静寂の檻

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 僕は先日、ある生涯忘れ得ぬ経験をした。その感動をきちんと伝えるために、まず僕のガールフレンドの藤本輝美(ふじもとてるみ)のことを知ってもらう必要がある。  声優になりたいというその夢のために、輝美は高校卒業後、ずっとコンビニのアルバイトと専門のボイストレーニングに明け暮れる日々を送っていた。同じ年頃の子達が遊んだりお洒落に時間を費やしている間にも。生真面目な彼女のことだ、相当ストイックな努力をしていたにちがいない。  だけど残念ながら、その努力が報われることはなかった。何十、何百のオーディションに応募してみても、小さな役一つ勝ち取ることはできなかったのだ。  実際、声優というのは、そのなりたい人数に比べて仕事の量が圧倒的に少ない。何千人の志願者の中の一人くらいしかなれないし、またその中の数人しか成功できないという超難関の職業なのだ。  そんな状況にくじけることなく、輝美は頭の切り替えも早かった。狭き門、望みの薄い夢にいつまでも執着するより別の道を見つけた方が絶対いい。持って生まれた可愛い声を活かして、人を楽しませられるような職業はまだ他にもあった。その職業とは――。  彼女がPCの電源を入れソフトを起動させる。やがて画面に現れたのは、水色の髪とぱっちりした瞳、動く猫耳、フリフリしたメイド衣装を身に纏ったアニメキャラみたいなアバターだ。 「あ~!?ただいまマイクのテスト中!テス、テス、テス、コンニチハ〜!」  輝美が笑うと、WEBカメラが捉えた表情を認識し、画面の中のアバターも笑う。他にも泣いたり怒ったり、いろんな表情に対応し、首を動かし手を振るなどの簡単な動作もできる。そのアバターは配信活動を行う上での輝美の仮の身体だ。 「うん、オッケー!」  バーチャルユーチューバー、または略してブイチューバー。それは某動画サイトで、こういう二次元のキャラクターを使って動画投稿や生配信を行い、再生回数に応じた広告収入を得る職業だ。  そう、『癒やし妹系ブイチューバー、音無テルミン(オトナシテルミン)』。それが今の彼女のもう一つの姿であり、生きるために選んだ新たな道なのであった。
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