むしかご

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 学校の廊下に、脚が片方落ちていた。  これは、とセルジュはその白くなよやかな片脚を拾い上げた。おもちゃみたいな膝蓋骨、木の実のようなくるぶし。  初年生か。 「セルジュ」  立ち止まったセルジュを、オスカーが振り返った。手にある片脚を見て眉をひそめる。 「誰だ。その脚」 「さあ。若いから初年生だろ」 「若いって。老人みたいな言い方するな」  オスカーが苦笑した。かすかに上がった口角までもが、ほんのりとした紅色だ。 「放っておけセルジュ。誰かが拾うだろ」 「そうだな。しかしまあ、こんな初年生までがやっているのか。〝むしとり〟」  先を歩くオスカーが、肩越しにセルジュを見た。青水晶色の瞳が細められる。 「お前が言うか。セルジュ」 「え?」 「みんなお前を欲しがってる」 「……君は? オスカー。君はもう、俺が欲しくない?」  ふん、とオスカーが笑った。不敵。セルジュの奥底が、ぞくりと疼く。 「神のみぞ知る」  G校の校舎は、もとは王族が住まう古城だった。とはいえ、中央政権から脱落、もしくは放逐された王族の面々を半ば幽閉するために造られた城だ。そのせいか、人里離れた緑深い山間に建っている。  校舎も礼拝堂も、すべて堅牢な石造りだ。古い石壁は一面が苔むしており、果たして石の中に棲んでいるのか草の中に棲んでいるのか、見分けがつかないほどだった。  数多いる少年たちはある日ふらりと入学し、一定年数修学し、そして随時〝卒業〟していく。G校には催事がない。クラブもない。他校との交流も一切ない。少年たちはG校の敷地内に入るや否や、「生徒」となるだけだ。  四角い窓が穿たれた石の中を、整然と入っては去って行く。そんな生徒たちの群れは羽アリの巣を思わせた。  そんな古城の廊下を歩くオスカーとセルジュの姿を、生徒たちがいっせいに振り返った。飛び抜けて優秀。たまに見せる笑みは、美の女神の果実の滴り。二人は生徒全員の憧憬の的だった。  この二人が並んで歩くと、光も影も、石も草木も、そろって付き従う。G校の太陽と月。  二人は地下にある談話室に向かっていた。昼食後のひと時、この場所で二人がくつろぐことは全生徒が知っている。だから誰もここには近付かない。暗黙のルール。  無人の談話室に入ったセルジュは、座面から肘掛から、豪奢な刺繍で彩られた安楽椅子にぽんと腰かけた。図書室で借りてきた古い歴史書を繰りながらつぶやく。 「俺、いつかこの学校の中に水を注ぎこんでみたいな」 「そりゃあいい。実行は満月の夜にしろよ。もちろん生徒全員を集めて。棲み家を失ったアリたちが果たして何に導かれるか、この目で検証したい」  オスカーが気のない答えを返す。  G校にはこれといった授業がない。歴史、文学、哲学、科学、数学、音楽、地理……知りたいことがあれば古城内をうろついている教師を捕まえ教えてもらう。そこが教室になる。  G校に入学した少年たちは「初年生」「中立生」「高逸生」と呼ばれる。何歳の、何年在籍した少年がこれにあたるかは不明だ。ただ、なんとなく。 「ああ」  セルジュはうめいた。自分の手を見下ろす。 「どうした。セルジュ」 「この指は長すぎる。失敗だ」  オスカーが安楽椅子の肘掛に腰を下ろした。セルジュの手を取る。 「これは、誰の手だ」 「中立生の……名前は忘れた」 「きれいな手だ」 「そう思ったんだけど。本のページがめくりにくい。俺の指より長いから」  オスカーが白い手の甲に唇を触れさせた。セルジュは顔をしかめる。 「俺の手じゃないんだぞ」 「でもお前にくっ付いている」 「気に入らない」  ふふ、と笑い、オスカーがさらに甲を舌で舐め上げた。む、とセルジュはその舌先を空いた指で摘まんだ。 「俺の手じゃないんだから。舐めても俺には感じられない」 「知ってる。今頃、この手の持ち主が感じてる。舐められてるって」 「だから気に入らない」 「この中立生はどこにいる?」 「分かってるだろ。むしかごの中」 「そうか……久しぶりに俺もやろうかな。〝むしとり〟」 「えっ?」  オスカーの言葉に、セルジュは思わず身を乗り出した。自分の目が輝いたのが分かる。すぐにあからさまな喜悦を押し隠そうとしたが、遅い。オスカーに目ざとく見つけられ、笑われた。 「そんなに嬉しいか」 「うるさい。でも、君が遊ぶなんて久しぶりだ」 「ああ。そうかもしれないな」 「だって……君がこの前、俺と〝むしとり〟をやってから……七回も月が満ちている。もう、二度と遊んでくれないのかと思ってた」  ふい、とオスカーは肩をすくめた。その仕草。顔の線。肩の形。ここ数か月、彼は猛烈な追い風に吹かれたかのように、加速度を付けて大人になった。  もうすぐ、オスカーはこの学校を〝卒業〟するであろう。セルジュの心臓が、おもちゃみたいに跳ね出す。 「口、開けろよ。セルジュ」  そんなオスカーの親指がセルジュの下唇をぺろりとめくった。そのまま歯の間に指先を割り入らせる。セルジュはそっと口を開けた。 「舌、出して」  彼に言われるまま、素直に舌を出した。桃色のその肉片に、オスカーが自分の舌をぴったりと沿わせた。互いの舌先で、互いの味を感じ取る。 「……感じる?」 「ん」 「何を」 「春の川底の泥」  くく、と笑った時だった。一人の少年が勢いよく談話室に飛び込んできた。 「オスカー! セルジュ!」  安楽椅子の上で舌と舌で交感する二人を見て、少年は立ちすくんだ。もうすぐ「中立生」になるであろう「初年生」の蘭丸だ。  顔を上げたオスカーが彼を見た。 「どうした。蘭丸」 「あ、うん……ハリエット先生がね、今日の星茶の研究成果を」 「〝ポラリスとジュピターの星間北西三十度一億パーセクに位置する星で収穫できるお茶の味を予想せよ〟。壮大な研究だな。行くか、セルジュ」 「ああ。オスカー」  オスカーの手がセルジュの手を掴み、安楽椅子から引き上げる。が、すぐにその手はセルジュの手から腕へ、肩から頬へと滑り、優しく撫ぜた。  ふ、とセルジュは笑った。 「この顔は、ちゃんと俺のもの?」 「ああ。お前の顔だよ。セルジュ」 「本当? 実は自信がないんだよ、オスカー。ここに誰の顔がくっ付いているか。鏡を見ないとね」  オスカーが小さく眉をひそめた。 「お前はやりすぎだ。もういい加減やめておけ。〝むしとり〟。自分と他人の境界が消えるぞ」 「……分かってる。あんなの、ただの遊びだよ」  セルジュはひそやかにつぶやいた。 だって、君の代わりがいない。  二人はぴったりと肩を寄せ合い、談話室を出た。呼びにきた蘭丸を振り返ることもしない。古城の地下にある談話室。もとは敵対する勢力と通じた王族を詰問するための拷問部屋だったというもっぱらの噂だ。  暗く湿った石の城内に、オスカーとセルジュの靴音が響き渡る。取り残された蘭丸は、反響する二人の軽やかな足音を聴いていた。  あれは誰の足?  G校の寄宿舎。  むしかごは少年たちの部屋にそれぞれあった。大きさはまちまちだ。人がすっぽり入る大きさのものもあれば、てのひらに乗るものもある。黒目では捉えられない糸で編んだむしかごもあれば、硝子細工のものもある。  何を求めているのか。どのくらい求めているのか。少年の願望によって、むしかごは毎日変態する。  王妃用に建てられたという離宮を改築した寄宿舎。校舎の城館より丸みを帯びた外観。この寄宿舎そのものが、大きいむしかごのようだ。少年たちは羽アリ。  舎監のベルリーが鉦を鳴らしながら寄宿舎内を練り歩く。おお、夜がやってきたのだ!  オスカーがセルジュの部屋に入ると、彼のむしかごの中には見知らぬ少年が横たわっていた。両腕がなく、首には銀色の縄が巻かれている。目は半開き。聴覚も視覚も働いているが、しゃべったり動いたりはできない。  むしかごの天井には二つのフックがあり、それぞれ縄が括りつけてある。少年の首から伸びる縄は、右側のフックと繋がっていた。 「この中立生が俺と〝むしとり〟をしたいって言うから」 「誰だってお前とやりたがる。セルジュ」 「そうかな? オスカーはこの頃してくれなかったろ」  少年の傍らには二本の腕が落ちている。見慣れた手。セルジュの手だ。  むしかごの中に踏み入ろうとしたオスカーを、セルジュの鋭い声が引き止めた。 「だめだよオスカー。ルール忘れた? はずしたパーツを接いでいないうちに触ったら」 「……ああ。そうだった」  足を引っ込めたオスカーを見たセルジュが、ふっと紅い唇を笑ませ、シャツのボタンをはずし始めた。白い胸をオスカーの目に晒す。肩にほんのりと紅い筋が入っていた。  セルジュが自分の左腕に右手を置き、ぐぐ、とひねる。とたん、音もなく左腕がはずれた。ぽかりと空いた左肩の空間に、みるみる違う左腕が浮かび上がる。ちらりとオスカーはむしかごの中を見た。落ちていたセルジュの腕が一本消えている。元に戻ったのだ。  同じように右腕もはずす。そうして自らの腕を戻したセルジュはむしかごの中に入り、中立生の二本の腕を彼の身体に接ぎ直した。横たわっていた少年の目が、ぱちん、と大きく見開かれる。  セルジュの顔を見て、おそるおそるというふうに中立生が起き上がった。 「セルジュ」 「君の手、悪くなかったよ」 「あの、あれは、セルジュ? その、僕の手にキスをして、舐めたのは」  そう言った中立生の頬がぱっと赤らんだ。思わず顔を見合わせたオスカーとセルジュは、苦笑いした。 「ああそうだよ。じゃあ、バイ。俺たちはこれから遊ぶんだ。出て行ってくれ」  素っ気ないセルジュの言葉に、中立生の少年が悲しげに顔を曇らせた。だがすぐに立ち上がると、部屋から出て行った。セルジュは彼を見送ることすらせずに、小さくつぶやいた。 「むしを飼いたい。理想のむし」  歌うようなささやき。 「なかなかつくれない。俺のむし。きれいで、惨い。理想のむし」  オスカーは彼の背後に立ち、裸の背を指でなぞった。ぞく、とセルジュの肌が張り詰める。 「じゃあ考えていこうぜ。まず、お前の理想のむしの顔は? きれいな子? それとも可愛い子? あばた面?」 「そうだな。きれいな子。目は青がいい。髪は黒。バカだけど頭は悪くない」 「難しいな」 「そう? で、腕は長くて、手の指が細い。左利きがいいな。左利きの子供は生まれつき悪魔と契約を交わしているから。そして右腕のほうが長いといい」 「なぜ」 「だって、オナニーは利き手じゃやらないだろ」 「え? そうか?」 「あれ? 俺だけ?」  くく、とオスカーは笑った。 「じゃあ脚は」 「膝は小さい。ももは短く、ひかがみが深い。ふくらはぎは硬くて左足の小指が二本ある」 「そんなのそうそういない」 「胴体は脇腹が弱点だといい。つついたり舐めたりすると、何でも言うことを聞いてしまう。ペニスは……うーん、イッたら歌う」  ぶはっと吹き出し、オスカーはセルジュの身体を背後から抱きすくめた。 「ペニスが? 射精する代わりに?」 「汚れるのがいやなんだ。だから代わりに歌う」 「何を」 「国歌斉唱」 「最高だな!」  笑ったオスカーの腕を、セルジュが優しく撫ぜた。 「オスカー……やろうよ。〝むしとり〟」 「ああ。いいよ。だけどセルジュ」 「ん?」 「もう、これで最後にしよう。お前この頃やり過ぎた……さっきも言ったろ。境界がなくなる。自分が誰なのか分からなくなるぞ」  自分の吐息が、セルジュの首筋に滲み込んでいくのが分かる。 「むしを……理想のむしを作りたかったんだけどな」 「そうやって狂った生徒を何人も見てきたろう? 自分と、他人の境界線を見失って。やめておけ。他人は、しょせん他人だ。どうあっても一つになれない」  振り返り、自分を見つめたセルジュの目が、寂しげに伏せられた。その鳶色の目玉、舐めたい。そう思う自分の衝動を押さえ、オスカーは彼の首筋を舐めた。腕の中のセルジュの肌が張り詰める。つん、と両の乳首が勃ち上がる。 「分かった……じゃあ、これが俺たち最後の〝むしとり〟だね」 「ああ」  踏み台を互いの足元に置き、それに上った。かごの天井から下がっている銀の縄をそれぞれ手にして、丸く結わえてある先端の輪の中に首を通す。  むしかごの中の絞首台に上った二人が見つめ合う。手を繋ぎ、言った。 「オスカー。俺は君の胴体がいいな」 「じゃあ俺が勝ったら、お前の両脚だ。セルジュ」  ふっと笑い合った。ぐっと繋いだ手を握り直す。 「じゃあ、いくよ。いち、にの」 「さん」  同時に踏み台を蹴った。  むしかごの中で、二人の少年が首を吊る。  ジガン先生の今日の講義は、宇宙創成にまつわるシーソーの留め具理論。あの支点の平等性は神の愛か。一ミリずれるほどに問われるものは何か。良心か。それとも獣性か?  そんな講義に耳を傾けながら、セルジュはそっと制服のズボンのボタンをはずした。チャックを下ろし、中に押し込められていた陰嚢に触れる。自然と笑みがこぼれた。  夕べの〝むしとり〟ゲーム、勝者はセルジュだった。心臓が止まったのはセルジュのほうだったのだ。  一度死に、生き返ることで勝者になれる。勝者は敗者の身体をばらばらにして、自分の身体に好きに接ぐことができる。それが〝むしとり〟。  生き返ったセルジュの首から、縄がほろりとほどけ落ちる。隣では、敗者のオスカーが首に縄を巻いたままだらりとぶら下がっていた。  セルジュは踏み台に上り、オスカーの身体を縄からはずして横たえた。ぱき、と音を立て、彼の胴体を首と四肢からはずす。それから腹にぐっと力を入れ、自分の胴体もはずした。首、四肢の真ん中に、ぽかりと空洞ができる。その部分にオスカーの胴体を接ぎ直した。久しぶりにまとう彼の胴体。脚や両腕の付け根が、じゅんじゅんと疼く。  そして今日、教室(実際はボイラー室)でジガン先生の講義を受けていた。周囲には初年生から中立生、高逸生までがひしめいている。そんな彼らの真ん中で、セルジュはズボンを脱ぎ、オスカーのペニスをさらけ出した。  前に座る二人の高逸生の肩に両足を乗せた。右の生徒の左肩に右足、左の生徒の右肩に左足。椅子の上で尻をずらし、オスカーの身体をじっくりと眺め下ろしながらペニスを握り込む。びく、と手の中で彼が震えた。 「……いい? オスカー」  いくら扱いても、自分では感じられない。今頃、セルジュのむしかごの中に横たわるオスカーが、一人で悶えているはずだ。それが証拠に、セルジュの手の中で彼がますます太く大きくなっていく。  左手で陰茎を圧迫し、右手で陰嚢の丸みを擦り合わせる。自分では何も感じない。それでも、オスカーが感じる自分の手の感触が、全身に跳ね返ってくる。裸のももがびりびりと痺れる。  自分の熱い吐息にむせながら、陰嚢をまさぐっていた右手の指を、さらなる脚の間、未開の個所へと滑らせた。ここだけは触れたことがない。自分のも。オスカーのも。左手の中の彼が、すくんだのが分かった。  けれどセルジュは構わずにその狭い小道に指先を潜らせた。ぐ、と指が締め付けられる。左手に握り込んだオスカーの陰茎がびくびくと震えた。  耳の内側に鳴り響く。一人、むしかごの中に残されたオスカーの声。吐息。  セルジュ――! 「!」  後門を穿っていた指を、一際深く進めてしまった。とたん、オスカーのペニスが激しくカウパー液をほとばしらせた。精液より清水に近いそれは、セルジュの左手を手首までしとどに濡らした。 「……」  すると、自分の奥底から、何かが近付いてくる気がした。白い蒸気を噴き上げ、永遠に続く夜の線路を走る汽車のように。オスカーの秘部を指で激しく擦り、体液にまみれた陰茎を左手で扱き上げながら、セルジュはその音を聴いていた。  おかしい。これは俺の胴体、身体ではないはずなのに。  なぜ、自分の腹の底にまで疼くような感覚が閃く? どんなに弄っても、自分では何も感じられないはずなのに――  境界。  ふと、オスカーの言葉を思い出した。  境界がなくなってきているのか。彼と、自分の。オスカーと、セルジュの。 「っ、はっ」  大人しく講義を聞いている生徒たちの真ん中で、セルジュは裸の下半身を突っ張らせ、ますます激しく後門を擦った。ペニスははち切れんばかりに怒張している。ぬるぬると扱き上げるほどに、セルジュの手を押し返す。 「あ、はっ……!」  びく、と喉がのけ反った。とたんに手の中のオスカーが激しく吐精した。指を咥える秘門がきゅううと締まる。 「……」  びくびく、と部分が震える。指にまつわるその感触が、腕を這い上がり、脳髄のほうにまで伝播した。熱く息をつきながら、セルジュは首から下に繋がるオスカーの身体を見下ろした。  へその窪みが、ぬらぬらと光る白い沼になっていた。  身体を接ぎ直すと、オスカーは恥ずかしそうに唇を尖らせた。 「あんなの、初めてだ」 「よかった?」  そう訊いたセルジュにまだ赤い顔で口づけると、オスカーがささやいた。 「もう、〝むしとり〟は終わりな」 「……うん」 「これからは、ちゃんと二人で生きていこう。それぞれの足で。それぞれの目で」 「君が、そう望むなら」 「そうすれば、もうすぐ〝卒業〟だ。セルジュ」  二人でいられるなら。オスカー。君がいてくれるなら。  もう俺は、むしを欲しがらない。        * 「セルジュ!」  ゴドモ先生の講義後、退室する生徒たちに紛れ、駆け寄ってくる少年がいた。蘭丸だ。  彼はきょろきょろと周囲を見回し、セルジュが一人でいることを確認すると、はにかみながらささやいた。 「あの。今夜、僕と〝むしとり〟してくれない」  セルジュは眉をひそめた。  初年生はまだ身体が不安定なせいか、壊れてしまうことも多い。廊下に脚を片方落としたり。首だけが転がり落ちたり。 「……悪いけど。俺、もう〝むしとり〟はやらないんだ」  蘭丸は、おそらくG校で一番愛らしい。性的にも未分化に見える容姿は、年上の少年たちの愛玩物だ。蘭丸姫。  そんな自分が拒絶されるなんて思いもしなかったのか。蘭丸が顔をぱっと赤らめた。その色合いに幼い強情と憤りをたぎらせると、上目遣いにセルジュを見た。 「言うよ。僕」 「……何を」 「セルジュ。この前、飯炊き女のロッテとキスしていたろ」  眉間にきつくしわを寄せた。見られてた? もしくは、あの女が言いふらした?  G校内唯一の女、飯炊き女のロッテ。日によって幼女のようにも老婆のようにも見える女だ。身体つきは豊満で、二つの揺れる乳房は本物の林檎でできている。らしい。  最初はオスカーに執拗に色目を使っていたロッテだが、まるで彼がなびかないと知るや、セルジュに声をかけてきた。 「あんたの唇、美味しそう」  少年たちの日々の飯を作るその口は、真横に裂いたように大きかった。なんでも食べる。男でさえ。  セルジュが無視して立ち去ろうとすると、うおんうおんとロッテは泣き出した。 「あんたもオスカーも人でなしだ。男は女を踏みにじる。雑草のように」 女は男を喰い荒らすだろ。 「オスカーのスープにあたしの涙を入れてやる。内側から涙が溢れて、オスカーは溺死する。あんたのパイにあたしの歯を入れてやる。あんたの身体を内側から食い破ってやる」  うんざりしたから、一度キスをさせた。なんでも食べるロッテの唇そのものがパイ生地みたいだった。甘いけど、べちゃべちゃ。キスをしたのはその時一度きりだ。  そう言っても、蘭丸は引き下がらない。 「オスカー、きっと怒る。君が女とキスをしたなんて知ったら」 「……」 「二度と君とキスをしてくれないよ。汚れてるってきっと言う! そんなのいやだろう? だからセルジュ、僕と遊んで。一度だけ。一度だけでいいから」 「――分かった。やるよ。今夜、俺の部屋に来いよ」  もうすぐ、セルジュとオスカーはG校を〝卒業〟する。誰に言われたわけでもない。ただ、分かるのだ。二人は一緒に外の世界に行く。 そのオスカーとの約束を破ることになるが。一度くらい仕方がない。  ぱっと蘭丸が顔を輝かせた。姫の粘り勝ち。 「ありがとう……! じゃあ今夜行くね」  そう言うと小鹿のように駆け出し、廊下の角を折れて消えてしまった。古城の石壁に彼の軽快な足音が跳ね返る。いつまでも、ころんころんとセルジュのそばで響いていた。  〝むしとり〟の勝者は蘭丸だった。足が踏み台を蹴り、全体重が縛られた首の一点にかかった瞬間、彼のいたいけな心臓は停止してしまったのだ。  あーあ。負けた。銀色の首吊り縄にぶら下がったまま、セルジュは思った。そんな彼の身体を、蘇生した蘭丸がすぐさま下ろした。  床の上に横たえたセルジュの唇に、蘭丸がおずおずと自分の唇を重ねた。 「胴体が欲しい。セルジュの胴体」  そう言いながら、蘭丸がセルジュの胴体をはずす。自分の胴体と接ぎ直すと、ぱっと立ち上がり、しげしげと見下ろした。 「少し僕の手足には大きいけれど……やっぱり思ったとおりだ。きれい」  蘭丸の両手がセルジュの裸の胸を撫で下ろす。彼のいたいけな手が、けれど執拗に撫で回す感触が走る。よせ、とセルジュは叫びたかった。けれど胴体の部分だけがぽかりと空洞になったセルジュには声が出せない。  その時だ。  部屋の扉が開いた。セルジュは目を見張った。  オスカーだ。むしかごの中に横たわるセルジュを見て、ぎりりと眉をひそめる。 「……本当だったのか。蘭丸が言っていたこと」 「……」 「お前はこれから、蘭丸と〝むしとり〟をする。……俺とは、もう、さよなら」  えっ?  セルジュは動けないままに、むしかごの中に踏み入ってきたオスカーを見上げた。 「俺は、お前が心配だっただけだ。このままでは、一生G校の中だ。むしかごの中だ」 「……」 「だからもう〝むしとり〟はやめようと言った。俺と〝卒業〟しようと」 「……」 「それなのにお前は、今度は蘭丸と」 「そうだよオスカー! セルジュは僕を選んでくれたんだ! もう〝むしとり〟をしてくれない君は必要ないって……僕と一生むしかごにいようって言ってくれたんだ!」  蘭丸。  貴様!  声が出せない。否定できず、心だけが焦燥にじりじりと炙られるセルジュの目の前で、蘭丸がオスカーに抱きついた。 「悔しい? 悲しい? オスカー。セルジュに裏切られて」  違う! 「ねえ、お仕置きして。オスカー。セルジュに。僕に」  言いながら、蘭丸がオスカーの制服をするすると脱がしていった。ネクタイをゆるめてほどき、ワイシャツのボタンを全部はずす。オスカーはされるがままだった。ただじっと、胴体を失って横たわるセルジュを見下ろしている。  なすすべなく見つめるセルジュの目の前で、蘭丸がオスカーのズボンを下着ごと引き下げた。現れた彼のペニスは、重たそうに反り返っていた。手にも余りそうなその大きさを、蘭丸の小さい口が頬張った。先端だけを口に含むのがやっと。  それでも夢中になって啄みながら、蘭丸が喘いだ。 「ん……おっき、ぃ」  とたん、オスカーの両手が荒々しく蘭丸の身体を押し倒した。裏返して伏せさせ、腰を高々と持ち上げる。 「!」  セルジュは息を呑んだ。今や蘭丸と繋がっている身体に、オスカーの手指が、大きさが迫る。それでも声を出せず、動けず、完全に感覚の退路を断たれた。  オスカーの荒々しさを幼い四肢で受け止めながら、蘭丸が淫らに尻を突き出した。未熟な手足に、胴体だけがセルジュの大きさ。歪な生き物。 蘭丸はわざとセルジュの秘門を押し開くように脚を広げ、オスカーに見せつけた。幼さが残る声で叫ぶ。 「ほら……! これが欲しかったんでしょオスカー。君は、セルジュの身体を、むしり取りたかったんでしょ!」 とたん、奥底に、裂くような痛みが走った。セルジュは大きく目を見開いた。 「っ!」  オスカーが慣らしもせずにセルジュの中に入ってきたのだ。抵抗する狭い壁をぶち抜き、無理やり身体を進める。  痛い!  熱い!  けれど叫ぶことも逃げ出すこともできず、セルジュは横たわってオスカーの感覚を受け容れるしかない。オスカーは蘭丸の手足と頭が接がれたセルジュの身体をかき抱くと、腰を激しく打ち込んできた。 「っ、っ、!」  彼と繋がっている部分から一筋の血が流れ落ちた。蘭丸の白いももに、奇妙な赤い絵図を描く。 「く、そっ……!」  普段は冷静なオスカーの姿が消えていた。相手が痛がっていると分かるはずなのに、慮る様子もない。ただただ腰を動かし、身を食らう。男の大きさは衰えない。それどころか、血にまみれ、無理に擦り上げるほどに大きくなっていくようだった。セルジュは彼の熱くて太い杭に腹の底をかき回され。息もできずにいた。  オスカーの指がセルジュの尖った乳首を摘まむ。びん、とした痺れが尻のほうにまで駆け巡る。刺激の強さに、セルジュの意識が飛びかけた。  そうするうち、腹の奥底にもやもやとした塊が生じ出した。それはじょじょに痛みを呑み込み、やがてはどろどろと泥み始める。痛みと恐怖で萎えていたセルジュのペニスが、その重さを孕み、だんだんと大きくなってきた。 「あ、あ、れ?」  すると、オスカーに背後から突き上げられていた蘭丸が声を上げた。 「僕のお腹もムズムズしてきた……なんで?」 「――」 「この身体、セルジュのものなのに。オスカーが動くたびに、僕のお尻も、お腹も、あ、ああっ」  オスカーの動きに合わせ、蘭丸が喘ぎ出した。顔がみるみる紅潮していく。床をひっかく指先は、今までにないくねりを見せて食い込んだ。 「あ、ああっ、すごい、オスカー、すごいっ……!」  境界。セルジュは呆然とする。  境界線が消えつつある。オスカーから与えられる感覚が、蘭丸にも伝播しつつあるのだ。  蘭丸がさらに喘ぐ。 「オスカー……! オスカー!」  それに伴い、セルジュの中に響いていたオスカーの感覚が遠のいていった。痛みも。官能も。 「……」  いやだ。  反応が変わった身体に気付いたオスカーの動きがゆるんだ。傍らに横たわるセルジュの顔を見る。  セルジュの目尻から、ぽろ、と涙がこぼれた。……いやだ。  僕の身体は、僕だけのものだ。君からもらうもの、すべて。痛みも。愛しさも。オスカー。  オスカー! 「――」  オスカーの身体が、セルジュの胴体から離れた。突然退いたオスカーを、蘭丸が驚いて振り返る。 「オスカー?」  胴体を失い、横たわるセルジュの上にオスカーが屈みこんだ。そっと口づけを落とす。 「あっ、だめ」  蘭丸が声を上げた。 「知ってるでしょ……! はずしたパーツをもとの場所に接いでからじゃないと……!」  構わず、オスカーはセルジュの唇をこじ開け、舌を絡めた。彼の熱い舌にセルジュの舌が蕩けるように粘り付く。彼の動きに、セルジュも応える。  オスカーがセルジュの手に自らの手指を絡め、ぎゅっと握った。手と手が蕩ける。ともに動き出す。同じように、ももや膝に自らを蕩かせ、じょじょに二人は一つに溶け合い出した。  蘭丸が飛び付き、引き剥がそうとする。けれど二人はもう離れられない。  悲痛な声がむしかごの中に響いた。 「二人とも、むしになっちゃうよ――!」        * 「蘭丸先生。これが、そのむし?」  ジェルミは小首を傾げ、むしかごの中をじっと見た。蘭丸先生が頷いた。 「そうだよ。世にも美しいむし。永遠のむし」  うっとりとした声音が、薄暗い寄宿舎の石壁に跳ね返る。  蘭丸先生の胸もとまで伸びた真っ白な髭は、床を引きずりそうな長い白髪と混じり合っていた。寄宿舎のぬし。生徒たちがひそかに裏で呼んでいる彼のあだ名だ。  蘭丸先生はなりそこねたのだ。  寄宿舎のむしに。  舎内の一室に据えられたむしかごの中には、豪奢な安楽椅子が置かれていた。その椅子に、溶け入るように一人の少年が座っている。手足の長さがばらばらだ。もとは二人の少年だったせいだ。  うつろに開いた目は片方が青水晶色、片方が鳶色だった。首は、天井のフックと繋がれた銀の縄で縛り上げられている。少年が倒れないように、と蘭丸先生は説明している。 「先生、あのむしの名前は、何」  ジェルミは蘭丸先生に訊いてみた。けれど彼はただうっとりと、むしを見つめ続けているだけだ。  その唇から、かすかな旋律が漏れ出た。ジェルミはまた、寄宿舎内でまことしやかにささやかれている噂を思い出した。  実は、あのむしの首は取れるのだ。それをごまかすために、ああして縄で縛っている。  そして夜な夜な、蘭丸先生はあのむしの首と自分の首を接ぎ替えているという。そうしてむしとともに踊り、口づけ、語らっていると。  月が抹殺された暗黒の夜。耳をそばだててみるがいい。きっと、聴こえる。  愛の語らい。  恋のむし。  むしを飼いたい。理想のむし  なかなか作れない俺のむし  きれいで、惨い  理想のむし――             (了)
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