荒川君の事情・後

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荒川君の事情・後

彼…早霧は俺にとって、人生初の恋人。そんな人と全ての初体験を出来た日には、俺は全ての運を恋愛に全振りしてしまったのかと心底思った。 場所は早霧の部屋。 少しひんやりとした白い肌は、触れると徐々に熱を持って色づいた。鼻頭が触れ合う程の至近距離で嗅ぐ吐息は甘くて、半開きの唇から覗く扇情的な舌の赤さに目はチカチカ、頭はクラクラ、ペニスはバキバキ。 舌を滑らせた首筋も胸も腕も脚も甘くて良い匂いがして、そこを吸って赤い痕をつける事も、早霧が教えてくれた。そして、初挿入。初めて迎え入れてもらった早霧の中は、夢見心地になるくらいの快感を俺に与えてくれ、俺は文字通り無我夢中で腰を動かしたように思う。 そう。 迎え入れられ、与えられたのだ。 童貞だと申告していた俺の為に、初めてのセックスは最初から最後まで早霧の主導で行われた。 それが嫌だった訳じゃない。寧ろ、普段とは違う雰囲気のえっちな恋人に手ほどきを受けられて嬉しかった。彼に俺以前の恋人が何人居たのかは聞いた事は無いが、あれだけモテる人なんだから経験豊富なのは当然だとも思っていた。だが、実際セックスしてみると、彼と俺は大人と幼稚園児かというくらいに圧倒的力量差があって…。 俺が初めてだからと御祝儀のようにナマで中出しさせてくれた後、早霧は『とても良かった』と褒めて、汗だくの体を抱きしめてくれた。その声は優しくて、目は慈愛に満ちて見えて、それを見た俺も胸の中から愛しさが込み上げた。 けれど、その帰り。初めて繋がれた感激が、少し収まってきた頃。やっとクールダウンしてきた頭の中で、貪った快感を反芻しながらニヤついていた時、ふと思い出した。 はなから翻弄されっ放しだった俺に引き換え、早霧が至極冷静だった事を。 急に頭から冷水を浴びたような気分になった。 (早霧…早霧は、どうだったんだろう?童貞とはいえあれだけ一から十まで教えなきゃいけなくて、つまらなかったんじゃないか?) 『良かったよ』とは、気を使って言ってくれた言葉なんじゃないだろうか。いや俺だって、色んな男を恋人に持っていたであろう彼を最初から彼を満足させられると本気で思えるほど自意識過剰だった訳ではないが、少しばかり息を乱してはいたものの、終始菩薩のような微笑みを浮かべていた姿を思い出すと、今度は急激に不安になってきた。 (俺、すぐに飽きられちゃうんじゃ…) 相手は菩薩は菩薩でも恋愛偏差値90はありそうな百戦錬磨の菩薩だ。そもそも、俺の告白が成功したのだって、たまたまフリーになってたからってだけの可能性が高いのだ。つまり、タイミングが良かっただけのお情けOK…。 見た目ばかりを多少磨いてもらっても中身が伴わなければ、すぐに見切りをつけて次に行かれてしまうかもしれないと怖くなった。 「うかうかしちゃ、いられないな…」 次までに、少しは早霧に奉仕できるようにならないと…。 あの時の俺は、そればかりを焦っていた。 自宅に帰り真っ先にしたのは、PCとスマホで検索をする事。セックスが上手くなるにはやはりAV?と思ったが、あれって観る側には女優の表情や結合してる体位の方を求められてる訳だから、男優の手元や口元で何してるのかなんてそこまで見えない。ゲイ動画を観てみても、外からのダイレクトな動きしかわからなかった。俺が知りたいのはもっと細かい部分なのに。本屋で買うのは恥ずかしくて通販で性技のハウツー本を買ってみたけど、イマイチわかったようなわからないような。そんな検索ばかりしていたからだろうか。何時の間にか画面の下をスクロールしていくと、『エステティシャンに学ぶ感じさせるテクニック』みたいな広告が出てくるようになった。 なるほど、エステティシャン…。 それまで、エステティシャンは女性用エステに勤務して女性客の美容の為に色々する人、という認識しか無かったが、読んでみるとリンパケアなどのマッサージをするものだとわかった。勿論それ自体は普通のマッサージな訳だが、それを参考に…という事らしい。そう言えばこの間結婚した従姉妹も挙式前にはエステに通ってドレスに合わせる為に体を絞ってもらったと言っていた。 「マッサージかぁ…。」 エステのマッサージは参考にするほど気持ちが良いのか…と思いながらクリックをしていくと、今度は性感マッサージという記事が出てきた。それは風俗の業種の一つらしく、女性にちょっとエッチなマッサージをしてもらい、最終的には手でフィニッシュさせてもらえるという。 「…M性感…?」 こう見えて幼い頃から恋に恋する男子だった俺は、年頃になっても風俗にはとんと興味が無く、友達には『お前、まさかその歳でインポ?』と訝しげに見られてきた。そんな俺が、20歳にして初めて風俗の店を検索したその瞬間。 パッ と画面に出たのは、 付近の性感マッサージ店一覧の文字と、幾つかの店のロゴ、下着姿や露出多めの衣装を着た女性達の画像。 安心して欲しい。俺のペニスは1ミリも反応しない。何故なら俺の世界には早霧だけが性的対象だからだ。早霧のすんなりした体には脂肪の塊などありはしない。却下。 そんな脂肪よりも俺の目を惹いたのは、 『至高のセラピスト!!当店NO.3 ユマ(23) ディプロマ・及び各種セラピスト資格取得済』 という文字を冠した一人の女性の画像。セクシーな出で立ちの女性達の中、彼女だけが下着姿は無くミニワンピなどの着衣で、『男性を悦ばせる前立腺マッサージのエキスパート。男の潮吹きならお任せ☆』という文言まで記されていた。 潮吹きという言葉には聞き覚えがある。高校の頃だったか、仲間内で下ネタの話になった時に誰かが言っていたからだ。だがその時の対象は女性の事だった筈なので、男にもそんな事が出来るのだろうかと不思議に思う。 だが、興味はある。男性を悦ばせる…という文字の並びを見た俺の脳内には、蕩けてしどけない姿になった早霧が思い浮かんでいたからだ。 (俺の手で早霧を悦ばせる事が出来るようになれば…) ごくり、と喉が鳴った。 「……エキスパートか…。」 ディプロマという単語を検索してみると、リンパマッサージなど様々な資格を取得する前に必要なものらしい。 店の情報を詳しく読んでみる。どうやらホテル出張をしてもらえるようだ。ランクとやらもあり、基本料金が数千円単位で違う。指名料にもランクがあり、オプション料金なども存在した。 在籍女性一覧に戻ってみたところ、先ほどのユマという女性は流石にNO.3だけあって料金も指名料もそれなりに高い。だが客のレビューも高評価で、技量を称賛する声が殆どだった。試しに見てみた他の女性のページレビューとは明らかに質が違う。 (もしかして、彼女なら…) 俺が求めている事を、与えてくれるのではないかと思った。 そうして俺は、店に連絡を入れ日時の予約を取り、指定されたホテルでユマさんと出会った。 初回のカウンセリングで、料金に1回1万円を別途に払う条件で講師を引き受けてもらった。 「本当は技術を安売りしたりはしないの。何時もなら店の女の子に講習するのでももっと取るし、お客さん相手ならこの3倍は取るわ。でも私も腐女子の端くれ…彼氏の為にっていう健気さを見せられた日には、力にならない訳にはいかないじゃない?」 店指定のラブホの一室、カウンセリングしていたソファから立ち上がってそう言ったユマさんは、何故だかとても凛々しい顔をしていた。俺は 「ふじょ?」 「史弥君はその辺は知らなくて良いの。」 「あ、はい」 聞いた事があるような、そうでもないような単語に引っかかったけれど、疑問は笑顔でねじ伏せられてしまった。 「これから私の事は師匠とお呼びなさい」 「わかりました、師匠」 言われて素直に頷くと、ユマさんは満足そうに頷いた。 その日から師匠と俺の、エロマッサージ伝授とは名ばかりのスパルタ指導が始まった。フェザータッチを会得するのに、どれだけ手を『強すぎる!!』とシバかれた事だろうか…。 本当は店の女性へのお触りは禁止らしいのだが、力加減を確認してもらう為に師匠の手を貸してもらったりもしたが、やっぱりその度『強い!!』と叩かれた。 およそ皆が風俗に対して抱くイメージとは全く逆の厳しい風景が、その部屋の中には繰り広げられていたのだった。 そして、金曜日。ユマさんの3回目の講義を終えた帰り。 俺は人生最大の絶望と、人生最高の気分を、ジェットコースターの如く味わう事になったのだった。
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