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「ママ、お誕生日に欲しいものない?」
愛すべき娘に舌足らず気味にそう言われたのは私の誕生日の二週間前のことだった。
「えー? 誕生日のサプライズって本人に内緒でやるものじゃないの?」
「考えたけど思い浮かばなかったから聞きに来た」
「せめてパパと相談するとかしてよー」
「したよ。そしたらパパ、聞いたら答えると思うぞって」
「もー……」
それはそうなんだけど。
結婚する前のことを思い出す。
「指輪買うから指のサイズ教えろ」から始まったのが愛すべき旦那のプロポーズだ。
あの人、あんまり隠す気ないのよね。
このご時世スマホを手放すことはないし、人のスマホを勝手に開ける理由もそうそうないけど、一応あの人のスマホのパスコードは私の誕生日で開いてしまう。
セキュリティの低さから言えば私も似たようなものだが。
我が子の誕生日で開く。
「あ、パパ。ママに聞いたらパパと相談して、だって」
「あ?」
風呂上がりの愛すべき旦那が髪をタオルでわしゃわしゃと拭き荒らしながらリビングに入ってきた。
「何の話?」
「ママの誕生日プレゼント」
「あぁ、それか」
「もう可愛いおかしとかでよくない? あ! あたし最近出た可愛いチョコレート知ってるよ!」
「チョコは2月でいいんだよ。それ以外で上げるとママが太る」
本人が目の前にいるのお忘れなのかしら。この二人。
確かに太りにくい体質ではないし、太るってこの人の前で嘆いたことは何回もあるけど。
何回もあるからこそこの人が乙女のプライドと母親のポリシーは守ってくれないと駄々洩れになってしまうのだが。
「それに定期的にママは友達とそういうの食いに行ってるから」
「え。そうなの?」
「そう」
「ママ友ってやつ?」
「それ」
「……なんか聞いたことあるかも」
「俺が話した」
……旦那を経由して娘に私のことが筒抜けになっているようだ。
二人の仲がいいならそれはいいけど。
それはいいけど私の話題を私のいないところでするなら私も混ぜてよ。
「もう決まんないからさ、パパ、ママの誕生日にママとデートしてきてよ」
「何で二人なんだよ。お前もくればいいだろ」
「それいつもじゃん。誕生日なんだしいつもと違うことしなきゃって考えたら、二人しかなくない? あたし、ママと結構出かけるし」
そうね。
スーパーに買い出しとか。洋服とか一緒に階に行ったりするから愛娘とは週一以上の頻度で出かけている。
そう言われると、確かにこの人と二人きりで出かけたことってもう何年もない様な。
何年もは盛りすぎかしら。でも愛すべき娘が生まれてからは娘がどこに行くにも一緒だったから、あながち冗談でもないような。
数年前に娘の運動会に一緒に行ったことはあるけど、それは娘はその場にいないけど常に娘を目で追ってたからこちらとしてはあまり二人きりという感覚にはなっていない。
なるほど。
そう考えると、妙案な気がしてきた。
流石私の子。
私の喜ぶことが分かりすぎている。
なんて私が内心少しその気になっていると。
「その日は平日だから無理」
とかなんとか。旦那はいつもと同じ且つ先程から微塵も変わらない声色でそう告げた。
・
・
・
「……何」
そんな話が出た夜。いやその話が出たのも20時過ぎとかだから夜ではあったが。
更に更け、愛娘がベッドに入ってしまった後。
二人残されたリビング。
ソファーに座り、テレビのリモコンを弄る旦那の真横に座ってやると、旦那が少し煩わしそうにそう言った。
「……さっきの話だけど」
「どれだよ。映画の話?」
そのあと確かにそんな話題も出たけど。
愛娘がこの人に『何か面白い映画知らない?』って聞いていた。
この人がそういうの漁るの好きなのは愛娘にももう知れ渡っている。
学生の頃はよくこの人がふらっと映画見に行くのについていったりしたっけ。
厳密にこの人が好きなのはアクションとかスポーツといったよく動く画面なんだけど。
「それじゃなくて。私の誕生日の話」
「……」
横の旦那が露骨に顔を顰めた。
私の言わんとすることが分かったらしい。
「平日だって言っただろ」
「当日にしてくれなくていいわよ。その次の休日とか、前の休日とか……ダメ?」
「何でその気なんだよ」
「ちょっと想像したら、楽しそうだなぁって……」
「……楽しそうか?」
散々しただろ、と言いたげなのがこの人らしい。
散々したからね。この人とは18からの付き合いだ。
もう遠慮もなくなって、相手の用事に付き合うのが半ば当たり前になってしまった。
だからデートと言っても相手について行ったり、付き添ったり、というニュアンスに近い。
それはそれで楽しい。
私はこの人と淹れれば楽しいから着いてきてくれるのはもちろんそうだし、この人の用事に付き合わせてくれるのも私にしかさせてくれないことだから喜んでと言ったところだ。
なので少し方向性を変えて。
「学生っぽいデートするのはどう? 楽しそうでしょ?」
「それもしただろ」
「学生っぽいデートって何かしら。水族館?」
「……」
薫が白けためをこちらに向けてくる。
何回か行っただろと言いたげな視線だ。
何回か行ったけど、何年前だと思ってるのかしらまったく。
「いいじゃない。一日ぐらい。また貴方の『彼女』になりたいの」
「……」
変わらず何か言いたげな目を向けてくる。
ただでさえ悪い目つきがもっと邪悪になっている。
この人のそんな顔も見慣れたし、この対応も慣れたものだ。
だから次に大体どう言ってくれるのか分かる。
「じゃあ、日付と場所はこっちで決めさせろ」
ほら。
「はぁい」
んふふふ、という変な笑いも出るというものだ。
この人がすぐ断ってこないときは大体了承してくれる前振りだ。
「ってことは、あたしは可愛くなればいいだけってことね」
「その歳になってもまだ言うか」
「この歳になったからこそでしょ」
若いころはみんなに可愛いって思ってもらえたらなぁ、と思って服やメイクを選んでたけどもう人妻ですから。
「貴方だけの可愛い私なんだけど、ご不満かしら?」
「大分」
「どうしてよ」
「お前と釣り合うためにどんだけ苦労するか分かってんのか」
はぁ、と薫が隠さずに溜息を吐く。
そのまま考えるしぐさの一環として長い襟足を弄り始める。
「……髪は切っちゃ嫌よ?」
そんな忠告を言い渡すと、薫はぎくりと肩を少し跳ねさせた。
確かに男の人はさっぱりした髪型にするとかっこよく見えるし、爽やかにもなる。
「……なんで」
この人もそう思ってる節があるらしい。
なんでって。
「……私のお気に入りだからよ」
髪の短いこの人も好きだし多分そっちの方がかっこよく見えるんだけど、長い方が学生の頃の面影があるのでそれも譲れない。
譲れるわけがないのよね。
私がこの人のこと好きになったの、その学生の頃なんだから。
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