プロローグ

1/1
639人が本棚に入れています
本棚に追加
/59ページ

プロローグ

 鬱蒼と茂った木々の中で一際太い幹の陰に、少女は震えながら身を隠していた。  「パティ……アーロン……みんな、どこにいるの……?」  はぐれてしまった侍女と護衛の名を叫ぶことはできない。  なぜなら彼ら──魔物に居場所が見つかれば、自分は殺されてしまうから。  少女の名はリーリア・アルムガルド。  このアルムガルド王国現国王の末姫だ。  夏の暑さ厳しい王都を離れ、姉姫たちと避暑地で過ごしていたリーリアは、王都へ戻る帰路の途中だった。  しかし、抜ければ王都が見えるドニエの森に差し掛かった時、一行は予期せず魔物の襲撃を受けた。そして混乱の中リーリアは、共に行動していた侍女のパティと護衛のアーロンとはぐれてしまったのだ。  森の中に響く悲鳴と荒れ狂う獣のような咆哮。  リーリアは恐怖に震えながらなんとかその場を離れ、ここでひとり、息を潜めて迎えが来るのを待っていた。  しかし、森の中に静寂が訪れてからどれくらいの時間が経っただろう。  魔物は掃討できたのだろうか。  皆は無事なのだろうか。    不安で小さな胸が押しつぶされそうだった。   けれど待てども待てども捜索隊が迎えにくる事はなかった。  「……うっ……うっ……!だれか……だれかおねがい……はやくきてぇ……!!」  こらえ切れず、涙と共に嗚咽が漏れる。  絞り出すように発した声に、少し離れた場所で何かが反応した。    カサカサと草木をかき分けるような音。そして地面に落ちる木の葉を踏むような音が徐々に近付いてくる。  一瞬、ようやく迎えがきたのかと思ったが、ある疑問がリーリアの頭の中に過った。  パティとアーロンだけでなく、今回の旅に同行している者は皆リーリアの声を知っている。  その者たちの耳が先ほどの声を拾ったのなら、小声でもリーリアの名を呼び位置を確認するはずだ。  それなのに音を立てて近付いてくるその何かは、まるで己の正体を知られたら都合でも悪いのか、一言も発しようとはしない。  ──まさか、追いかけてきた魔物に聞かれてしまったのだろうか  リーリアの身体が恐怖で強張る。  「……リーリア王女殿下?」  すぐ側で足音が止まると、生い茂った草木を押し分けて、ひとりの青年が顔を出した。  彼が身につけている衣服にはリーリアも見覚えがある。アルムガルド王国宮廷魔道師団の制服だ。  青年はリーリアの顔を見て小さく息を吐くと、次に怪我の有無を確認した。  「ご無事でよかった……リーリア殿下、私は宮廷魔導師団に所属する、ユーイン・オルブライトと申します。王女殿下ご一行が魔物の襲撃にあったとの報告を受け、皆さまを救出するために参りました」  「パティとアーロンは?ふたりはだいじょうぶ?」  幼いリーリアが、自身が助かったことに安堵するより先に、侍女と護衛の安否について尋ねたことに驚いたのか、ユーインと名乗った青年は瞠目した。  「……殿下の侍従はご無事と聞いております」  いつも行動を共にしているパティとアーロンは、リーリアにとって家族のようなもの。  二人の無事を聞いたリーリアは、その瞬間身体の力が抜け落ちた。  しかし崩れ落ちそうになる小さな身体をユーインが咄嗟に腕を回して支えた。  気づけばいつの間にかリーリアの身体はユーインに抱きかかえられていた。  「よく頑張りましたね」  頭の上から降り注ぐ優しい声。  そしてやわらかく自分を包みこむ温もりに、リーリアの瞳から堰を切ったように涙が溢れ出した。  今でも忘れることはない、広く温かな胸と、静謐な香り。  これはリーリアが十歳の時の大切な記憶だ。
/59ページ

最初のコメントを投稿しよう!