ出した。
オレの中の全てが満たされていく。
オレを包むその人の香りと温もり、そして抱きしめられた身体から流れ込んでくる思いがオレの心と身体に染み渡っていく。
こんな幸せを、今まで感じたことは無かった。
流れる涙をそのままにそう思っていると、それまで静かだったお腹の子が動き出した。すると密着していたその人にも伝わったのか、その人は身体を離してオレのお腹に手を当てる。するとその手の下がぽこんと突き出した。
まるでお腹越しに手を合わせるその様子は、赤ちゃんがその人によろしくと言ってるようだ。
「ちびちゃんがあいさつしてる。お父さんだって分かったのかな?」
その様子を見ていた百瀬が冗談交じりにそう言うと、その人はすごく驚いた顔をする。
「お父さん?」
「お父さんでしょ?あ、パパの方が良かったですか?」
百瀬が笑ってそう言うと、その人の目がまたみるみる潤み、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「僕がお父さんでいいんですか?」
そう言って涙に濡れた目でオレを見るから、オレも笑って頷いた。
「いいも何も、あなたは本当にこの子のお父さんだし、オレもあなたにそばにいてもらいたい」
それはオレの本心の言葉だった。
一時はそれを、要さんにお願いしたいと思った。けれどオレの心はこの人を求めてしまった。それが運命の番だからかどうかなんてもう関係ない。この人の言う通り、こんなにも激しく思い焦がれることができる人はこの先一生、きっとこの人以外にいないだろうから。
そう思いながらも、要さんを思うと胸が痛い。
あんなにオレのことを思ってくれる人を、オレは選べなかった。
だけど、オレはもう迷わない。再び会うことが出来たこの人と、もう二度と離れることなんて考えられないから。
そう強く思っても、どうしても心の一部が重くなり、気が沈んでしまう。すると隣にいた百瀬がオレの頭を引き寄せた。
「ちぃは何も悪くないよ」
そう言ってオレを胸に抱くと、背中をぽんぽん叩いてくれる。
「みんなちぃの幸せを願ってる。だからちぃも、自分の幸せを考えていいんだよ」
百瀬はいつもオレが不安な時、こうして抱きしめて背中を叩いてくれる。そして欲しい言葉をかけてくれるんだ。
百瀬の香りと温もりは、小さい時からオレを安心させてくれる。そうやってしばらく百瀬と抱き合っていると、それを見ていたその人が遠慮がちに言った。
「もしかして僕、ちぃさんを困らせてしまいましたか?」
それは様子のおかしいオレを気遣って言ってくれた言葉なのだけど、オレはその言葉の内容よりもその呼び名に気を取られてしまう。
ちぃさん?
それは百瀬も同じだったらしく、オレたちは顔を見合せた。
そう言えばオレたち、まだお互いに自己紹介をしていなかった。
見合わせたオレの目の前で、百瀬が堪えきれないと言った風に吹き出した。
「・・・笑うなよ」
肩を震わせて笑う百瀬の背中を、オレは軽く叩いた。
「そうだよね。それどころじゃなかったもんね。ちぃ必死だったし、名前なんてどうでもよかったんだよね」
そして最後に小さく『オレは気付いてたけど』と言った。
そんな百瀬を見てオレの眉間にしわが寄る。
気づいてたんなら言ってよ。
これでも少し前まではバリバリに仕事をしてそれなりに会社でも出来る人間で通っていたのに、こんな周りも見えないくらい無様に目の前の相手に心を奪われるなんて・・・。
オレ、妊娠してから・・・いや、この人に会ってから情けなさ過ぎない?
仕事が出来なくなったと言うよりは、人としてちゃんと対応出来なくなったみたい・・・。
自分の情けなさに落ち込んでいると、笑いが治まった百瀬が言う。
「きっと安心したんだよ」
「安心?」
意味が分からないオレに、百瀬はにっと笑う。
「ちぃはずっと、オメガであることで隙を見せないように気を張ってたから。それが運命の番に会って緩んだんだ。だってその人はちぃにとって一番大事な人で、何があってもちぃのそばにいてちぃを守ってくれる」
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